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①音楽を創る時、ミュージシャンの脳内・周りで何が巻き起こってるのか/詩を創る

好きなミュージシャンやアーティストの楽曲やライブ、制作を追った密着映像
そんな外から見れる感じられるモノはあっても、ミュージシャンやアーティストの内で、その時何が巻き起こっていたのかを見た事ありますか?
見れるなら見たい。だがそんなのは限りなく不可能に近い。
他人に不可能なら、私がやってみよう。

1ミュージシャンとして
音楽を創る時、自分の脳内や周辺で何が巻き起こってるのか】

これをテーマに、何回かのシリーズとして書いていこうと思います。
それでは記念すべき初回、詩を創る事について。
ご覧下さい!

私から見た「詩」というものを解体し、眺めてみようと思います。

★詩を解体する★

0から1。
無から有の創造。
人間の寿命より遥かに永く存在出来るモノ
むしろ時間軸で劣化しない
情報量が多く様々な視点から派生する
虚構(フィクション)が生んだ何か

▼発現▼

私の人生に巻き起こる様々な事象。それを体験し生まれる思いや念や祈り等から、詩以前の「言葉」がふと現れたり、目を瞑った際にどこからか降ってきたりする。それは後頭部付近に浮かびあがる。
冒頭から何言ってんのかよく分からない。
私も同感です。
しかし、私の中ではそんな具合で言葉が生まれています。
体内の回路は不思議に溢れてますね。

▼詩を書く動作▼

詩以前の「言葉」を脳は電気信号化し、腕に伝えペンや筆や指先を通り紙やスクリーンに反映させる事で、詩や文章や歌詞にする。
至極単純な動作。

しかし、厄介なのはレイテンシ(伝達における遅延や誤差)です。

<脳→文字を反映させる媒体>

この間に、何らかの作用が起き形が変化してしまう事が結構あるんですよね。

作詞過程で起きる謎の変化

最初に脳内で生まれた文字が変化または進化して
元より良い文になる、エッジの効いたwordになる、逆に「良くしたい」欲が最初に生まれたものをねじ曲げては迷走し、結局発現まで遡るハメになる事がある。

なぜこんな変化が生まれるのか…。
紐解く為にまず
文字に着目してみます。

文字

文字いうモノは厄介で、ヒトは文字を目にしたり感じた瞬間、脳が勝手に今まで経験し蓄積された情報から「これは何か」を当てはめて理解しようとする。いわば分かりやすい形に変えてしまうってわけです。
でもそれは同時に原型の純粋性が失われる事でもあって。
全ての言葉に意味を与える事が、良い事であるとは限らない。
だからこの改悪を阻止する為に、現れたwordに意味がなくても、あえて意味を為す言葉に変換しない事もあります。

ここで実例を上げてみようと思うのですが、自身の歌詞を載せ説明するのは野暮だし、私が説明すると1つの意味にしか見えなくなる。それは歌詞を読む人の想像力を妨げる失礼な行為だから避けます。
あえて客観視する為に音楽ではない分野で例を上げてみようと思います。

脳内ニューヨーク

という映画がありますよね。タイトルの字面を見ると意味不明。だが、脳内+ニューヨークという奇想天外な文字の並びに
「え。どういうこと?」
と興味を惹かれませんか。
これが、脳内の町というタイトルだったら、その字面にそこまで面白味をあまり感じない為、意識が向かない気がします。
要は、分かりやすさより興味を惹くかが優先されるのだと思うんです。
その理由は、ヒトの脳が新しいモノや非日常的なモノを好み求める、Neophiliaという性質にあるのかもしれません。

では次に、媒体にフォーカスしてみます。

書き記す媒体の種類

どうやら媒体によって書く時に脳内で働く機能が違っていて、それぞれに変化があるようなのです。

ー紙に書く時ー
ペン先のインクが紙に触れて文字として出現する際に、筆跡や筆圧やテンション等が反映され易く、それを両目で情報として得て脳で捉える。そして脳内でドーパミンやベータエンドルフィンが出てアガる。

