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地理屋です。2021年3月に大学教員を辞めました。

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  • 景観からみた地域性—日本橋川周辺を事例として—

    1993年度の卒業論文です。いまから30年近く前につくったもの。稚拙な点はご容赦くださいませ。なるべく原文のママで再掲していきたいとおもいます。 写真は1993年11月撮影のものです。

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景観からみた地域性〜写真集(1993年11月当時の日本橋川周辺・新常盤橋〜豊海橋まで その2)

図 写真撮影場所(再掲) 3.日本橋を中心とする地域(新常盤橋〜茅場橋:写真28〜43) 写真28 新常盤橋(橋詰空間の植栽が整備されている) 写真29(上)常盤橋公園と旧常磐橋 写真30(下)常盤橋(旧常磐橋から) 写真31 一石橋(北詰から) 写真32 一石橋迷い子知らせ石標(金網の中の石碑、後ろは一石橋の橋柱。一石橋南詰西側) 写真33 日本橋三越本店(右)(西河岸橋北詰) 写真34 西河岸橋北詰東側橋詰広場と碑 写真35 西河岸橋からみた日本橋

    • 景観からみた地域性〜写真集(1993年11月当時の日本橋川周辺・三崎橋〜鎌倉橋まで その1)

      図 写真撮影場所 1.日本橋川上流部(三崎橋〜俎橋:写真1〜10) 写真1 三崎橋と日本橋川分岐点(右手日本橋川、左手神田川) 写真2 三崎橋(飯田橋方面をみる) 写真3 新三崎橋から下流方面(川の真ん中に高架橋が通っている) 写真4 三崎橋界隈(出版・印刷業の看板が目につく) 写真5(上)新川橋(東詰から西側を望む) 写真6(下)飯田町紙流通センター(JR貨物飯田町駅構内/新川橋西側北詰) 写真7 新川橋からみた掘留橋 写真8 掘留橋(東詰から。高架橋の

      • 第6章 結論

         東京の町と深い関わり合いを持って来た日本橋川は、その時代の影響を受けて周辺地域ともどもその姿を変えてきた。こうした日本橋川とその周辺地域はどのような性格を持っているのか。以下の点にまとめる(図6-1)。 図6-1 日本橋川と周辺地域との結びつき(筆者作成) 1.「川と地域の一体感」がある地域 この地域は、川沿いの倉庫や商業地といった日本橋川を中心にした街並みがみられる地域である。また、以前ほどの中心性はないものの、金融・証券の中心地であり、日本橋川周辺では最もにぎやかな

        • 第5章 日本橋川周辺の地域区分

           わずか5kmほどの日本橋川の周辺には、色々な歴史が積み重なり、東京の町の中で周囲から影響を受けながら、ここの性格を作り上げてきた。川には23もの橋が架かり、水辺とその周辺地域との接点としてその性格を特徴づけてきた。日本橋川とその周辺地域の歴史・警官の特徴をもとに、日本橋川周辺地域を以下のように地域区分した(図5-1)。 図5-1 日本橋川周辺の地域区分(筆者作成) 1.ウォーターフロント再開発波及地区(豊海橋〜湊橋間)  日本橋川下流部のこの地区は、三井倉庫の再開発や湊

        景観からみた地域性〜写真集(1993年11月当時の日本橋川周辺・新常盤橋〜豊海橋まで その2)

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        • 景観からみた地域性—日本橋川周辺を事例として—
          11本

        記事

          第4章 日本橋川周辺の景観の共通性と独自性

          第1節 景観の共通性と独自性 第2章・第3章では、日本橋川周辺の景観の歴史的背景をみてきた。これらにより、現在ある景観は歴史的重層性の上に成り立っていることがわかった。そこで、本章では、時間軸ではなく地域の拡がりを軸として景観を分析する。この分析は、景観の共通性と独自性を視点とする。  それでは、景観の共通性と独自性とはどのようなものなのか。辞書によると「共通」とは、「一つの事柄が二つ以上のもののどれにもあてはまること」とある*23)。つまり、景観の共通性とは一つの景観のあ

          第4章 日本橋川周辺の景観の共通性と独自性

          第3章 景観における歴史的重層性(第4節・5節・6節)

          第4節 景観と震災復興1)第3期の景観とは 関東大震災からの復興期は、東京の町の再構築に絶好のときであった。この復興事業により、景観上の特徴が形成されている。日本橋川には数多くの橋がかけられているが、そのうちの数橋はこの復興事業により架け直され、特徴ある景観を形成していた。これとあわせて、橋爪空間の整備がおこなわれ、都市の美観を考えた橋詰広場が設けられたのである。  また、橋詰には個性的な建物が建てられ、川はまだ町のなかでその存在を示していた時期であった。 2)復興期の構

