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2月23日(自分の衛生感覚についての発見)

春一番が吹いた、というニュースが少し前に流れた。最近風の強い日がおおい。風が強いと、外に干している洗濯物がベランダに落ちてしまうことがある。このとき、みんなはどう考えているのだろうか。
僕は、とりあえずパンパンはたいて、特段汚れていなかったら(と、僕が思ったら)そのまま使ってしまう。でも、おちたら洗うという人もいるようだ。

洗濯物の別パターンだと「外用のハンガー」なるものがあるらしいということを最近知った。外で使うハンガーは引っ掛ける部分が汚れてしまうので、家の中のクローゼットでは使えないということらしい。僕はこの話を聞くまで、「外用のハンガー」なんていう言葉を知らなかった。そして、ハンガーが汚れていることも知らなかった。僕は、ハンガーにかけて干せば、そのまま畳むことなくクローゼットに入れられるので楽だ、くらいにしか考えていなかった。
それを言われてから疑いつつも確かめてみたら本当ににハンガーは汚れていた。これには心底驚いたというか、世界の解像度が上がった気がした。26年間発見されることのなかった、汚れたハンガーが自分の目の前に突如として現れたのだ。

洗濯物とは別の話で、自分の手の汚れについても発見があった。
飲み物をストローでかき混ぜる時に、飲み口の部分を触らない、という考え方があるらしい。これにも驚いた。自分の手は汚れているから、その汚れた手で触った部分から飲み物を飲むなんてありえないとの話だった。
僕は、全く気にしたことがなかったというか、そもそもどこを持ってかき混ぜるかなんて考えたこともなかった。

自分の手が汚い。確かに言われてみるとそうかもしれない。だけど、自分の手が汚いということが感覚の前提にはなかった。
自分の手が「汚れる」というのは自分ではっきりわかる。土を触ったら汚れるし、長い時間手を洗っていなかったら汚れていると言えるだろう。感覚として、汚れているな、と掴めた時は当然洗う。

そういうことでストローについては、手が汚れているという感覚がなければ、当然触る場所を意識することもないので、かき混ぜやすい上の方を持つようになる。

でも日常生活において、じゃあなんで汚れていると感じていない時も手を洗っている場合があるのかと言われると、ちょっと困ってしまう。

例えば、外から帰ったら手を洗うのは普通のことだ。でも、僕の中では、「帰宅したから手を洗う」というだけで、別に汚れているから洗っているとは考えていなさそうだ。

例えば、ごみの袋を縛って捨てた後は手を洗う。でも僕は、「ゴミ捨てをしたら手を洗うのが普通らしい。だってゴミ袋を触ったんだから」という話を聞いて洗うようにしているだけだ。別にゴミ袋自体は汚いとも思っていない。そうしておかないと社会生活に支障が出るから習得しただけで、別に汚いと思って洗っているわけではないと思う。

例えば、食事の前に手を洗うのは普通のことだろう。でも、食事の前に必ず手が汚いとは限らないと思う。だから僕は、よく手を洗うことを忘れるし、おしぼりがあることに食後まで気がつかなくて「あ、おしぼり使うの忘れてた」と、はっと気がつく時がある。自分では明確な動機は持っていない、ある種儀式としてやっている感覚があるから、忘れてしまうのだろう。

何が普通で何が普通じゃないかはよくわからないけれど、最近「ちょっと自分の衛生感覚は多数の人からずれているのかもしれない」と思うようになった。

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