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「事実」と「意見」と「感情」は切り分けて話そう

「事実」と「意見」と「感情」、切り分けて考えられていますか。

こんばんは。
倉敷の美観地区で『株式会社有鄰』という会社をやっている犬養といいます。

今日、この記事を読んで思ったことです。

ほんと、以下のようなやり取りってよくあるんですよね。

上司:お客さん、どうだった?
部下:金額について不満そうでした。
上司:不満だと「言った」の?
部下:いえ、たしか……言ってないかと。
上司:じゃ、なんで不満だと言えるの。
部下:えーと…

もっと詳しいやり取り事例などは、上の記事を読んでみてください。

なぜこのようなことが起こってしまうかというと、この記事ではノーベル経済学賞受賞者のダニエル・カーネマンという人の考えが提示されています。

彼の著作によれば、
「人は、出された質問が難しいと、それを簡単な質問に置き換えてしまう」
という、人間の脳のつくりに依る。

「出された質問が難しい」と感じること自体も、後述の通り「注意力」をこれまで払って人とやり取りをしてきたかどうかが原因なのだとは思います。

ただ、この思考パターンをしてしまう人も、訓練次第で直る、と。
たしかにそうかもしれないです。

では、このようなコミュニケーション特性は直るのだろうか。
個人的な考えでは「直すことは可能」である。
というのも、これは「賢さ」というよりも「注意力」の問題だからだ。
報告がわかりにくい時 → 「結論から言って。」
話がまとまっていない時 → 「これに書いてみて。」
上司やお客さんに大事なことを伝える時 → 「言葉にこだわって。」
記憶があいまいな時 → 「会議や営業の記録は必ず当日中にまとめなさい。」
この4つだけでも、かなり「回答する時に注意する」ことに繋がり、結果としてこれは、「事実」と「意見」を区別する訓練にもなる。

なかなか時間はかかるかもしれないですが、結局は言葉にこだわって注意を払うこと、そしてそれを聞く側からの適切でこまめなフィードバックが必要なのでしょう。

この記事では「事実」と「意見」の話でしたが、僕はここに「感情」っていう問題もよく見聞きするなと思っています。

僕は岡山で会社をやってるんですが、コロナ以降、地方の人から「東京はなんか怖い」っていう話を聞くことが増えたんですよね。

この「なんか」というのが、完全に思考停止ワードなので、注意です。

おそらく、新型コロナウイルスの感染を防ぐ面で何がリスクなのか、何を避けておくべきなのか、そして感染者の数としては多い東京で何に気をつければいいのか、ということを考えようとしていないのでは、と感じます。

この「事実」をもとに考えられていない「感情」が人の「意見」を決めている場合もあるんですよねえ。
「なんか怖い」→「だから、東京には行くべきではない」というように。

「事実」と「意見」と「感情」がごっちゃに話してるかも、と自覚した方がいたら、それは若いうちに矯正しておくことをおすすめしておきます。

今日は金曜日。
今週も一週間、おつかれさまでした。

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