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東尋坊

学生時代にはよく、ふらりと旅に出た。
モチベートする何かが、ぽっと思い浮かぶと、大体の範囲だけ決めて、即座に旅立つ。
その時のモチベーションは、東尋坊だった。

なぜかと言われると困るのだが、東尋坊が見たかった。
東尋坊といえば、自殺の名所。
自殺したいほど殺伐たる精神状態ではあったが、自殺する気はなかった。

まず東尋坊に回り、そこから金沢に向かい、一泊して、金沢発の急行で帰ることにする。
金沢には特別の思いはなかったのだが、せっかくだから兼六園くらい見ておこうと思ったのだ。
当時はまだ、北陸新幹線は開業していなかった。

芦原温泉から東尋坊に向かうバスに、乗り遅れた。
時間に駆り立てられるような旅ではなかったが、次のバスまでは、かなり待たされるし、夕方も近い。
金沢にも、その日のうちに着いておきたかった。
翌々日に大事な用事があったので、できれば明日中、遅くとも当日の昼までには帰宅したかったからだ。
やむなくタクシーを捕まえる。

話し好きの運転手で、永平寺は行ったかと訊くので、できれば寄りたかったが、今回は時間がないから、またの機会にでも、と答えておいた。
それで話が終わるかと思ったら、

「ついさっき、永平寺さんを乗せたところなんですよ。
あそこの連中は、本当によく遊びますよ」

と、訊いてもいない話をする。

目的地に着くまで散々、お坊さんたちの獅子奮迅振りを、聞かされる羽目になった。

『粗末にするな親からもらったその命』

タクシーを降りて、岸壁に至る遊歩道を歩いていくと、あちこちにこんな看板や柱が立っていた。
さすが自殺の名所だ。
自殺志願者が、僕のようなへそ曲がりだったら、ますます死にたくなってしまうことだろう。

所々で人とすれ違う。
老若男女、気のせいか、それとも日没近い時間のためか、みな蒼ざめて見える。
すべてが普通の生者なのだろうか?
中には、死につつある者、死に損ねた者、そして実際に死んだ者もいるような気がした。

岸壁に着く。
トラベルミステリーのラストシーンみたいな断崖絶壁だ。
本末転倒とはいえ、あまりにも壺にはまっているので、思わず笑い出したくなった。

しかし笑うどころの話ではない。
柵も囲いもない20メート以上の断崖絶壁から、眼下に渦巻く海を覗き込むと、否が応でも吸い込まれずにはいられないのだ。
そういえば以前、よく当たると評判の霊感占師が、僕には墜落の相があると言っていたっけ。
危ない危ない。

金沢に着いた時には、夜もだいぶ更けていた。
構内の観光案内所で、駅に近い格安のビジネスホテルを見つけた。

部屋に荷物を置いてから、晩飯を取れる店を探して、街を彷徨っていると、寒気がしてきた。
3月も末、兼六園の雪吊りも外されたあとだ。
寒い陽気ではない。
風邪の引き始めかもしれなかった。
特に腹が減っているわけでもなかったので、食事はやめにして宿に戻り、早々にベッドに入った。

翌日の金沢は朝から、季節外れの小雪がちらついていたが、昼過ぎには、いよいよ本格的な雪になった。
風も強くなり、吹雪の様相だ。
市内観光どころではなくなってしまった。

悪化したのは、天候ばかりではない。
体調も悪化した。
その日のうちに帰るつもりだったが、あまりにも気分が悪いので、もう一泊することにして、一日中部屋に籠っていた。

明らかに熱がある。
呼吸も段々苦しくなってきた。
何か気晴らしがしたい。

その時、デスクになぜか、季節外れの団扇が置いてあるのに気がついた。
観光用の小振りのやつだ。
誰がなぜ置いたのかはわからない。
前の客の忘れ物かもしれない。

唐突に、バカなことを思いつく。
その団扇を土俵にして、紙相撲をやろうと思ったのだ。

備え付けのメモ用紙で力士を拵え、ハサミが無いので、手でちぎった。
頭は混濁していたのに、力士の名はすぐに決まった。
守護の山と地縛海だ。

団扇の土俵に載せ、柄を持って揺り動かして対戦させる。
守護の山が勝った。
寄り倒しだ。
僕もまた寄り倒されるようにベッドに倒れる。

熱に浮かされながら、東尋坊を見ていた。

『粗末にするな親からもらったその命』

『早まるな』

『親が悲しむぞ』

翌朝、目が覚めると、嘘みたいに具合がよくなっていた。
大事な用事で会うことになっていた相手とはしかし、日を改めて会うことにした。

その用事で後日会った女性は、用事とは無関係だが、スピリチュアル系を自称している人だった。
笑い話のネタのつもりで紙相撲の一件を話すと、見るからに嬉しそうに、目を輝かせて言った。

「それ、守護霊と地縛霊じゃないでしょうか。
よかったですね、取り憑かれずに済んで。
下手すると命が無くなってたかも…」

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