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9月になってしまった。
なって「しまった」という感じだ。

パステル画が楽しすぎる。
白い紙に色を塗って、なんだかよくわからないものがいつのまにか出来上がっている感覚が好きだ。
さっきまで白っぽい紙だったのに、30分くらい経つと、もう紙ではなくて絵になっている。不思議だ。
何かを作り出すというのは、ワクワクすることだ。

文章も同じように感じている。
自分が今思っている事を、なるべく形を変えないまま、白い紙の上に綴っていく。
僕はあまり書いたものを読み返したりしないのだけれど、いつか本にしてみたいと思う。
その時に読み返したら、たぶんタイムカプセルを掘り起こすような不思議な気分になるだろう。
そのとき生きていた僕がそこに残っている。楽しいから、何年も続いているんだと思う。

毎日の生活の中に、そういう不確実性みたいなものを残しておきたいという欲求がある。
今朝も、「髪の毛切りに行かなきゃ…」とか「コンタクト注文しなきゃ…」とか考えていた。
数ヶ月に一回、確実にやってくるルーティン。そういうもので僕の毎日はたぶん埋め尽くされている。

仕事なんかもそうかもしれない。
ちょっとは不確実性みたいなものもあるかもしれないけど、大体のことは想定の範疇だ。
多様なキャリアプラン!みたいに謳うこともあるし、僕自身、そういう「開かれた」可能性に魅力を感じていた。
けどやっぱりその「開かれた」は、ガラポン大会のようなものだと思う。
1等から7等、あるいは残念賞みたいなものまで、いくつかの種類に対して可能性はあるけれども、1等を超えることはない。
そして、コントロールできない部分が大きい。

文章を書いたり、絵を描いたりというのはその外側にある世界だと思う。
もちろん賞を狙ったり、有名人になろうとしたら話は別なのかもしれないけれど。

仕事、僕のやってるオフィスワーク的なものは、明らかに使う感覚が少ない。
土も踏まないし、虫も捕まえないし、手も汚れない。
使う感覚が少ないから湧き出てくるものも自ずと少なくなる。
産み出されるという経験が、全く次元の違うものだ。
たぶん、色味が少ないんだと思う。
それか、色をこれ以上認識できないのかもしれない。

今年は残り4か月。
まだ年末をどう過ごしているかは全くわからない。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。