見出し画像

疲れているという、使いやすい言い訳

一度乱れた生活リズムを戻すのはめちゃくちゃ大変だ。
もうそんなの十分にわかっているはずなのに、やっぱり乱れてしまうときは来る。
そういう時にどうしたらリセットされるのか、26歳の今になっても全然わからない。
もともと、寝ても寝ても疲労が全然回復しないというか、すっきり目覚められないので、余計に、特に精神的にキツくなってしまう。
逆に世の中の人の目覚めのすっきりさを、経験してみたい。みんなどんな世界を知覚しているのだろうか。僕だけ特別なのか、それともみんな同じような感じで諦めるしかないのか、全くわからない。
なんとなく、「すっきり目覚めて元気に活動できる」というなにか漠然としたイメージだけが僕の中にあって、漠然としているからその像とかけ離れた自分を感じて鬱々としてしまうのかもしれない。

とにかく今は、そういう意味で乱れ切った時期にある。
どう立ち直っていいかわからない。仕事の集中力というか、パワーもあんまり出てこないし、いろんなことに疲れ切ってしまっている。
寝る前に肩の筋肉が痙攣していた。これはよくあることなんだけど、大体乱れが長引いてくると、目蓋か肩が痙攣する。
1ヶ月くらい、何も考えず静養したいんだけれど、仕事は今辞めるべきでない気がするので、それは一旦置いておこう。
生活保護とかもらって、とりあえず休憩を挟むのはどうなのだろうか。
それも一つの手としていいかもしれない。

今はとにかく自分の中にあるものをどんどん書き出していきたい。前々から、自分の内面に対する解像度を高めたいと思っていて、それには書き続けるのが一番だとおもう。

最近は坂口恭平さんにどっぷり浸かっている。
坂口さんの解像度の高さは天下一だ。結局は自分と向き合い続けていくしか生きる方法はない。
やりたいことはたくさんあるのに、疲れてしまって何もできないという状態にあると「自分」は思っている。
だけどそれは、できない自分を保留するための嘘なのではないだろうか。
そんなことをグルグルと頭の中で考えている。グルグル、そればかりだ。
グルグル人生なのが僕のいつもだ。

動き出した方が、物事は進みだす。でも動かす気力はない。
動かすことはいつだって得意なのに。動かして動いても楽しいっていう気がしなくなってしまっている。会社に長く通いすぎたからだろうか。
今の会社に勤めてそろそろ2年になる。2年はあっという間だった。
これまでに読んだ本を見返したけど、結構な数を読んでいた。それでも何か前に進んでいただろうか。いつも変わらない。もともとできることをできるようにやっているだけで、なんとかなってしまう仕事に面白さが無くなってしまったのか。あるいは、疲れているからなのか。
疲れているというのは、とっても使いやすい言い訳だ。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。