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戦略家に必要なものは合理性や独創性ではなく、不屈の精神である

プロイセンの軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツの古典的著作『戦争論』の見解によれば、戦略家に求められるのは、戦争目的を踏まえ、あらゆる軍事行動に最適な目標を設定することであり、その次に目標を達成する上で必要な行動方針を見積ることができることです。

これは当たり前のことを述べているようにも思えますが、クラウゼヴィッツは戦略家にとって真の才能といえるのは、必ずしも目新しい独創的な方策を思いつくことではなく、むしろ問題の解決に向かって進み続けることができる堅実さであると述べています。

「自分の戦争をその目的と手段に従って正確に整備でき、その行動に過不足のない諸侯あるいは最高司令官は、そのことによってだけでも己れの天才を証明しているようなものである。しかし天才の力は、一見直ちに人目をひく新案の行動形式のうちに示されるよりもむしろ、全体の最終結果において成功する点に示される」(邦訳『戦争論』3部1章、上巻247頁)

クラウゼヴィッツは戦略が用いる手段はどれも極めて単純であり、国家の状況に基づいて戦争がどのように遂行されるべきかが決まれば、そこから合理的な行動方針を導き出すことは論理的に何ら難しくないとさえ論じています。本当の問題は、いったん策定された戦略を実行に移す段階にあります。

たとえ合理的な戦略が策定されたとしても、「この道にあくまでも従い、無数の誘因に煩わされることなく計画を貫徹するためには、強靭な性格のみならず、明晰かつ堅実な精神が要求される」とクラウゼヴィッツは述べています(同上、上巻248頁)。なぜなら、前線で敵弾に身を晒して戦う兵士よりも、後方の司令部で戦争を指導する司令官の方がはるかに堅固な意志を持たなければならないためです。

「戦術においては、一瞬一瞬に心を奪われ、乗り切ろうとしてもまったく無駄な渦に巻き込まれたような感じで、行動者は危惧の念がわき上るのを抑え、果敢に前進する。一切がはるかにゆっくりと進行する戦略においては、自己自身の、そして他人の危惧や非難や考えが、したがってまた時宜を得ぬ後悔の念が、入り込む余地がはるかに多いし、さらに戦略においては、戦術におけるごとく、少なくとも自分の肉眼で物事を見ることなく、一切を揣摩臆測しなければならないのであるから、確信もそれだけ弱くなる。その結果、大部分の将軍は行動すべきところで誤った危惧に捉われ、動きがとれなくなるものである」(同上、上巻249-50頁)

戦時下で司令官の心が休まる時はなく、その重い責任で精神は少しずつすり減っていきます。日々、接する情報がよい内容であることはめったになく、多くの場合で不安を煽るものであるため、自分自身で決定した戦略計画を最後までやり遂げることができる人物はほとんどいません。だからこそ、クラウゼヴィッツは戦略を論じる上で不屈さという性格の特性に注目しており、次のようにその重要性を説いています。

「戦争において名誉ある事業を遂行しようとすれば、無限の努力、辛苦、困難を強いられるのであって、精神的肉体的に虚弱な者は常に崩壊の危機にさらされるが、強大な意思力をもつ者は、同時代や後代の人々にいつまでも讃嘆されるような目標を達成することができるものである」(同上、上巻276頁)

見出し画像:Senior Chief Mass Communication Specialist Spike Call

参考文献

クラウゼヴィッツ『戦争論』全2巻、清水多吉訳、中央公論新社、2001年

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