見出し画像

「男性の生きづらさ」とは何か?

 
先月、世界経済フォーラムが『世界ジェンダーギャップ報告書』の2024年版を発表しました。それぞれの国が、①教育、②健康、③政治参画、④経済参画の四つの領域で、ジェンダー平等をどれくらい達成できているかを、各種データから評価したもので、毎年6月にその結果が発表されています。

本邦はそこで、146か国中118位というたいへん不名誉かつ残念な評価を下されており、それはもちろん先進国のなかではぶっちぎりの最下位であるとともに、国際社会全体のなかでも下から数えたほうが早いくらいの劣等生であるということを意味しています。要するに日本は、ジェンダー平等の明白なる後進国なのです。

もちろんそれらはこの山形においても根強く存在しており、解消のためのとりくみが必要です。ということで、筆者は現在、ジェンダー不平等のもとで「生きづらさ」を抱えている人びとに寄り添い、彼(女)らを支援しつつ、社会に埋め込まれた差別や排除を解除していく活動に、ここ山形の地でとりくんでおります。
 

 
おや、と思った方がおられるかもしれません。「〈男の人〉なのにジェンダーの活動をしているの?」「女性の生きづらさは〈男〉なんかには理解できないのでは?」「せっかくの女性の活動なのに結局〈男〉がでてくるわけ?」――そんな声が聞こえてきそうです(実際に似たようなことばを投げかけられたこともあります)。

筆者らSisterhoodの活動は、代表の小笠原千秋自身がそうであるように、ジェンダー秩序の被害経験者あるいはサバイバーの方たちが集い、安全・安心な場のなかで思いを言葉にし、それを社会に届けようという当事者運動であり当事者実践であります。当事者だけの時空間だからこそ、それが可能になるわけです。

だとしたらなおのこと、〈男の人〉である筆者がそこに関わるのは「?」ということになるでしょう。でも、ちょっと待ってください。先にSisterhoodは「当事者運動であり当事者実践である」と書きました。いったいそれはどういう問題の当事者運動/実践なのでしょうか。

私たちが対峙しているのは「ジェンダー秩序」すなわちジェンダー不平等が埋め込まれた社会構造です。すなわち、本来多様であるはずの人びとのさまざまな性/生を〈男〉と〈女〉という二つのどちらかに振り分け、振り分けられた性別に基づく役割(ジェンダー役割)に沿ってふるまうよう私たちに強いる社会構造です。

例えばそれが〈男〉であれば、その人は〈男らしく〉、すなわち強い自己を保ち、世にあふれる競争や戦いに勝ち、庇護下の人びとを守るとともに、リーダーシップを発揮して善導するといった言動を心がけねばならない、とされています。それができなければ、その人は〈男らしくない〉との烙印を押されます。

あるいはそれが〈女〉であれば、その人は〈男〉のリーダーシップをさまざまに支えること、すなわち〈戦う男〉を銃後で支え、その傷や疲労をやさしさや気配りで癒したり、彼らに代わって家事や育児、介護などを献身的に引き受けたりすることが期待されます。それを逸脱すると〈女らしくない〉と非難されるわけです。

戦後日本の社会は、こうしたジェンダー役割をそれぞれに担う〈男〉と〈女〉とが恋愛、結婚を経て家族を構成し――これを「ジェンダー家族」といいます――、その家族をケアの基本ユニットとすることで安上がりの福祉をつくりだし、それによって急速な経済成長を実現してきた社会なのでした。

ちょっと話がそれてしまいましたが、要は、戦後日本社会の核心に深く埋め込まれたこのジェンダー秩序というのは、その社会に生きる(本来は多様な性/生を傾向として持つはずの)人びとを二つしかない鋳型のどちらかに流し込み、性/生の不自由を押しつける、そういうしくみなのだということです。

だとすれば、そこで潜在的あるいは顕在的暴力の被害を経験しているのは必ずしも女性だけでなく――もちろんジェンダーギャップの現状ゆえに圧倒的に被害者になる蓋然性が高いのは女性たちであるのは間違いないのですが――、男性もまたそうなのだということです。これが「男性の生きづらさ」とよばれる問題です。
 

 
要するに、男性である筆者もまた、ジェンダー不平等あふれるこの日本社会で生きてきて、さまざまな生きづらさを感じるからこそ、この問題の当事者としてSisterhoodの運動や実践にたずさわっているということなのです。では、男性である筆者の感じる「男性の生きづらさ」とはどういうものでしょうか。

筆者は現在50歳、1973年生まれの団塊ジュニアのおじさんです。思い返してみると、筆者が生まれ育った昭和から平成にかけての時代というのは、身のまわりにジェンダー規範が強固に作用し、いたるところで「男らしさ」を強いられるたいへん鬱陶しい時代でありました(まだまだそこから抜け切れてはいませんが)。

