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11月14日(毎日の落ち込みが激しい)

自分にとって面倒なことはやりたがらない。
コメントするのが難しい時は、コメントしない。
誰かが困っていても、自分の身を犠牲にして助けるようなことはしない。
僕が日々接する人たちは、そういう人たちだ。
たぶん、僕も周りから同じに見えているだろう。ある意味、仲間だ。

自分のことは一番すごいと思っているし、世界の中心で主役をしているし、仲間以外、あるいは、自分以外はみんな風景だ。
自分が心地良くなかったら、簡単に縁を切るし、自分のことを立ててくれるような人とは一緒にいる。

去って行った人のことは、もう誰も思い出さない。
どれだけ自分を助けてくれたとしても、人生に二度と登場することはない。

友達、と呼びながら、心を通じ合わせるようなことはない。
友達の生活を常に監視しながら、自分の今と比べて一喜一憂する。

人間関係の価値観が、ここ数ヶ月でだいぶ揺さぶられてしまった。
毎日、暇をつぶしながら、何も考えずに自由に生きている人々に、僕はどう接していいか分からなくなってしまった。
言葉が通じないことに、苦しみを覚えている。
そういう人間関係から、どうにかして距離をおきたい。

楽しいことでも、楽しくない人たちに囲まれていると、楽しく無くなってしまう。自分だけが、緊迫しているような感じがする。
「すれ違い」という言葉が今の感触に近い。
色で言うと、薄い紫色だ。
僕は今迷っている。自分がどこに行けばいいのか、どんなところで暮せばいいのか、わからなくなってしまった。

毎朝、こうやってこの文章を書いている時。
早起きをして、日記を書いている時。
本を読んでいる時。
落ち着いた時間を過ごしている時に僕は、一番幸せを感じている。

落ち着いた時間、これが足りないのかもしれない。
心臓が苦しくなって、深呼吸をすることもできない。
常に極端な張り詰め方をしている。
「君は真面目だね」と言われるたびに、泣きそうなほど苦しくなってしまう。
外の現実と、僕の中の現実が、どんどん離れて行ってしまって、もうコントロールすることができなくなってしまっている。
僕の中の現実に、だんだん戻れなくなってしまっている。
ちょっと前までは、いつも通りの日常を遅れていたはずなのに、今は苦しくなってしまった。

休みたいと思っているのに、休めなくなってしまった。
休み方がもう分からない。立ち止まり方がもう分からない。

外の現実であげればあげるほど、落ち込んでしまうようになってしまった。
いつもの僕に戻ることが、苦しいことになってしまった。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。