わたしは『ちゃんと』ができない
ちゃんとする。
しっかりやる。
計画して実行する。
わたしはそれがどうしてもできない。
もう【大人】なんだから、しっかりしなきゃ。
ちゃんと自立した女性でなきゃ、健全な結婚生活は送れない。
旦那さんを支えられる女性にならなきゃ。
ちゃんとしなきゃ。
しっかりしなきゃ。
【ちゃんとする】
【しっかりする】
こういうことを考えると、心がギューッとなる。
身動きが取れなくて、私が私ではなくなって、他の誰かを演じる感覚になる。
私はどうしても、【ちゃんと】できない。
やるべきこと<やりたいこと
なのだ。どうしても。
今年に入って、【ちゃんとしてる人】にすごく憧れた。ちゃんとしてて、結果も出してて、社会的地位もどんどんあげていった人。
その過程も全て見ていた私は、『私もこうなりたい!!』と思った。
で、実際に行動してみた。
その人が通ってきた道を、私も通ってみた。
……つらい。笑
なんかさぁ、やっぱり性質ってある。
ちゃんとできないといっても、普通に社会生活はおくれていて、仕事はしてるし、多分世の中的にはめちゃくちゃ普通にちゃんとしてるのだ。
ただ人よりちょっとイマジネーションがゆたかで、好奇心が旺盛で、気になったらやってみないと気が済まないちょっと破天荒な性格なだけで。笑
あるがままの自分の性質を認めて、良い意味であきらめるってすごく大事だなと思った。
豊かさって一体なんなんだろうって私はずっと考えていて、その人は『豊かに生きること』を提唱していたけれど、私は彼女の後を追ってどんどん笑顔をなくしていったのだ。
自分の『幸せ』の感覚を、他人の物差しで測ることの無意味さ。
『豊かさ』や『幸せ』について、他者から学ぶことの危うさ。
私の幸せは私の中にしかなく、私の感覚が全て。羅針盤は私の中に内蔵されていて、その声を聞けるのは私だけなのだ。
そんな当たり前のことをすっかり忘れていた。
私はもうじゅうぶんだ。
私の人生に必要な程度にはちゃんとしてる。
そしてすでに幸せである。
将来に対する不安も別にないし、生きていくことに対する恐怖感もない。
大好きな人がいて、大切で、大切にされていて、大好きな仲間もいて、友人もいて、私には居場所があって。
これらは全て、私が4年かけて築き上げた心の城であって、私はもうすでにとても豊かだったのだ。
それに気がつかなかっただけだ。
高く高く城を積み上げることにばかり気が向いて、もうすでに在るものに目を向けることができていなかっただけで。
これからは『もうすでに幸せである』ということを前提に生きていく。
ちゃんとなんてしてなくて良い。
しっかりもしてなくて良い。
それでも私は与えることができている。
私はそういう性質で、そういう存在なのだ。
幸せだとささやく私自身の心の声を、ただ拾って感じて生きて行こう。
私の人生は私のものだ。
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