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【HSPブームの功罪を問う】HSPとは何か?を今一度理解する

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆

はじめにお伝えしたいのは、本書はHSPそのものやHSP自認者を否定するものではない。
そして、僕が書く以下の記事もそのような意図は無い。
もし、以下の記事を読んでそのような印象を持ってしまったのであれば、僕の拙文に原因があるのだとご理解いただきたい。

〜僕は繊細さん?〜

僕自身、割と細かいことに気がいってしまい、頭と心が疲れやすい人間である、と思っている。
HSPという言葉を知ったのは2年ほど前に読んだ「『繊細さん』の本」がきっかけであり、「自分はHSPなのかもしれない」と考えたこともある。

大まかに言えば、もともと「HSP=感受性の高い人」という意味であるが、「感受性が高いゆえに現代社会で生きづらくなっている」という解釈が一般的になっており、「自分の生きづらさはHSPが原因かもしれない」と考える人が増えているのだろう。かくいう僕も、本書の言葉を借りるなら、HSPというラベルを自分に貼り付けて「生きづらさ」からくる不安が幾許か解消した人間である。実のところ「HSP」という言葉を自分を肯定するために使っていた、という面も否定は出来ない。

本書は、HSPという言葉が当初の意味を超えて独り歩きしてしまっている現状を問うものである。
タイトルにもあるように、「HSP」は「ブーム」となっている。SNSのプロフィール欄に「自分はHSPである」と書いている人をよく見るし、芸能人が自身がHSPであると告白する事が話題になったり、HSPという言葉を頻繁に見聞きする。

「HSP」という言葉は不安を解消する面もある一方で、取り上げ方次第ではHSPとそうでない人の分断を煽るような発信、HSPを特別視する思想、HSPに対する偏見や差別や誤解、HSPブームを悪用する精神科クリニックや資格ビジネス、カルト団体、などなど大きな問題になることもある。

本書が「HSP」という言葉を見かける度に湧き上がる感情に「いや、待てよ」とブレーキをかけるきっかけになるかもしれない。


〜そもそも、HSPとは?〜

HSPブームの功罪における「罪」の部分に巻き込まれないために、まずはHSPというものが何なのかを、キチンと知っておきたいと思う。

僕が本書の中でHSPに関して知っておくべきだなと思ったことは以下の通りである。


○HSPは良いものでも悪いものでもない

HSPの学術的なルーツを辿ると、いわゆる「HSP気質」とはもともと「感覚処理感受性」という言葉であり、人の性格特性の一つを記述するための心理学概念である。その特性が高い人をHSPと呼ぶことがあるが、良い環境悪い環境両方から影響を受けやすい「ニュートラル」な心理特性である。
「HSP=生きづらい」という説明がよくなされるが、前述した「『繊細さん』の本」でも「敏感な感性は決して悪いものではない」と書いていた。とはいえ、特別な能力というわけでもない。
集中力があるとか外向的・内向的とかと同じように、あくまでその人の特性のひとつでしかない、ということである。


○「HSPは5人に1人」は誤解

学術的な心理学の研究では「ある個人がHSPか否か」という二値での判定はしていない
感受性は誰もがもつ特性で、低い人から高い人まで連続的なグラデーションが観察される。いわば、正規分布の形で大多数の人が平均値にいることになる。そして、その中からHSPとみなす明確な基準は心理学の研究においては無いのである。
「HSPは5人に1人」という言葉も、社会心理学者であるアーロン夫妻が行った「HSP尺度」と名付けた尺度を用いて感受性の特性を調べる実験において、「特に感受性の高さが上位25%程度の人を、感受性が高い人とみなせる」と論じた論文に基づいているものと考えられるのである。
「自分はHSPかそうでないか」という疑問自体に意味が無いのである。

○(少なくとも現時点では)HSPは発達障害や精神疾患の一種ではない

HSPの定義や概念の成り立ちは、医療や病理モデルに由来するものではない。
一般的に医療的アプローチの対象となる発達障害や精神疾患は、アメリカ精神医学会が発行する診断手引(DSM-5)を基に診断されるが、HSPはここには掲載されていない。
HSPは心理学における性格特性として概念化されているものであり、今後DSMに記載される可能性は低く、少なくともこの分野の専門家の間では議論はされていないそうだ。
そもそも、前述したように心理学者は「ある個人がHSPであるかどうか」を「診断」するための研究はしていないのである。
著者は、HSPブームの「罪」のひとつとして「悪質な精神科クリニック」について言及している。十中八九、科学的根拠に基づいておらず、「HSPを診断・検査・治療する」と謳うクリニックは論外である、と述べている。
「HSPと診断された」という話は疑問を持たざるを得ない。

○HSPタイプ分けにも根拠はない

SNS上やあるサイトでは「HSS型HSP」「HSE」など様々なHSPのタイプがあるそうだが、このタイプ分けの妥当性を支持する実証的研究は無いそうである。現に、論文検索エンジンで調べてもそのような論文はほとんどヒットしないそうだ。
もちろん「そのような人が存在しない」というわけではなく、そのようなタイプの特性を持つ人はいる。ただし、それをタイプ分けして研究しないだけなのだ。
HSP提唱者であるアーロン氏に由来することタイプ分けではあるが、その妥当性は示されてはいない。


〜自分に優しい言葉と正しく付き合う〜

改めて書くが、本書はHSP自体を否定しているものではない。
拡大解釈されて広がった「HSP」という言葉がもたらす「罪」の部分について警鐘を鳴らすものである。

前述したように、僕自身もHSPの存在を知った事でいくらか生きづらさを解消した人間である。そして、その一方で「『繊細さん』の本」を読んだことから、繊細であるが故の「恩恵」の部分にキチンと目を向けていた。

にも関わらず、HSPという言葉が巷でネガティブな意味で使われている状況に戸惑いがあったのだ。HSPという言葉が様々な差別や対立を生んでいる。だから僕はこの本のタイトルを見て手に取ったのである。

「生きづらさ」に名前をつけてくれる「HSP」という優しい言葉は、確かに不安から助け上げてくれる魅力がある。しかし、のめり込み過ぎてしまうと自分も他人も傷つけてしまうほど、独自の意味と力を持ち世の中に広がり過ぎてしまった。
この「HSP」ブームがいつか去った後も、新たなポピュラー心理学用語が出てくるだろう。そして、それはまた、人々を魅了する「優しい言葉」であるのだろう。

僕は本書をきっかけに、「自分に優しい言葉」に対する向き合い方が変わったように思う。

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