10月18日(自分の生活を棚卸する)

休憩には2種類あるとおもう。
本当に体を休めなければならない時と、動いた方が休息になるというパターンだ。
自分の感覚としては、どちらも同じようにしか感じられないんだけど、回復するためにはやることを間違えない事が重要だと思う。

今の僕は、多分、動いた方が休息になるパターンだと思う。
いつものことができなくなって、リズムが崩れてくると、調子が悪くなってくる。調子が悪くなってくると、だんだん他のこともできなくなってくる。
そうしていつものことがどんどんできなくなって、「もう僕はダメな人間だ」となって、休んでいるはずなのにさらに調子が悪くなってしまう。

新しい刺激を入れるのはエネルギーがたくさんいる。
だからとりあえず、毎日のリズム、つまり日課は取り戻していかないといけない。
僕の場合、夜は23時くらいには寝て、朝7時ごろに起きて、喫茶店に行って、日記を書いて、本を読んだり音楽を聞いたり文章を書いたりする。
実際に手を動かすのは1時間くらいなんだけど、その1時間を気持ちよく迎えるためには、24時間の方をリズムよく送らないといけない。
最近の僕は0時前に寝ることなんてほとんどできなくなっていたし、8時前に起きることもできていなかった。
そうした毎日の「できなかった」の積み重ねによって、エネルギーがどんどん奪われてしまっていた。

もう3ヶ月くらいはこのリズムを取り戻すために格闘しているけれど、なかなかうまくいかない。
サラリーマンをやっているので、土日が休みでそこのリズムが崩れないというのはラッキーなことだった。
でも、平日はどれだけ頑張ってもコントロールできない部分が多くて、ちょっとリズムを取り戻したと思っても、すぐにまた崩してしまう。

年末にかけて、また忙しくなると思うと、また鬱々としてしまう。
でもどこかで自分の生活を棚卸しないといけないだろう。
どこかで覚悟を決めて。
コロナがあって、生活は一変して、やはり変わったからにはどこかで立ち止まらないといけない。
立ち止まれなかったから、今のようになっているんだと思う。
そういえば、いつものサンマルクカフェからドトールに通う店を変えて、調子が悪くなってきたかもしれない。
別にドトールが悪いわけではなくて、ただ単純にドトールと僕の相性が悪いからなんだと思う。

変えるなら、それなりに覚悟して変えなくちゃいけない。だけど、そういう儀式を行わないまま、流されるように変えてしまった。
自分の中ではそんな小さなことでも、毎日の生活を支える大きなことだったなんて、全然気がつかなかった。


誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。