>>脳to紙to脳<<

という循環が起こり、言ってみれば「ライターズハイ」みたいな一種のゾーンに入る状態になり、精神状態が変化する事で原型から連想・発展する変化が起きます。
ー携帯に打ち込む時ー
文字のフォーマットが決まっている為、筆跡・筆圧・テンションなどは反映出来ません。反面、何かを思ったり浮かんだ時にパッと即打ち込める点はやはり便利だし、いつも持ち歩く為いつでもすぐに確認できます。コンパクトなサイズの為に詩の全体像を一目で把握出来ないので、スクロールしては自然と添削回数が多くなる。それによって発現時の純粋性は失われやすくはなります。

発現から文字としての着地まで直結なら、理屈としては純粋無垢なモノを叩きだせると思うが、何かを思った瞬間に紙やスクリーンに文字として出現させる術を私は今はまだ知りません。(そう遠くないうちに脳にマイクロチップを埋め込んで、脳内に電気信号が流れた瞬間に文字として即反映させる。そんなことが可能になる時代が来るかもしれませんが、とりあえず今回その話は置いときます。)

書き記す媒体には変化特性がある事。
変化を理解し、操りながら詩を活かす事。
それが良い詩を生む術の一つかもしれないと思っています。

さて、色々と書いてきましたが、私が対峙してる詩というものは、

かたちのないもの

それを忘れてはいけないと、いつも思います。
紙に書いた時に初めて詩になる
携帯やPCに打ち込んだ時に初めて詩になる
いや、違う。
私の中にあるものこそが詩なんです。

★創り手だけの特権とは★

詩は、周りに誰もいない一人だけの場所で生まれ、書き記す事で精神が浄化されるような気にもなる。
思いを言語化する事に無理がある事なんて多々ある。
だが、そのジレンマは美しい。
創造の過程を愛せる事。それこそが創り手だけの特権だと思います。

では、受け取る側に立つとどうでしょう?

★受け手視点からの解体★

どんな詩や文も、初めて向き合う時には目で捉えるか指で触るかのどちらかで判別しています。嗅ぐ事でも味わう事でも聞く事でも判別できない。
そしてそこにある創り手による作品を、見て、感じています。
同時にその作品には偉大な「余白」が共存しています。受け取る誰かの為の余白と言っても良いかもしれません。

小学校や中学校の授業やテストで「文章を読んで作者の気持ちを答えなさい」という問を出され、素直に考えて答え、正解・不正解になった経験ってありませんか。
思い返すとそんなバカな話あるかって私は思います。
先生や教科書やテスト作成者の大多数は作者じゃないだろうから、そのテストの、点をただ稼ぐ為だけにこしらえたワケワカラナイ問の文字なんか消して「作者はこの文章にどういう思いを込めたとあなたは思いますか?」と改定したら良いと思います。
勿論この問には答えても点が加算されません。
が、一人一人の答が、コミュニケーションを生み派生するポイントとなれば、点を稼ぐ事を評価の基準とする教育じゃない視点から、それぞれの生徒にとっての学びにもっと良い作用をもたらすんじゃないか。って思うんですが…

って、脱線してるな…。戻ります!

★受け手だけの特権★

詩の偉大な余白
その作品には、創り手の思いや念や祈り、言語化できない何かやあえて記さなかった何か、共感や、驚きや、笑いや、悲しみや、喜びや、怒りや、不安や、孤独や、愛や、
そんなものが、よもや内包されていると想像して心が動かされる。
余白という美しい虚構を享受出来る。それが受け手だけの特権だと思います。

★詩の再構築★

詩の創り手≠詩の受け手

それぞれの感じるものが完全に一致する事なんて絶対に無い
只そこに生じる誤差を想像する事で双方が双方を想える
その行為は不思議で美しい
愛すべきものなのだ

私にとっての
「詩」
とはそういうものなのです。

長文ご覧いただきありがとうございます❗️
次回以降、私の実際の詩や文章を上げていこうと思ってます❗️

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