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第1章 序論

第1節 研究目的

 河川から人間はさまざまな恩恵や災害を受けてきた。河川から受ける恩恵としては、飲料水や生活用水などの水、河川からの水産物、河川の運搬・堆積作用による肥沃な土壌などがある。反面、災害には、洪水や渇水などの被害がある。このように人間は、こうした河川による恩恵や災害の両面を被りながらも、河川を水運などに利用してきた。このような人と河川の接点となる水辺には、その時代時代に、人間と河川との関与形態としての景観が存在してきた。

 近世の江戸市街には水路が網の目のように張り巡らされ、ここではこれらの河川を利用した水上交通が発達していた。このような河川の一つとして平川(神田川・日本橋川の古称)があった。当時の平川は、この河口の沖積低地に江戸市街が形成されたという点でも、隅田川と並ぶ、江戸を代表する河川であった。

 この平川の下流部にあたる日本橋川には、(現在※)首都高速道路が架設され、景観などにおいて、プラス面の少ない河川となっている。しかし、この川には23本もの個性豊かな橋が架けられており、それぞれの橋やこの周囲の景観からは、水運が盛んだった頃の様子や、高速道路の開通以前の状況を推測することができる。

 本研究では、まず、景観に時代時代の地域性が重層的に存在しているのではないかと考え、景観の特徴から川と周辺地域の「結びつき」を明らかにする。さらに、景観の共通性や独自性を分析することにより、日本橋川周辺を地域区分し、その地域性を総合的に把握することを目的としている。

第2節 研究対象地域

 研究対象地域は、日本橋川とその周辺地域である。日本橋川は、千代田区の三崎橋で神田川より分かれ、皇居の東側を廻り、中央区の永代橋上流付近で隅田川に合流する、全長4.84kmの荒川水系一級河川である。周辺には官庁街や金融街が立地しており、東京都の中心部を流れている河川である(図1-1)。

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図1-1 日本橋川の位置(筆者作成)

 この川には、一ツ橋や日本橋・江戸橋など歴史的に著名な橋が架かり、古くから東京の町と関わりの深い河川である。太平洋戦争以前まで、江戸時代からの水運が盛んにおこなわれ、東京の町の動脈としての役割を担っていた。こうした役割は失われてしまったが、この名残はまだ周辺地域にあり、地域を特色づけるものになっている。

第3節 研究方法

 研究方法としては、まず、参考文献により日本橋川の歴史を調べ、この川が江戸の町の発達とどのように関わってきかたを把握したあと、現地調査として、日本橋川に架かる橋とその周辺地域の写真を撮影した。さらに、景観整備などに関して、東京都建設局に対して聞き取り調査をおこなった。

 本研究において重要な語句である景観については、必要な資料・文献を収集、分析をおこなった。そして、従来の景観の定義を踏まえた上で、本論文では景観を「(1)事象の持つ歴史の重層性が地域的にあらわれたもの。(2)他との共通性はあるが、基本的には独自性を有している。(3)つまり景観は地域性を総合的に表現するものである」と定義した。

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