          第3章 景観における歴史的重層性(第4節・5節・6節)

          第3章 景観における歴史的重層性(第3節)

          第3節 文明開化の名残の景観1)第2期の景観 第2期は、江戸期の影響を色濃く残しながら、新時代の姿を模索した時期であり、脱亜入欧の風潮とともに、数多くの西洋建築、もしくは和洋折衷の建築物が建設された時期でもある。また、江戸自サイトは異なる機能を持った町なども形成されている。 2)景観上の特徴となる構造物の存在 日本橋川周辺には、第2季の様子を伝える特徴的な構造物が数多く存在している。旧常盤橋は、前述の常盤橋門跡とともに日本橋川の景観上の特徴の一つである(写真29:再掲)。

          第3章 景観における歴史的重層性(第3節)

          第3章 景観における歴史的重層性(第1節・2節)

          第1節 景観と歴史の重層性 日本橋川周辺を歩くと、さまざまな景観が見られる。こうした景観には、その地域を代表するような景観上の特徴が存在している。このような景観上の特徴は、どのようにして形成されてきたのか。こうした特徴は、これまでの歴史の積み重ね、つまり歴史の重層性により形成されてきたものであり、それは現在という時間の一断面の姿であると考える。  本章では、これに従い景観上の特徴を歴史的側面から捉えることで、日本橋川とその周辺地域との「結びつき」を明らかにしていく。 第2

          第3章 景観における歴史的重層性(第1節・2節)

          第2章 日本橋川の変遷(第3節・4節・5節)

          第3節 水運の衰微期(第2期)1)鉄道の開通と河川交通による都市間輸送 江戸時代以来、河川交通(以下、水運とする)は都市内だけでなく、都市間の人や物資の輸送の重要な担い手であった。それは、利根川を中心として川沿いに多くの河岸を有し発展していた。明治期に入って鉄道が開通してからも、水運はそれと競合しながら貨物輸送を受け持ちつづけていた。しかしながら、都市間の水運は新しい治水技術*5)の導入により大きな打撃を受けた。河川の両側には高い堤防が築かれ、河岸の機能が失われたためである。

          第2章 日本橋川の変遷(第3節・4節・5節)

          第2章 日本橋川の変遷(第1節・第2節)

          第1節 時期区分 日本橋川の歴史を述べる上で、時間の流れを四つの時期に分けて整理することにする。これにより、水路の果たした役割の変化がはっきりすると考えられる。 第1期:江戸城城下町の形成と発展期 第2期:水運の衰微期 第3期:水運の転換期 第4期:水路としての終焉期  第1期では、江戸の町と城郭の整備による河川の付け替えや水路の開削など、水路の整備がおこなわれた、主に江戸時代前半についての日本橋川との関わり合いを、第2期では、江戸〜東京市街に広く整備された水路網を利用し

          第2章 日本橋川の変遷(第1節・第2節)

          第1章 序論

          第1節 研究目的 河川から人間はさまざまな恩恵や災害を受けてきた。河川から受ける恩恵としては、飲料水や生活用水などの水、河川からの水産物、河川の運搬・堆積作用による肥沃な土壌などがある。反面、災害には、洪水や渇水などの被害がある。このように人間は、こうした河川による恩恵や災害の両面を被りながらも、河川を水運などに利用してきた。このような人と河川の接点となる水辺には、その時代時代に、人間と河川との関与形態としての景観が存在してきた。  近世の江戸市街には水路が網の目のように張

          第1章 序論

          断捨離と気恥ずかしさ

          おはようございます。断捨離をやっていたら、過去の(恥ずかしい)資料が出てくる…なんだか、むずむずしました。また、PC関連の「箱」も多数しまい込んでいました。懐かしいところでは、PowerMacG4のノートや、VAIOノート505などの箱。すべて処分しましたが、箱のつくりが分別しにくいなど、思想の違いを感じました。 気恥ずかしいものと言えば、論文です。出てきました、卒業論文。私は1994年3月に地理学科を卒業しました。なんと27年前です。地理はもともと好きな教科でしたが、大学

          断捨離と気恥ずかしさ

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          こんにちは。takiraです。人文地理学者です。 醬油醸造業の研究を皮切りに、地域資源・地域ブランド、福島での災害からの復旧復興プロセスなどの研究をおこなってきました。 2016年に熊本へ。赴任直後に2016年熊本地震に遭いました。何故か学生ボランティア活動の支援をやることになり、学生災害ボランティアについていろいろと考えさせられました。ボランティアの世界、難しいところでした。 人生の節目を迎えたこと、コロナ禍もあり親のいる関東へ往き来しにくくなったこと、学内の諸事情、自

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