35.福沢諭吉マイナス一枚
Q.どうしようもなく
死にたくなったことはありますか、
そういうときどうしますか。根本的な解決にならないので実際に自殺しようと行動に移せない性格です、それでも限界で駆け込みました。
2020.7.11 A山E子さん(19歳と6380日・一応女子)
A.ありますあります。
でも「どうしようもなく」ではありません。普通に生きる手段も理由もあるのですが、シンプルに「死んじゃおう!」と、頭上にピコンと電球が点いたのです。
こうなると困ったものです。
「どうしようもないから死にます」は「そんなことないよ!」という励ましが可能です。
しかし「どうしようもあるんすよ。でも死にます」なんて気持ちはひっくり返せません。「は、はぁ・・・」とちょっと引かれて終わりです。
そんなこんなで「さぁ死ぬぞい」と腰を上げたのですが、死亡直前に人運が発動して助かりました。
もう十年ほど前の話ですが、我が人生最大のピンチだったと言わざるを得ません。
しかしピンチの後にチャンス有りです。
その事件の直後、凄いツキが巡ってきました。なんと道で一万円を拾ったのです。これは鮮明に記憶しています。
千円まではありましたが、一万円は初めてでした。「生きてて良かった」と心の底から思いました。
「もうちょい、生きとれ」と福沢くんに薄目で言われているような気がしました。
ですがあれ以来、僕は一万円を拾ったことはありません。もう死んでいいと思われているのでしょうか。
それでもしばらく「また落ちてないかな」と探していましたが、路上での出会いは、あの日以降ありませんでした。
「拾得物以外のカタチで福沢を一枚ずつ集めていかないと」と僕は諦めることにしました。
働くと基本的にはお金が振り込まれます。
しかし口座に振り込まれる一万円は「仮定」です。「ここに一万円あることにしような」というフィクションなのです。
これをお伝えするために、まず「数字」の話をしなくてはいけないですね。
算数、数学、ひいては「数字」というもの自体、「仮定」の上に成り立っています。
たとえば「三個のリンゴ」はあり得ても、「マイナス三個のリンゴ」という物理現象はありえません。
昔、口座の残高がマイナスになった経験がありますが、「マイナス一枚の福沢」はリンゴ同様に、現実界ではありえません。
それを仮定してしまうところに嫌悪感を示す人間がいます。僕です。
やはり僕はあの「薄目の福沢、一枚」がいいのです。残高の数値よりも、一枚の福沢の励ましがほしくて仕方なかったのです。
じゃあ数百枚あればいいのかと言われると、違います。
そんなに励まされるとプレッシャーでキツイ、というよりちょっと気持ち悪いです。
それに百枚、二百枚となると、これはまた「仮定」なのです。
マイナスほどの「仮定力」はありませんが、そんな買い物が行われるはずがありません。
人間は「ちょっと多め」にお金を稼ぎがちですよね。
「毎月ピッタリ使い切って、給料日には残高が完全にゼロになる」というひとに、僕は未だかつて出会ったことがありません。
もしいたら「なんてすがすがしいやつなんだ!」と思います。
「ちょっと多め」な時点で「仮定」なのです。
それらは「起きていない、起きるかも分からない支出のためにある謎のお金」です。
「現実に起きるか確証のないもの」という意味では「仮定」の仲間入りです。
これが苛烈すると「老後の貯金」などと言い出しはじめます。
仮定に仮定を重ねた考えは立派ですが、そんな話ばかりしているひとは、フィクションに毒されすぎている気もしてちょっと怖いです。
「いやいや!蓄えないとヤバイだろうが!」というひともいるでしょう。
分からんでもないですが、考えてすぎると、それこそ「どうしようもない」に着地してしまいそうです。
死にたくなったら、こんなイカレたことばかり考えるようにしています。
「死んだら」なんて話も「仮定」なわけです。「死体の自分」は現実界には存在しません。
さっき死にたかったのに、なんかどうでもよくなりました。ありがとうございます。
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