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「当たり前の基準が、組織のレベルを決める!」

こんにちは!個性型リーダーシップ開発トレーナーの脇坂です。

今日のテーマは「当たり前の基準が、組織のレベルを決める!」です!


1.当たり前の意味とは何か?


まず、前提として「当たり前」とはどういう意味でしょうか?
表現を変えると「一般常識」や「社会的通念」 と言われるものでしょうか?
辞書によると、「常識」とは「普通、一般人が持ち、また持っているべき知識。 専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む(広辞苑)」とあります。

また、「社会的通念」とはデジタル大辞泉(小学館)では、社会一般に通用している常識または見解。法の解釈や裁判調停などにおいて、一つの判断基準として用いられる。とあります。

普通、一般人が持ち、また持っているべき知識や社会一般に通用している常識または見解というのは、時代と共に変化していくもんです!

例えば、太古の日本においては15歳で元服となり 成人男子として扱われたものです。

あるいは、 戦国時代などでは政略結婚 と称し、武将同士が、自らの 領土や家を守るために安全保障的、政治的な意味合いで、わが娘を嫁に出すということが行われていました。

今の時代では「当たり前」ではないですよね!!(笑)

2.当たり前の基準(レベル)を見直してみる


前置きが少し長くなりましたが、 要は 時代によって「当たり前の基準」が変わっていくということです。

じゃあ、 我々の会社組織で 時代に合わせて「当たり前の基準」は変わっているでしょうか?
昭和の高度経済成長期においては、労働時間の長さで成果を上げることが当たり前のような時代がありました。


しかし、現代のようにデジタル化が進み DX が推進されるような時代においても旧態依然のアナログ的な仕事が多く残っていないでしょうか?

なぜ、分かっていても変わらないのか? それは、人間が習慣の生き物だからです。
さらに加えると、過去のやり方で成功し成果を上げてきた人たちにとってそれを変えるということはある 意味 過去の自分を否定するということを本能的に感じ取ってしまいます。

例えば、今や、スマホやパソコンなしでは、仕事にならないですよね?

パソコンが普及し始めた頃に、手書きの 伝票や顧客台帳をパソコンに移行していく時代がありました。ところが 、パソコンに慣れるまでは どうしても仕事が遅く生産性が悪いということがたびたび 発生しました。
すると、多くの中小企業で時間がかかるという理由でパソコンをやめ、 元の伝票や顧客台帳に戻したという事例がありました。

デジタル社会という言葉が常識になりつつある現代において、 仕事の効率や効果性を見直さなくては、より良い仕事はできないし 成果を上げ続けることは難しい時代となってきました。
(一度、発明されたものは、元には戻らないんです。人間が、どううまく付き合っていけるか?を考える力が大事です!)


3.一流の人から学ぶ「当たり前」


また、 スポーツの世界を例にとると、強いチームは必ずハードにトレーニングをしレベルの高い質の高い練習をしているはずです。
弱いチームにおいては、練習時間は短い。 練習の質もレベルが低いというのが当たり前になっていることに気づかないと それ以上のレベルには成長できないはずです。

あのメジャーリーガーだったイチロー選手の言葉に、こんなものがあります。
「特別なことをするために、特別なことをするのではない。特別なことをするために、普段通りの当たり前のことをする」 

(引用: 「鉄人」 イチロー・世界記録への挑戦|PRESIDENT Online)

もう一つ、有名なエピソードして、高校時代に毎日の素振りをかかさなかったとか。
「僕は高校生活の3年間、1日にたった10分ですが、寝る前に必ず素振りをしました。その10分の素振りを1年365日、3年間続けました。これが誰よりもやった練習です」
引用:致知出版社<イチローが「誰よりもやった」と豪語した練習>

自社の挨拶のレベル、仕事のレベル、コミュニケーションのレベル、モチベーションのレベル、品質のレベル、整理整頓のレベル、掃除のレベル、
マネジメントのレベル、リーダーシップのレベル・・・etc.

一度、我が社 や自分自身の当たり前のレベルを検証することも必要かもしれません。
是非、ご参考になれば幸いです。
では、また!!