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ロシアが長射程ミサイルでNATOに突き付ける接近阻止の課題

1991年に独立を果たしたウクライナは外交政策で対ロシア関係を重視する路線を採用してきました。しかし、国内ではロシアよりも欧州連合との関係を強化することを主張する党派に勢いがあり、政界では外交政策をめぐって激しい政治対立が起きていました。

2013年に親ロシア的立場をとるヤヌコーヴィッチ政権が欧州連合への加盟に向けた手続きを断念したことで野党は強く反発し、国内で大規模な抗議運動を組織化し、これを制圧しようとした治安部隊との間で暴力的な衝突が起きました。体制派、反体制派の双方から犠牲者が続出する中で、ヤヌコーヴィッチはロシアへ脱出し、ウクライナで新たに暫定政権が発足しました。

ウクライナの状況の推移を見ていたロシアは、この暫定政権が国内を掌握できていない間に、ロシア系住民が多かったクリミア自治共和国を独立させ、これをロシアの領土として併合することに成功しました。それだけでなく、ロシア系住民が多数を占めていた東部のドネツク州などでロシアの支援を受ける武装勢力が軍事活動を活発にし、ウクライナ軍の部隊に武力で抵抗するなど、事態が軍事的にエスカレートしました。

このような武力紛争がウクライナで発生したことは国際社会にとって衝撃的なことでしたが、特に当時のヨーロッパ諸国はロシアが軍事的な脅威であることを強く認識しました。外交交渉では欧州連合内で指導的な地位に立つフランスとドイツ、北大西洋条約機構(NATO)の盟主であるアメリカも影響力を行使していますが、今でも完全な事態を鎮静化させるまでには至っていません。

2010年から2016年までNATOの事務総長室で政策企画部長を務めたフランスの政治顧問Fabrice Pothierは2017年に「NATOのための領域接近戦略(An Area-Access Strategy for NATO)」と題する論説を『サバイバル』で発表し、ウクライナ問題でロシアが西側に突き付けた課題を戦略の観点から分析しています。

Fabrice Pothier (2017) An Area-Access Strategy for NATO, Survival, 59:3, 73-80, DOI: 10.1080/00396338.2017.1325600

2016年7月、ポーランドの首都ワルシャワで開催された会議での決定に基づき、NATOはヨーロッパ大陸の東部へ部隊をほぼ恒久的に配備し、ロシアの動きに備えることになりました。しかし、著者はその態勢は必ずしも十分であるとは言えないと考えています。その最大の理由は危機になったときに、NATOがその兵力を西部から東部へ移動させ、同盟国を来援しようとしたときに、ロシアが接近阻止(anti-access)・領域拒否(area denial)を行う可能性があるためです。ワルシャワでの決定に基づき、NATOはバルト三国とポーランドにそれぞれ多国籍の大隊を配備しますが、その総兵力は4000名に満たないと著者はその少なさを指摘しています。

小兵力であっても、危機が起きてから来援できるのであれば、抑止の効果を期待することはできます。ただ、著者は危機が起きてからNATOが前線に兵力を移動させようとすると、カリーニングラード、サンクトペテルブルク、クリミアなどに配備されている長射程ミサイルの射程圏内での部隊移動を行うことになるため、容易に阻止を受ける恐れがあることに懸念を抱いています。

特にバルト諸国は部隊移動に利用できる海路、空路、陸路の選択肢が極端に限定されていることを著者は指摘しています。つまり、ロシアの視点から見れば、バルト諸国を他のNATOの加盟国の支援から切り離す接近阻止は戦略的に実行しやすいと言えます。地対空ミサイルであるS-300、それを改良したS-400、さらに短距離弾道ミサイルであるイスカンダルなどはロシアが接近阻止を遂行する能力を向上させることに寄与しています。

著者は最近まで接近阻止の問題はヨーロッパ諸国で理解されていなかったと指摘しています。アメリカは中国の脅威を分析する過程で接近阻止の問題に対する理解が深かったため、NATO欧州連合軍最高司令官フィリップ・ブレイドラブはいち早く接近阻止の危険性を認識し、バルト三国の脆弱性に対処する必要を訴えてきました。多くの専門家はロシアがバルト三国に侵攻する公算は非常に小さいと見積もっています。ただ、NATOがこれらの国々に来援する意志と能力を持たなければ、抑止力は大きく損なわれることになります。

戦時に迅速確実に兵力を送り込めるように、バルト海と黒海における海上優勢を確実に獲得できる態勢を整えるべきだと著者は提案しています。ロシアの国際貿易はバルト海の海上交通に深く依存しており、ここをNATOが封鎖できることは特に重要な優位です。また、防空能力を高めるミサイル防衛の充実、長距離輸送機C-17の共同管理、NATOに加盟していない国々との共同訓練などが具体的な対策とされています。

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