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【ケーキの切れない非行少年たち】衝撃的な指摘であるが、最後は少し尻すぼみ

**オススメ度(最大☆5つ) **

☆☆☆

この本を知った時、タイトルが非常に秀逸だと思った。
このタイトルだけで、非行少年たちの知能について言及されている本である事がすぐにわかる。

"ケーキ"という甘い言葉と、"非行少年"という不安な言葉との対比も印象的で、非常にインパクトのあるタイトルだ。

〜「反省以前の」非行少年たち〜

著者は児童精神科医として、様々な非行少年たちと出会ってきた。
その中で、認知能力が弱く、タイトルの通り「ケーキを等分に切れない」だけでなく、長文を理解出来なかったり、数字を量として見れなかったり、「見る」「読む」「聞く」などの能力が低く、著しい知的障害の傾向が見られた少年少女たちに多くいる事を知るのだ。

著者はそんな彼らのことを「反省以前の」非行少年たち、と書いている。

犯罪を犯したのであれば、その罪に対する償いや反省をする事で、いわゆる更生につながるのだが、著者が出会ってきた少年たちは、犯罪を悪いことだと認識していないので、そもそも反省が出来ない。中には、反省という概念すら無い少年もいるのだ。
「人を殺してみたかった」という理由で殺人を犯した少年には、罪の意識などない。これは、彼が冷酷な人間性を持っている残酷な少年だ、という事ではなく、殺した人の痛みや苦痛を認知したり理解する事ができない少年なのである。
そして、人を殺すことでその後自分がどうなるのか、という事も考えられない。少年院に連れてこられた理由すら理解出来ない、という事があるというのだ。

この他にも様々なケースの少年たちのエピソードが語られているのだが、どれも衝撃的である。

〜一定の確率で存在する隠れた知的障害の人々〜

さて、では少年院で勤めた経験を持つ著者が、非行少年たちの認知能力の低さに気づき、何を危惧しているのか。

それは、学校や医療の現場では認知能力の低い少年たちに気づかない、という事実を危険視しているのだ。

一般的に流通している基準では、「IQ(知能指数)が70未満であれば知的障害である」とされているが、1950年代ごろにはその基準が「IQ85未満」とされていた時期があったそうである。
しかし、「IQ85未満」を基準とすると、全体の16%ほどの割合で知的障害であると診断する事になり、あまりにも、多く支援体制に合わないなどの理由から基準を「IQ70未満」に引き下げた、という経緯があったそうだ。

つまり、かつては知的障害とされていたIQ70〜84の少年たちは今の基準では「知能指数的には問題ない」と診断されてしまうのだ。
そして、著者によると、IQ70〜84というのは全体の14%ほどだそうだ。つまり、6〜7人に1人は隠れた知的障害を持っている、という事になる。

「知的障害ではない」と判断された隠れ知的障害の少年たちは、普通の学校、普通の社会で普通の人々と生活をしなければならない。
しかし、認知能力の低い少年たちは、授業に集中出来ない、協調性が無い、会話をうまくする事が出来ない、コミュニケーションがとれない、などの問題を抱え、それをみた教師は「不真面目だ」「言うことを聞かない」と問題児扱いすることとなる。さらには、それがきっかけで同級生からはイジメを受ける事もある。
実際、著者が出会った少年の中には、その認知能力の低さが原因で、深刻なイジメを受けた少年がいたし、悪意を持った同級生に非行の道に引き込まれる少年もいたそうだ。

本来なら支援を受けるべき存在であるはずの隠れた知的障害を持った少年たちが、「知的障害ではない」と診断を受ける事で、ハンデを持ったままま普通の社会で生活しなければならず、それが原因で周りの人間から阻害される生活を強いられてしまう。
そんな生活は彼らにとって重いストレスとしてのしかかり、非行の道へと進み、行く末は犯罪に手を染めてしまうのだ。

この指摘はかなり衝撃的なものであった。

〜で、彼らを救う方法とは?〜

隠れた知的障害を持った少年たちの苦しみは、教育現場はおろか、保護者ですら気づかない。
では、そんな彼らを救うために、そして、非行少年たちの犯罪を減らすために、社会はどのように変わっていけば良いのだろうか。

個人的には、この衝撃的な指摘に対して、この本がどのような解決策を提示するのだろうかというところに非常に興味があったのだが、最後はなんとも腑に落ちない結論が書かれていた。

著者は教育現場で解決することや、司法でも解決は難しいとした上で、著者自身も研究会を立ち上げた「コグトレ(認知機能強化トレーニング)」が有効である、としているのだ。

認知機能向上の支援として、少年院でも一定の効果をあげているトレーニングであるそうだ。

医学博士である著者にとっては、認知機能の低い少年たちへの支援と言えば、やはり彼らを"治す"という方法を提案するだろう。

そして、彼らを更生し、社会に貢献できる人間に治療・教育出来れば、社会にとって有益なのはよくわかる。

しかし、僕としては、そんな認知機能の低い少年たちの"被害者"となってしまった人たちの事が気になって仕方がない。

もちろん、非常に難しい問題で、一冊の本で解決策を書けるような問題ではないことは充分承知の上だが、

隠れた知的障害者である人々をどのように社会が気づいてケアするべきなのか、そして、彼らの被害者となってしまった人たちをどのように社会が救うべきなのか。

そういったところに最後は少し提言して欲しかったところがある。

問題提起の内容が非常に衝撃的だっただけに、ラストに期待し過ぎてしまったところがあったように思う。

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