コンフリクト(葛藤・対立)プロセスに関わる想い③
前回の記事では、コンフリクトという言葉の一般的な定義、そしてコンフリクトにおける痛みと可能性の側面、最後にコンフリクトの「結果」ではなく「プロセス」を重視することを書きました。
ただ、言葉でいうほど簡単ではありません。コンフリクトの当事者でいるとき、私たちは全く状況が動かないような行き詰まりや、止まらない対立の激化なども体験します。その中で、怖れや無力感も抱きやすいと思います。
今回は、コンフリクトのプロセスにどう向き合っていったらいいのかということについて触れていきます。基本的には対話(内的/他者)がベース。でも、コンフリクトに向き合う対話は難しい。ですので、対話を進める際のガイドとなるような3点をお伝えしたいと思います。ちょっと小難しい話が多いかもしれませんが、今現在コンフリクトに直面しているという方のヒントに少しでもつながることも残せればと思います。シリーズも今回で最終回、是非ご覧ください!
(1)自責/他責ではない「システム思考」という物事の捉え方
コンフリクトに向き合う上での大切なこと、1つ目は「システム思考」という捉え方です。「システム」とは簡単に言えば、①複数の要素が、②互いに影響を与え合いながら、③全体としての目的・機能を有するもの。その視点でいえば、個人も、家族も、会社も、社会も、生態系などもシステムです。むしろシステムではないものを挙げるほうが難しいかもしれません。つまり、システム思考は、様々なレベル・種類のコンフリクトに適用が可能なんです。
システム思考では、個別の要素というよりも、その「つながり」により着目します。複数の要素が複雑につながり合った構造は一人ではその全体像を捉えることが難しく、その構造は一人ひとりが思ってもみなかった挙動を生み出します。つまり、自分もシステムをつくる一員にも関わらず、システムが動きにびっくりしてしまう、ということが起きるのです。
コンフリクトの場面においては、自責/他責が頻繁に見られます。また、個別の事柄に原因を見出す傾向もあります。(例.うちの会社は人事制度がきちんと整備されていないことが皆の不満の原因だ!)一方で、システム思考の観点でコンフリクトを捉えると、個別の誰か/何かが悪いのではなく、複数の要素からなる関係性が現状を生み出していることが分かってきます。
「この中に悪い人なんていない。ここにいるのは共に働き、生きる仲間だ」「私たちは本当は信頼でつながれる」
こうしたことを本当は誰しもが知っている、そして信じたいのだと思います。まず大切なことは、コンフリクトをシステムとして捉え、「我々は誰も望まない現実をいかに生み出しているのか?」ということを理解していくことです。
(2)コンフリクトとは「システムを構成する要素と関係性の不協和状態」
尚、上述したシステム思考の考え方を踏まえると、コンフリクトを以下のように定義することが可能です。
「コンフリクトとは、システムを構成する要素と関係性の不協和状態」
システム内に「違い」という多様さがあることを前提としつつ、そのシステム全体がより健全に存在することもあれば、不協和状態に陥ることもあります。
例えば、ある個性的な二人が補完関係にあることもあれば、対立関係に陥ることもあるでしょう。また個人の中での葛藤も同様です。例えば、「~したい」と「~すべき」という考えが同時に自分の中に存在するとき、二つがあることでより良い意思決定につながることもあれば、一方をないものとして抑圧する、もしくは、二つの考えがぶつかり合い、悩みや苦しさにつながることもあります。
重要なのは、システムを構成するあらゆる要素に対して、その存在に感謝し、深くその声に耳を傾けること。そして、要素と関係性からなるシステム全体への理解を深めながら、より高次の自己/エルダーといった意識から、そのシステムの次の可能性、進化や変容に対してオープンとなり、それを迎え入れることだと思います。
*専門的な概念となりますが、ゲシュタルトで言う気づき、プロセスワークでのエッセンス、U理論でのプレゼンシングなどをイメージしています。
(3)コンパッションが対話の入り口
「システム思考」に加え、コンフリクトに向き合う上での大切なこと、2つ目は「コンパッション」です。コンパッションは一般的には「慈悲」や「思いやり」と訳されます。ジョアン・ハリファックス老子は下記のように説明されていて、私も近い感覚を持っていますので紹介させていただきます。
コンパッションの実践という意味で、コンフリクトの場に向き合うとき私が大切にしたいと思っていることがあります。それは、「この場にいる一人ひとりが、自分には到底理解し得ないような、様々な痛み、願い、背景、環境、感情を伴いながらそれぞれの人生を生きている」ということです。
でも正直、「なんで…!」「どうして私が…」といった答えのない強い感情と共にいることは怖さもある、自分にその資格があるんだろうかということも頭をかすめる。
それでも、ここをスタート地点に置きながら、それでも理解したい、苦しさをある種自分も抱えて、暗闇の“その先”を求めて共にいること、共に進むことを大切にしたいと思っています。私の師の一人、サティシュ・クマールの言葉を心に留めたいと思います。
(4)勇気を伴う小さな一歩は波紋のように広がっていく
コンフリクトに向き合う上での大切なこと、最後の3つ目は「勇気」です。それは怖れを感じながらも、自分のため、相手のため、システムのためを想って、内にある正直さを外に向けて表現するような言動です。それは、先ほどの「コンパッション」からもたらされる側面もあると思っています。
うまく話せなくても、ぎこちない振る舞いでも、勇気を伴う小さな一歩は、周囲に届く。個人的な経験則でしかありませんが、そう思います。そして、それは周囲に届くだけではなくて、確実にその場に何かを残します。すぐにではなくても、いつか波紋のように広がり、コンフリクトに変化をもたらすきっかけの一つになっていくのです。
大切な存在、そして私を含む関係に何かの変化をもたらしたい、もっと良くなって欲しい。そんな時、勇気を伴う小さな一歩、それはたった一言、たった一つの動作かもしれません。自分にはそれをできる力がある、そしてそのことは何かにつながる。そう思って、小さな勇気ある一歩が広がることを願います。
(5)終わりに
長い記事をここまで読んでくださって本当にありがとうございます。
私も今この瞬間願っています。いまこの記事を見ている皆さんが幸せでありますように。そして、皆さんにとっての大切な存在が幸せでありますように。葛藤や対立の中で、強い苦しさや悲しみが傍にある時でも、あなたのことを想っている存在がいることを信じてくれますように。
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