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論文紹介 ロシアとウクライナの外交史を理解するには、リアリズムが使える

ロシアがウクライナに対して繰り返し圧力を加えてきたこと、そして2022年に武力攻撃に至った理由を説明するため、研究者はさまざまな理論を提案しています。その立場は大きく3通りに分かれているようです。一つ目の立場はウラジミール・プーチン大統領の思想、世界観、イデオロギーが対外政策に及ぼす影響を強調する立場であり、二つ目はロシアが非民主的な政治システムであることを強調する立場であり、三つ目はロシアの潜在的な攻撃を抑止できるだけの十分な防衛力がウクライナになかったことを強調する立場です。

おそらく、実際にはこれら3つの要因の組み合わせで今回のロシアの行動を理解することが妥当だと思われますが、今回の記事で取り上げたいのは、この最後の立場に依拠している研究です。研究者のElias Götzは「ネオリアリズムとロシアのウクライナ政策:1991ー現在(Neorealism and Russia’s Ukraine policy, 1991-present)」(2016)で、リアリズムの理論を応用することによって、ロシアが自らの勢力圏にウクライナを取り込もうとした動機を説明しています。

Elias Götz (2016) Neorealism and Russia’s Ukraine policy, 1991-present, Contemporary Politics, 22:3, 301-323, DOI: 10.1080/13569775.2016.1201312

リアリズムの視点で見た国際政治

著者は、シカゴ大学のジョン・ミアシャイマー教授が提案したリアリズム(攻撃的リアリズム)という国際政治学の理論を使うことによって、ロシアの対外政策の多くの部分を説明することが可能であると主張しています。ただ、著者は軍事的強制力を中心とするハードパワーに注目するだけでなく、非軍事的手段を駆使して相手を操作するソフトパワーに注目する必要もあると考えています。

まず、リアリズムの理論では、国際社会に無政府状態としての特性があり、自分の身を自分で守るという自助が基本的な原則となっていることを前提としています。外交努力を重ね、信頼を深めることによって、一時的な安全を確保することも不可能ではありませんが、国際政治では相手国から突如として裏切られる不確実性がなくなることがありません。したがって、国家は高額な支出を負担してでも軍事力を整備し、最低限の安全保障の体制を確立しておこうとします。ただし、軍事力の運用は地理によって制限を受けることになります。

著者は勢力圏の役割を詳しく論文の中で説明しています。まず、大国は自らの近隣諸国を勢力圏に取り込み、別の大国と同盟を結ぶことを防止することによって、自国の領域の周辺に敵対する大国の作戦基地が出現することを予防しようとすると考えられます。軍隊を運用できる範囲は兵站支援の限界に制約されますが、作戦基地が出現すると、そこを中継して遠隔地まで兵站支援が可能となります。現実にアメリカは世界規模に広がる軍事基地のネットワークを持っており、それら基地を中継することによって自軍の部隊を遠隔の作戦地域に展開し、敵と交戦させることができます。

このような域外から及ぶ脅威に対抗するためには、自国の周辺諸国がアメリカのような大国と同盟関係、友好関係を強化する動きを未然に防ぐ必要が出てきます。そのためには、近隣諸国の対外政策を自国の管理の下に置かなければなりません。これが大国が勢力圏を構築することで得られる戦略的な利益であり、著者の言葉を借りるならば、「現代における、ほとんどの大国が国境の周辺に勢力圏を形成し、あるいは形成しようとしてきたことは、驚くほどのことではない」のです。

リアリズムの理論は、勢力圏を形成するため、大国がどのように振舞うのかを理解する上で役に立ちます。ただ、著者は軍事的手段をはじめとするハードパワーに限定して国家の戦略を分析することには反対しており、外交的手段、経済的手段などを組み合わせたソフトパワーの重要性を強調しています。つまり、大国は常にハードパワーに頼るわけではなく、状況に応じて(1)経済制裁や経済封鎖、(2)選挙の操作や反乱の支援などの内政干渉、(3)小規模な懲罰的攻撃から本格的な軍事的介入などの武力行使など、幅広い政策手段を組み合わせる可能性があると論じています。

ロシアのウクライナ政策は、このリアリズムの観点から説明が可能とされています。著者が指摘している通り、ロシアはウクライナと2000キロメートル以上の国境を接しており、黒海に対してロシアが勢力を拡大する際に理想的な根拠地です。ロシア経済の主要産業であるエネルギー資源を輸出するパイプラインもウクライナの領土を横断しており、ロシアにとっては安全保障だけでなく、貿易においても価値があります。ウクライナがロシアから距離を置き、ロシアの勢力圏から離脱しようとすれば、それに対してロシアはハードパワーを含めた強制的手段を用いてウクライナに対する圧力を強める事態が予測されます。

ロシアとウクライナの外交関係 1991~2014

1991年以降にロシアがウクライナに対してとった行動はおおむねこのパターンに従っていると著者は考えています。ソ連が解体された直後のロシアは軍事的能力が大きく低下したため、ウクライナが西側との友好関係、同盟関係を強化する動きを見せた際に、それを阻止する手段が限られていました。しかし、次第に軍備を充実させてきたこと、さらにウクライナがロシアから離れようと試み続けた結果、ロシアは2014年に武力攻撃を加えることに踏み切ったと考えられています。

1991年にソ連が解体されそれまでロシア人の支配を受けていた地域が国家として独立を果たしたときから、ロシアはソ連時代の結びつきを外交的に維持し、自らの勢力圏を守ろうとしていたことが指摘できます。1991年に創設された独立国家共同体はソ連解体で弱体化したロシアが、新国家を自らの勢力圏に組み入れて管理するための国際機構でした。ウクライナは独立当初からこれに加盟していますが、ウクライナのレオニード・クラフチュク大統領はロシアに対するウクライナの外交的な自立を守るため、西側へ接近しようとしていました。

そのため、ロシアとウクライナの外交関係には最初から深刻な利害の対立があり、それを抜本的に解消することは困難な状況でした。黒海に面する海軍基地があるクリミア半島のセヴァストポリをロシアが引き続き利用しようとしたことに対してウクライナが条件を持ち出した際に、ロシアの黒海における戦略はウクライナの外交によって制約される事態が生じたことは、両国の争点の一つでした。

基地をめぐる交渉は難航したため、ロシアはウクライナ向けの天然ガスの価格を大幅に引き上げる措置を講じ、事実上の経済制裁としています。経済的な圧力を加えられたことは、エネルギー資源をロシアに依存するウクライナにとって大きな打撃であり、1994年にウクライナ国内にあった天然ガスの貯蔵施設とパイプラインの管理権をロシアに引き渡すことを余儀なくされました。ロシアの圧力に対抗するため、ウクライナはさらに自主独立の路線を強化する必要を認識し、1994年に北大西洋条約機構の「平和のためのパートナーシップ」に加わることで、西側との同盟関係を強化する動きを加速させました。

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