例えば、学校空間。教室での生徒たちの価値序列――現在では「スクールカースト」等と呼ばれます――は先に述べた「男らしさ」に沿ったものでした。運動ができるとか、弁がたつとか、腕っぷしが強いとか、そういう存在が支配的地位を得て君臨し、そうでない人びとを見下したり、ときにいじめたりしていたわけです。

男性学では、「男らしさ」=男性性を構成する価値について、①優越志向、②所有志向、③権力志向との整理を行っています。競争に勝ち(優越志向)、戦利品を獲得してそれらを支配し(所有志向)、他者を従えたい(権力志向)というものです。こうした原理が、教室の子どもたちのあいだにも浸潤していたわけです。

もちろんこうした学校空間の「隠れたカリキュラム」は、その背後に存在する日本の企業社会による暗黙の期待と要請とを受けて成立していたものです。そうした男性性を宿した「企業戦士」こそが求められていたわけで、学校とはそうした「戦士」たちの養成キャンプとして機能させられていた機関だったのです。

とはいうものの、建前上は「男女共学」などジェンダー平等が比較的達成されているのが日本の学校空間ですので、そこに所属しているうちに生徒や学生たちが本格的なジェンダー不平等に直面することはまれです。彼(女)らの性差別とのファーストコンタクトは、大抵は「シューカツ」あるいは「就職」の際に訪れます。

筆者の場合は「シューカツ」をせず高校の講師になったのですが、それをしなかった理由が、先輩や同期の就職活動を見ていて、就職後に求められる労働規範のありようにドン引きしてしまい、そんな場所で生きてくのは嫌だ、とても生き抜いていける気がしない、と心底思ったからに他なりません。

当時は90年代後半で、バブルはとうにはじけ、就職氷河期が始まっていて、だからこそそういう厳しい時代を生き抜くためには云々と、己さえをも殺せる強さが暗に求められていた気がします。バブル期を象徴するCMソング「24時間戦えますか、ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン、ジャパニ~ズ、ビジネスマ~ン♪」がまだまだ残響していました。

そういう風潮に何となく背を向け、好きなこと――当時は歴史学専攻――を仕事にひっそり生きていこうと講師の道を選び、高校に就職したものの、やはりそこも「企業戦士」養成所ゆえ、求められるのは男性性の規範的身体。結局2年でギブアップし、以後は「降りた人びと」の支援に携わっていくことになりました。

筆者自身が男性性のレールから降り、同じようにそこから降りて苦しんでいる子ども・若者たちの支援に関わるようになったことについても、周囲からはなかなか理解を得るのに苦労しました。どうして負けた連中なんかを甘やかすのか、しかも正社員として働く責任を放棄してまでなぜそんなことをやるのか、というわけです。

残念ながら、NPO・市民活動はその多くが安定した財政基盤をもっていないため、それを専業とするのはなかなかに困難です。筆者もまた、不登校やひきこもりの若い世代を支援する活動の傍ら、生計を維持するために家庭教師や塾講師、ライターなどの非正規の仕事をかけもちしながら何とかかんとか生き延びてきました。

もちろんそうした生きかたは「いい年をした大人が(正社員にもならずに)ボランティアなんぞにうつつを抜かして」等とバカにされるのが一般的。もともとNPOというのも、退職後のお年寄りか時間のある専業主婦を主たる担い手に想定して設計された法人制度で、現役世代の男性が専業で関わることは想定外だったのです。

つまり筆者は、男性性が積極的に求められる職場空間で「男性の生きづらさ」を経験したのと同時に、そこから降りた先の地域社会でも、そこが男性参加を想定していない空間であるがゆえの「男性の生きづらさ」というものを二重に経験したのだと言えます。どちらもジェンダー秩序がひきおこす問題なのだということです。
 

 
NPO活動の傍ら、非正規の仕事をいくつかかけもちするような「男らしくない」ワークライフスタイルを20年以上続けてきて、これが自分の選んできた性/生のかたちなんだよなと、現状を受容・了解できるようになったものの、男性性に基づく批判などに遭遇するとつい「こんなでよいのか」と揺らいでしまう自分もいます。

そういう意味では、いまなお自身の内なる規範としての男性性――優越的、所有的、権力的であれ、そうでなくばお前に価値はない――に影響され続けているのだろうと思います。内面なんてしょせんは外面――要するに、社会のこと――の反映にすぎないものですので、内面だけ変わるなんていうのはありえないことでしょう。

だからこそ、Sisterhoodのようなとりくみが必要なのだと思います。不条理な規範を人びとに押しつけ、刷り込み、内側から私たちを呪縛し支配する、ジェンダー秩序のさまざまな作動。それらを注意深く見つけ、解除していくのが私たちのミッションです。わたしもという方、ぜひいっしょに活動していきましょう。(了)

特定非営利活動法人Sisterhood 事務局長
滝口克典
(『鈴木新聞』第3号 掲載)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?