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論文紹介 戦争で交渉が終わるわけではなく、むしろ促進される

戦略の研究では、戦争それ自体を広い意味での政治的な交渉の手法と位置付け、相手をどのような状況に追い込めば交渉で有利な立場に立つことができるのかを検討します。このような考察を進めていくための足掛かりとなるのが、政治学者フィアロンの交渉モデル(bargaining model)です。

フィアロンの交渉モデルでは、現状を打破しようとする挑戦国と、現状を維持しようとする標的国との間で利害の不一致があったとしても、双方に戦費の負担が発生し、また勝敗の結果に不確実さがあるため、基本的に戦争を避け、外交によって妥協点を模索することが双方にとって効率的であると説明しています。

ただし、このような結果に落ち着くためには、いくつかの条件が満たされなければならないともフィアロンは主張しています。それによると、挑戦国と標的国の双方が現状に関する情報を共有していること、言い換えれば双方が選択する行動の結果として生じる損得に関して同一の認識を持っていなければなりません。もし挑戦国と標的国の状況認識に何らかの齟齬があれば、それ自体が開戦の原因となる可能性があります(フィアロンの交渉モデルに関しては過去の記事合理的な国家が戦争を選ぶ3条件を説明したフィアロンの交渉モデルを参照してみてください)。

交戦国間で異なる状況認識を持つことが、戦争の原因となることは、戦争の交渉モデルの研究がもたらした重要な知見の一つです。その後の研究でも、この知見を拡張する努力が払われてきました。その一つがワグナー(2000)の交渉モデルであり、戦争には軍隊の作戦行動を通じて、敵の予測を変えることで、和平の合意を促進する機能があることを論じています。

Wagner, R. H. (2000). Bargaining and war. American Journal of Political Science, 44(3): 469-484. https://doi.org/10.2307/2669259

ここではモデルの数理的な説明を避け、ある挑戦国から領土を割譲するように要求が突き付けられた標的国がある状況を想定しましょう。この標的国は、外交的に譲歩する方が有利か、それとも軍事的に抵抗する方が有利かを自国の利害に基づいて判断し、より有利な方法を選択するものと考えられます。もし外交で対応しても何ら自国に利益が見込めないなら、挑戦国の侵略に武力で応戦することには合理性があります。

しかし、戦争が始まった後で、この判断は見直されるかもしれません。つまり、さまざまな作戦、戦闘の結果を通じて、挑戦国と標的国の双方が戦前に立てた予測を見直すことが余儀なくされる事態が想定されます。国境を越えて進攻した挑戦国の軍隊は想像以上の強敵であるかもしれません。あるいは、標的国が動員した軍隊は巧みな戦術行動で敵に甚大な損害を与えるかもしれません。いずれにしても、戦場で起こるさまざまな出来事が戦争から見込める利得と損失、そして自らが戦勝国になれるという確信の強さを変えていきます。

これらは両国の合理的意思決定に影響を及ぼす情報を大きく更新するプロセスであり、戦争が勃発してから時間が経過するごとに発生します。そのプロセスが進むたびに、挑戦国と標的国はこのまま戦争を続けるべきなのか、あるいは戦争を終わらせるべきなのかを利害に基づいて判断することになるでしょう。もし戦争を終わらせるのであれば、平和を回復するために合意を形成しなければなりません。そのために、どのような内容の提案を相手に持ち出すべきかを判断することも行われます。

著者は、ゲーム理論の研究で著名なアリエル・ルービンシュタインという研究者が提案した交渉モデルを少し修正したものが、この状況によく適合していることを報告しています。こちらのモデルでも、双方の行為主体が現時点で予測される将来の利得と損失を踏まえて、交互に提案を持ち出し、合意を形成できないかが模索されます。このような状況では、可能な限り早く交渉をまとめる方が利得の最大化に繋がる行動であることがルービンシュタインの分析によって分かっています。

ただし、ルービンシュタインの交渉モデルは何度でも交渉が可能な状態を想定しているので、その点で著者は修正が必要だと考えています。もし戦時下で交渉が行われるとしても、両国で交渉が決裂するたびに、交戦国のどちらかが完全に軍事的に打倒され、武装を解除される終局的事態が近づくはずです。特に軍事的に劣勢な交戦国は戦争の終わりで破滅する恐れがあるために、可能な限り早く和平交渉をまとめる必要性にかられます。これは終戦を促進させる効果をもたらしますが、どの段階で終戦に移行するかは交戦国が持つ戦争結果の予測に依存しています。

著者は、基本的に敵の武装を完全に解除させるまで交渉がまとまらないことはめったにないと考えています。その理由は19世紀のプロイセン軍人クラウゼヴィッツが敵の完全な撃滅を目的とした絶対的戦争はめったに起こるものではないと考えた理由と同じものです。つまり、絶対的戦争に到達する前の時点で、劣勢な交戦国は戦争を続けた場合に被る損害の大きさを十分に認識できるだけの情報が与えられるので、その時点に到達する前に外交による解決を図ると考えられるためです。

もちろん、この説明はほとんどのケースで妥当性があります。ただ、著者自身が適切に認めていたように、第二次世界大戦(1939~1945)のような敵国を完膚なきまで叩きのめし、武装を解除するまで続行された全面戦争の発生を説明しようとすると、このモデルでは限界があるでしょう。合理的選択理論の観点から見て効率的な交渉を妨げる要因が何であったのかを考えてみると、全面戦争に対する理解がさらに深まります。

見出し画像:U.S. Department of Defense.

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