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古代ギリシアの兵書で籠城戦におけるパニックの対処法が記されている

城に立て籠もって戦う籠城戦は、世界各地の戦争史で一般的に見られる戦い方でした。高く積み上げられた城壁の内側に兵を集め、物資を集積し、防備を固めれば、たとえ敵が大兵力で攻めて来たとしても一定程度の勝算を見込むことができます。

火器がない時代に高い城壁を破壊することは技術的に難しく、部隊に城壁を乗り越えさせようとすれば、多数の死傷者が出ることは避けられませんでした。そのため、攻撃部隊は城壁からやや離れた場所から城を包囲し、城内の物資が枯渇する時を待つことが少なくありませんでした。

時折、攻撃も実施されますが、それは城内の敵情を探るための攻撃にとどめられました。籠城に入る防御部隊は遠隔地より援軍の派遣を要請し、この脅威によって敵の包囲を解こうとしました。援軍が到着するまでは、数週間、数ヶ月、あるいは数年にわたる籠城が必要な場合もあったので、それほど長期にわたって籠城する部隊の士気、規律、団結を維持することが課題でした。

古代ギリシアの軍人は籠城戦の最中に精神に異常を来す兵士が出てくることをよく理解していたようです。それはペロポネソス半島の中部に住んでいたアルカディア人によって「パニック」と呼ばれていました。パニックを起こした兵士や部隊は無秩序に騒ぎ、味方を危険に晒してしまいます。紀元前4世紀頃に書かれたと推察されるアイネイアスの『攻城論』で、このパニックの対処法が記されていました。

ここでは、アイネイアスの記述を踏まえ、古代ギリシアの籠城戦でパニックにどのように対処していたのかを紹介したいと思います。

アイネイアスは「市内あるいは陣営で、夜であれ昼であれ突然混乱と恐怖が生ずることがある」として、それがアルカディア人が言うところの「パニック」だと述べています(40頁)。パニックは戦闘に敗れた後で生じやすく、また昼間より夜間に発生することが多いと記されています。パニックを起こした部隊は指揮官の命令に従うことができなくなるために、指揮官はパニックを起こした部隊を素早く特定して対処しなければなりません。

アイネイアスはパニックを起こした部隊を目撃したならば、その場で歌を合唱せよという規則を提案しています。もし隣の部隊が合唱しているのを耳にすれば、別の部隊も次々と合唱に加わらなければなりません。こうすれば、夜間であったとしても、歌っていない部隊がどこにいるのかをすぐに判断し、対処することができます(同上)。

さらに、アイネイアスは部隊指揮官がラッパで部隊に合図を送り、パニックを起こした部隊の近くに敵がいることを知らせることも対処法として述べています。混乱した部隊に再び規律を与えるために、指揮官がその部隊に号令をかけるのです。

以上は戦闘配置についた部隊がパニックを起こした場合の対処法ですが、パニックは寝静まった夜中に突如として起こることもありました。スパルタ人の将軍は自分の部隊で夜中にしばしばパニックが起きていたことを受けて、それを防ぐために次のような命令を下達したとアイネイアスは述べています。

「何らかの混乱が起こった場合は、直ちに寝所で武器の方に起き上がるが、立ち上がってはならない。立ち上がっている者を見たなら、その者を敵と見なせ」(同上)

もし恐怖に駆られて無断で歩き回り、あるいは暴れ始める兵士が出てきたならば、実際に制裁が加えられました。その兵士が上流階級の身分であっても死に至らない程度には殴りつけられ、下流階級の身分の者であれば殺されることもあったようです(同上、40-1頁)。この命令は兵士を恐れさせ、夜中に一部の兵士が当然パニックを起こしても、他の兵士にパニックが広がるリスクを抑制することができたと記されています。

ただ、パニックが起きた部隊に関しては、その部隊の周辺に監視のための人員を配置しておく対処法も記されています。もしパニックを起こしている兵士を見つけたならば、すぐにその人員が取り押さえなければなりません。その他の兵士も仲間同士で相互に監視を行うことが重要であると論じられています。

戦闘ストレスに対する特異な反応や行動に関しては、20世紀以降に軍事心理学でさまざまな調査研究が行われるようになり、今では戦場での精神衛生の重要性がよく理解されるようになりました。

しかし、紀元前4世紀にギリシアで書かれた兵書の中で、このテーマが早くも取り上げられていたことは研究者の間でもあまり知られていないと思います。

参考文献

高畠純夫『アイネイアス「攻城論」』東洋大学出版会、2018年

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