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わたしが山本文緒さんを読んでいたころ

先日、新聞を開いたら、山本文緒さんの訃報の記事に飛び込んできました。
ショックでした。
ファンだったのか、と聞かれたら、そうかもしれない、と中途半端なことしか言えません。
持っている本も「ブルーもしくはブルー」と「恋愛中毒」の2冊だけ。
でも、山本文緒さんの名前を見かけたり耳にしたりすると、思わず立ち止まってしまうのです。

わたしが山本文緒さんの小説に一番触れていたのは、中学生から高校生のいつまでだったか。
集英社コバルト文庫の季刊誌「Cobalt」を読んでいたころでした。
教科書の文学小説は、退屈でよく分からない。だけど、これは読みやすくて面白い。
それに、限られたお小遣いで本をいろいろ買うのは厳しいけれど、雑誌なら、いろんな作家さんのいろんな小説が読める。
そんな理由で買い始めたころ、山本文緒さんは20代でコバルト・ノベル大賞の佳作を受賞し、少女小説家としてデビューしたばかりでした。

Cobaltに載っていた山本文緒さんの小説は、じつはあまりよく覚えていません。
ただ、読むのが楽しみな作家さんのひとりでした。
デビューして間もない時期にわたしが読み始めたこともあり、勝手に親しみを抱いていて、育つのを見守るような気持ちもありました。生意気な中学生ですね笑。
それと同時に、わたしは山本文緒さんを、少し先の未来の自分のように夢見ていた気がします。

1980年代後半、当時のコバルト文庫の主人公は、だいたい中学生か高校生の女の子でした。
ちょっと身近にありそうな、なさそうな、ドタバタした物語も多く、これなら自分にも書けるかも、などと妄想したものです。
そんな中で山本文緒さんの小説は、どこか自分の素の感情と地続きでつながっている感覚がありました。
わたしも、もう少し大人になったら、このひとのように小説家になってデビューする。
きっと、きらきらした素敵な毎日に違いない。
そんなことを思いながらCobaltを読み、自分の未来を夢見ていました。
それも、ほぼ確信を持って。

といっても頭の中に浮かぶストーリーは、二番煎じどころか出がらしのような妄想の入り口だけ。それも現実と願望がごちゃ混ぜで、今思い出すと恥ずかしくなるものばかり。

たとえば近所の大通り沿いの、らせん階段のある喫茶店。中学生のわたしには、とても垢抜けて見えた(一度も入ったことはない)。
数年後、そこで同窓会をする。好きだった男の子に、綺麗になったね、と言われてドキッ。
どうしよう、わたし、彼氏がいるのに。
イケナイ恋の予感…!(なんじゃそりゃ笑)

たとえば塾の帰り道。
人気のない通りで、週刊誌のカメラマンに追われた人気絶頂の男性アイドルと激突。
そのまま成り行きで一緒に逃避行するハメに。
ハラハラドキドキの冒険の始まり…!(それ犯罪だから爆笑)

けっきょくそんな妄想は結末まで到達せず、中途半端にどんどん溜まるばかり。
それでも、もう少し大人になれば、その先が浮かんで素晴らしい物語が書けるはず、とわたしは信じていました。
(久しぶりに妄想の数々を思い出し、ひとりで赤面しています笑)

※※

やがてその町から遠くへ引っ越し、大人という年齢になっても、妄想はそばにありました。
だけど、それらはずっと入り口にとどまったまま。結末まで到達しません。
確信のような夢も、少しずつ現実へとシフトしていきました。

そのころ読んだのが、山本文緒さんが少女小説から一般文芸へ移行してまもなくの「ブルーもしくはブルー」です。
自分が選んだかもしれない、もうひとつの人生を生きる「私」と「私」。
そっちの方が幸せだったかも、と夢見るけれど、果たしてそれは本当だろうか、という物語。
ショックでした。
現実ではあり得ない話なのに、いろいろ突っ込みどころ満載なのに、不思議とリアリティがある。
なにより、「私」の闇がわたしの中にもあることに気付く。怖い。

そして、そのあとに読んだ「恋愛中毒」。
圧倒されました。
主人公は、離婚経験があり、恋愛に傷付いた女性。
前半は主人公に共感しつつ、後半に進むにつれ彼女の狂気に、えっ?となる。そのときにはもう、読む手が止まりません。
彼女の行動の数々は、わたしにはあり得ない。狂っているとしか思えない。
だけど、分かる。彼女が囚われている感情のひとつひとつを、わたしも知っている。
なんでだろう、わたしにはそんな経験ないのに。
そこでふと、Cobaltで山本文緒さんを読んだいたときの地続きの感覚を思い出し、ああ、とため息が出ました。
たとえあり得ない展開でも、物語の世界と読む人の感情を、このひとはつなぐことができる。
だから地続きでつながっているように感じるんだ。
わたしには、できない。妄想は妄想のまま、夢は夢のまま、現実とぜんぜん違うところでひらひらしている。
小説家って、すごい。 
山本文緒さんというひとは、すごい。

※※※

大人になったら、と確信していた夢は、いつしか現実の中に飲み込まれて消えていきました。
それでも「山本文緒」という名前を目にすると、さまざまなものが浮かんできます。
それは、らせん階段の喫茶店や、塾の帰りの夜道や、現実と願望がごちゃ混ぜの妄想や、無邪気に確信していた夢など、青春と呼ばれる記憶です。
山本文緒さんの訃報の記事を目にしたとき、それらの風景や感情がはっきりと浮かんできました。
その場に立てばすべてが戻るような、そんな錯覚さえ抱きました。
でも、あれから何十年も経って、あの風景はどこにもない。
同じ土地に立ったとしても、まったく変わっているに違いない。
記憶の中では、こんなに鮮やかなのに。
訃報の記事を読みながら、涙があふれてきました。

あの喫茶店の扉を開けたら。この夜道を歩いていけば。もう少し大人になれば。
そんなことを夢見ていた日々。
いつしかそんな夢は消えてしまったけど、未来を無邪気に確信していたあのころを、愛おしく思います。
そして、未来の自分と勝手に夢見ていた山本文緒さんを、その後、恋愛小説の名手としてさまざまな感情を味わせてくれた山本文緒さんを、いつまでも心に刻んでいたいと思います。

山本文緒さんのご冥福を 心よりお祈りいたし
す。





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