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「成果を出せる人」と「成果を出せない人」の大きな違い


成果とは、成し遂げた好ましい結果。

成し遂げた好ましい結果を出すためには無論、「努力」次第である。

誰もがそう信じているし、実際そのとおりである。

じゃぁ、その努力が2倍、3倍、10倍になれば、それに比例して成果は2倍、3倍、10倍になるか?

残念ながら、何かしらの結果を生み出すかもしれないが、必ずしも好ましい結果が出るとは限らないようだ。

がんばっているにもかかわらず、望んでいる結果がなかなか出せないということです。

例えば、学生時分の部活動の練習は、誰もが同じ練習内容で同じだけのトレーニング量をこなします。なのに、グングン伸びる子もいれば、そうでない子もいる。

もしかすると、伸びる子は個人的に別のトレーニングをしているのかもしれませんが、ここでは「隠れた自主トレ」はなしで話を進めていきます。

(もちろん自主トレはしたほうがいい、いや、してください。)

さて、結果を出す人、伸びる人、望み通りの成果を出す人は、アタリマエの如く「努力」をしています。

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『努力したものが必ず報われるとは限らない。しかし成功する者は少なからず努力をしている』

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大作曲家「ベートーベン」の有名なこの名言のとおり、努力なしに成果はだせない。どうしても努力をしないで結果を出したいのなら、「夢の中」で漫喫してください。

とはいっても、努力をしても、結果がなかなかでない人、伸び悩む人、成果を出せない人も、同様に弛まぬ「努力」をしているはずなのだ。

どうしてか? 努力によって成果を出せる人と、出せない人の違いはどこにあるのだろう。

やはり、「努力の量」の違いなのだろうか?

もちろんそれもあります。量を重ねることにより、少しづつではあるが努力はいずれ報われる可能性は大。

それに、『量は質を凌駕する』という諺(ことわざ)が合理的であるならば、量を重ねるごとにムリ・ムダ・ムラが徐々に最適化され、努力の効率化も図れるでしょう。

ですが、量を重ねるということは、それだけ時間を要する事であり、この目まぐるしく変化の激しい時代の流れから察するに、できる事なら最速で結果を出せた方がいいにはいい。

あの、松下幸之助さんも、こんなことを言っております。

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『 石の上にも三年というが、三年を一年で習得する努力を怠ってはならない。 』

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これまで、自分なりに努力を重ね、懸命にがんばってきた。諦めないことを心に誓い歩みを止めずに続けてきた。そんな努力家のあなたにぜひ、知っておいてほしいことがあります。

あなたの努力を重ねつづけてきたその頑張りに、「努力密度」を上げるための一つの真実をここで知っておいてほしいのです。

成果 = 努力 × センス

そう、成果を出すためには、努力に加え、努力では補えない「センス」が必要なのです。

そして、成果を出す人とそうでない人の違いは、まさしく「センス」があるかないかの違いなのだ。

センスって何? わかってそうだがよくわからない・・・

そりゃそうです。子供のころから「努力」の仕方は教わった経験はあるが、「センス」に関することは、誰も教えてはくれませんでした。


「センス」とは


「センス」と聞いて、あなたはどう解釈しますか?これまで何度か使ったことがある言葉であるはず。

たとえば、「あの人はセンスがある」という使い方をしますが、何を意味しているのか、おそらく曖昧ななままの方も多いはず。

もしかすると、生まれつきの「才能」のようなものだ思っているかもしれない。確かに、センスとは「才能」だとされています。

一般的にセンスの意味を、 ” 理解や表現の仕方の良さ ” だと解釈されているようです。

「センス = 才能」であるならば、それは先天的なもの、つまり、生まれつきのもので、然るに、センスのない人は身に着けることはできないということになります。

そう聞くと、センスがあるかないかは生まれながらにして確定してしまっていることになってしまいます。

どうです? 半ば諦めろって言われてる感じがしますよね。

ですが諦めることはありません。じつは、センスは「先天的な才能」だけでなく、「後天的な才能」でもあるのです。

「才能」という言葉を使ってしまうと、なぜかそれだけで「先天的に特別にあたえられたもの」だと思い込んでしまうので、ここでは「能力」という言葉を使って説明します。

後天的な「センス」とは、” 物事の微妙な変化を感じ取る能力・判断力の能力 ” という意味を持っている。

そして、先天的な要素もあるかもしれないが、ほとんどが「後天的に磨かれた能力」によるものです。

もう少しわかりやすく言うと、「ちょっとした違和感に気付く能力」、つまり、「ん?なんか違うぞ?」という “ 的外れになってしまっていることに気づけること ” を「センス」という。

実は、センスにはいろいろありまして、タイミングの違いに気付くセンス、力加減を判断できるセンスなどがある。

そして、そのわずかに的外れになってしまっている状態に素早く感覚的に気づき、状況に応じて判断できることを、「センスがある」という。

例えば、「あなたファッションのセンスあるねー!」ということは、「あなたは状況に合わせた洋服の選択ができるねー。」と言い換える事ができます。


「センス」を磨くために欠かせないこと


では、センスをよくするためにはどうすればいいのでしょうか?

