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書評『なぜヨーロッパは世界を征服したのか』理論的モデルで読み解く世界史

16世紀以降、海洋に進出したヨーロッパ列強は次々と植民地を獲得し、世界を征服していきました。この世界史の大きなトレンドを説明する際に問題となるのは、なぜ中国、インド、オスマンなどの勢力ができなかったことが、ヨーロッパに可能だったのかを明らかにすることです。

カリフォルニア工科大学教授フィリップ・ホフマンの著作『なぜヨーロッパは世界を征服したか(Why Did Europe Conquer the World)』(2015)は近世以降にヨーロッパが世界の主要な勢力として台頭したにもかかわらず、アジア各地を支配していた勢力が衰退した要因を歴史によって説明しようとする研究です。

Philip T. Hoffman, Why Did Europe Conquer the World? Princeton University Press, 2015.

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ホフマンの説によれば、世界史においてヨーロッパ列強が台頭し、世界を征服することができたのは、ヨーロッパでは他の地域で見られた統一国家が形成されなかったためでした

ローマ帝国がゲルマン民族の大移動によって崩壊してから、ヨーロッパは長期にわたって政治的に統一されず、各地で政情不安や武力紛争が絶えることがありませんでした。そのため、ヨーロッパの支配階級は何世代にもわたって戦争の経験を蓄積し、その過酷な環境に適応しなければなりませんでした。そのことが優れた軍隊の形成を促進し、近世以降のヨーロッパ列強の積極的な対外進出を可能にしたとホフマンは考えています。つまり、ヨーロッパが経験した政治史そのものが最も重要な要因として位置づけられています

「通常、われわれは、歴史を原因ではなく、説明すべきものとして考える。しかし、過去の事象が将来の結果を規定し、時間をかけて社会のあり方を強化するように促進する場合においては、歴史は原因となる可能性がある」

これは中世以降のヨーロッパの歴史で培われた経験がヨーロッパの世界進出を可能にしたことを示唆しています。ヨーロッパでは中国、インド、中東で見られたような地域全体を統一する強力な国家が長期にわたって成立していません。そのため、ヨーロッパ各地を支配した貴族階級にとって戦争を遂行する技能や技術には高い価値が置かれるようになり、その行動規範や生産活動が強化される環境がありました。ホフマンは軍需産業の発展も重要な要因として指摘しており、9世紀から10世紀にかけて西ヨーロッパで生産された武器がビザンツ帝国やイスラーム圏に輸出されていたことを紹介しています。

しかし、ホフマンの研究は自説の根拠を詳細な史実だけに求めませんでした。彼は労働経済学のトーナメント・モデルを応用しているのです。数理モデルの詳細については補論でまとめられていますが、大ざっぱに述べると、それは戦争を遂行するために国家が資源動員能力を競い合っている状態が繰り返し起きていることを想定したモデルです。このような軍事的競争が繰り返された場合、国家は存続のために資源動員能力を強化し続けることが明らかにされます。

「トーナメント・モデルは、これらの事例を理解する助けとなり、税収を増加させ、借入を容易にするといった資源を動員するための政治的コストを削減することを可能にした理由をより上手く説明することができる。われわれが取り組むべき課題は、モデルに修正を加えて、統治者が軍事技術と同じように、政治的コストを変化させることを可能にすることである。その次に、戦争を遂行する統治者が、より重い税を課し、またより大きな債権を生み出すような政治的取引をエリートと行う方法を学ぶことを想定する」

地域が統一されなかった中世ヨーロッパにおいては、このようなプロセスが他のアジアの地域に比べて強力に作用した可能性が高いとホフマンは考えています。これはヨーロッパの歴史だけでなく、アジアの歴史を考える際にも興味深い視点です。

いったん安定的な帝国支配が確立されたならば、支配者は国内のエリートに対してより重い税を課し、公債を引き受けさせることが難しくなりますが、軍事的競争に晒されている国は存亡の危機に瀕しているため、その危機感がエリートに共有されると、譲歩を引き出す可能性が高まります。戦費をエリートに負担させる財政金融制度を強化していけば、それだけ支配者は新たな軍事技術に投資し、より大規模な軍隊を維持することができるようになるので、他国に対して軍事的優位を得ることができると考えられます。

著者は18世紀までに成立した西ヨーロッパの主要な大国のほとんどが優れた借入能力を持っていたこと、そして一人当たりの税負担が他のアジア諸国に比べて非常に重かったことを指摘しています。ヨーロッパでは地方のエリートを代表させる国家機関として議会を発達させ、資源動員能力に優れた財政金融制度をいち早く採用しました。これらはすべてヨーロッパが対外戦争を遂行する際に活用された独自の制度であり、中国史、インド史、あるいはイスラーム史において見出すことができないものです。

ホフマンは伝統的な歴史的アプローチに数理モデルに基づく理論的アプローチを組み合わせることで、ヨーロッパの世界制覇という世界史の一大事件を説明するため、どのような因果関係を特定すべきなのかを考察しようとしています。ホフマンは経済史を専門とする研究者ではありますが、これは政治学の研究者にとっても興味深い文献です。歴史的事象を理論的モデルで解釈するアプローチに関心がある方に一読をお薦めします。


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