いってみれば、センスがいいとは、勘違いをしているう状態に対して、

的外れになっていることに気づき、もっともいい具合の状態に素早く軌道修正できることをいいます。

つまり、いい具合の状態で努力をすれば、その努力もセンスのいい努力を重ねる事ができ、成果をだしやすくなるということです。

後天的なセンスとは、勘違いしていることに気づき、すばやく修正できる能力ともいえます。

何がどう勘違いしているのか、その勘違いを真っ当なものへと軌道修正するためには、「目的意識」をもって取り組むことが重要になってきます。

目的意識とは、あなたが努力によって成熟させたいと思っている「成果」です。目的意識がないまま取り組んだとしても、目的から外れる、つまり、的外れの努力になってしまう。

そして、的外れな努力をいくら重ねたとしても、それを人は「センスがない」なんていったりもする。

例えば、「歩く」という行為で例えてみましょう。

仕事を終え、ダラダラと歩きながら家に帰る人と、颯爽と正しいフォームで心拍数を意識して歩く人がいます。

前者の「歩く」は、家に帰る事だけを意識した「歩く」です。一方、後者の「歩く」は、運動不足の解消、ダイエットなど、ウォーキングトレーニングを意識した「歩く」です。

少し極端な例ですが、何となく分かってきたでしょうか?

前者は家に帰る事が目的で「歩く」事には全く意識していませんが、後者は「歩く」行為そのものに強く意識しています。そこに目的があるからです。

つまり、同じ「歩く」でも、目的を意識しているのと、していないのとでは「歩く」行為に対する「センス」が大きく違ってくる。ということです。

センスとは、 “目的(望んでいる成果)から 的外れになってしまっていることに気づけること ” なのです。

では、目的意識をしっかり持って努力すればセンスは磨かれ、成果をだすことができるのか、といえばそうでもない。

ここからが、さらに重要なポイントです。

目的がしっかりしていても、取り組んでいるときに、「迷い」や「不安」、「邪念」などが入り込んでしまうと、知らず知らずのうちに「的外れ」になってしまうことがあるのです。

努力をする時、迷いや不安が一切ないとしたら、ストイックに「行動」する事ができるはずです。

しかし、人は、「行動」をする前に、必ず「迷い」「不安」など、行動にブレーキをかけてしまう「感情」が邪魔をする。

「よし、やろうー!」と思っても、「こんな事でいいのかなぁ」とか、「もっと簡単にできる方法ないかなぁ」とか、「ホントにこのままでいいのかなぁ」など、しなくてもいいはずの「迷いの感情」が先だってしまう。

「あの人がしているから自分もしなくちゃ」とか、「そんなことやっても意味ないよ」など、センスを下げようとするセンスキラーに惑わされてはいないだろうか?

あなたが、「これをやる!」と決めた瞬間、「目的」はちゃんとハッキリしています。そして、やるべき事にも迷いなく集中し、行動にフォーカスしようとする。最も最適な状態なのです。

「これがしたい!」「こうしよう!」と直感的に判断したら、思い立ったが吉日、 “ すぐ ” に取組まないと、忽ち「不安」「迷い」が襲いかかってきちゃいますよ。

本来なら、目的に向かって、ただストイックに取組めばいいはずなのに、いらん感情が、集中力を低下させ、努力にフォーカスできなくなってしまうのです。

では、目的意識を邪魔させようとする不安や迷いを排除するにはどうすればいいか。

ここで、努力をするとはどういうものなのかを確認しておきたいと思います。

あなたは努力することを「苦労」だと思ってはいないだろうか? とにかく苦労をすれば必ず成果を出せるものだと思ってはいないだろうか?

いえ、努力とは苦労ではなく、” がんばることを楽しむこと ” です。

苦労してると感じながらの接客やサービスは質が低くなるし、苦労してると感じながら作った商品はクオリティが低くなります。

努力することが苦労だと思っていると、本来のパフォーマンスを低下させてしまうこともあるわけです。

苦労だと思っているとそのあとは苦労しかやってはこない。苦労すれば報われるというのは、アクセルを全力で踏みながら、ブレーキを思いっきり踏んでいるようなもの。

信じがたい話ですが、「苦労すれば報われる」という言葉が重要だと思っていると、無意識的に、苦労ができる情報を見つけ、あえてそれを手にしてしまうのです。

苦労すれば報われるというのは、心身を痛めつける負のループへと、無意識に足を突っ込んでしまうことなのです。

努力によって成果を出せる人に共通していることは、目指すべき目的(ゴール)がしっかりと定められていて、勘違いしていることに気づいたとき、すぐに軌道修正することに迷いや不安に躊躇うことなく、むしろ、「楽しむ」ことができるのです。

少し話が横道にズレてしまいましたが、改めて「センス」とは何かを確認しておきます。

センスとは、「目的」をしっかり意識すること。

そして、的外れになってしまっていることに気づき素早く修正する こと。

さらに、努力することを苦労とせず、楽しむことだと意識することです。

センスとは、先天的な「才能」ばかりではない。

それに、生まれながらに「才能」があると認められてしまうと、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れるかもしれない。

しかし、生まれつきの「才能」がない者は、何とかしようと日々努力する「心構え」がまるで違う。

いかに、目的に応じて集中し、楽しみ、夢中に取り組むことができるかどうか、という後天的な意識力によってセンスは磨かれてゆく。

これが大事。

「センス」とは、「SENSE(センス)」。すなわち ” 心持ち ”

センスがあることが才能ではなく、才能とはセンスを磨き上げていく能力のことだ。

成果 = 努力 × センス

成果 = 努力 × 目的意識 × 軌道修正 × 楽しむ

奇跡は偶然を装って、頑張る人の前にあらわれる。

迷わずこっちに行けと、あなたの中のジブンが命じるんだ。


今回も、最後まで読んで頂きありがとうございます。

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