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今からでも間に合う軍事学の基礎知識

世界の平和は人類の理想ですが、現実に戦争は起きており、近い将来になくなる見通しも立っていません。

もし自国の周辺で他国が武力に訴える兆候を示したならば、その意図と能力を正確に見積もり、将来に起こり得るあらゆる危険を予測し、最悪の事態を回避する手を打たなければなりません。国家が行政活動を通じて達成すべき最も基本的な目標は安全保障であり、軍事学はその達成を支援するために研究されてきた学問といえます。

現在、日本で軍事学の調査、教育、研究の主体になっているのは防衛省・自衛隊です。しかし、平時から国民全体に研究成果を広く知らせ、知識の向上に努めることも大事だと思います。このような観点から、軍事学がどのような学問なのかを一から解説する記事を作成することにしました。

あくまでも軍事学を知らない方が、その内容を大まかに見通せるようになることを目標としているので、あらゆる研究領域を網羅することはできませんが、そのことはあらかじめご了承ください。

そもそも軍事学とは何か

軍事学とは軍隊の制度や運用などを主な研究対象とする学問です。基本的に戦争を研究する学問ですが、現代では同盟形成、軍備管理、技術開発など平時の国防政策も重要なテーマになっています。

日本では、明治に欧米諸国から導入した際に兵学という名称を使っていましたが、大正、昭和に軍事学の名称が使われるようになり、現在では防衛学という名称に変化してきました。海外の文献ではMilitary Science、あるいはMilitary Studiesという呼称を用いることが一般的ですが、少し古い文献ではScience of Warが使われていたこともありました。現代ではMilitary Science以外にも防衛学に相当するDefense Studiesも名称としてよく使われています。

学問の分類として、軍事学は社会科学の一分野に含まれています。ただ、政治学の下位領域に軍事学を位置づけることもあれば、政治学から独立した研究領域として位置づけることもあります。この点に関しては、軍事を国家の行政機能として捉えるべきか否かによって立場が異なるでしょう。

次に軍事学にはさまざまな研究領域があります。軍事学の研究領域の分け方について標準的な見解があるわけではありませんが、特に重要なものとしては以下のような領域を挙げることができます。

1 政治的目標を達成するため軍隊を含めた国力全体を指導、運用する戦略(strategy)
2 戦闘において任務を完遂するため軍隊の配備、運用、機動を決める戦術 (tactics)
3 戦争を遂行する上で必要な各種資源を計画的、経済的に管理する兵站(logistics)
4 歴史的観点から軍隊の制度や運用の特性と変遷を研究する軍事史(military history)
5 地理的観点から軍隊の制度や運用の地域による相違を研究する軍事地理学(military geography)
6 国家から個人に至るまで軍隊と社会の多層的な関係を研究する軍事社会学(military sociology)
7 経済学の理論、方法を応用し、予算分析、装備調達などを研究する防衛経済学(defense economics)
8 心理的観点から兵士、部隊の認知、動機づけ、社会行動を分析する軍事心理学(military psychology)
9 数理モデルを用いた最適化の手法で軍事的意思決定を研究するオペレーションズ・リサーチ(operations research)

軍事学はどのように戦争を説明するのか

軍事学の歴史は古く、中国で編纂された『孫子』や、古代ローマでウェゲティウスが書き残した『軍事論』などが古典として有名です。しかし、これらは社会科学の分析というよりも、専門的、実用的な教範としての性格が強い内容であるため、現代の軍事学の研究者に引き継がれている議論は必ずしも多くはありません。

現代の軍事学の礎を築いた功労者は19世紀のプロイセン軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツであり、彼の『戦争論』は戦争を社会的現象として捉えた画期的な研究でした。戦争は理念の上では暴力を用いて自分の意志を相手に押し付けようとする行為として定義できますが、クラウゼヴィッツはそのような見方に限界があると指摘しています。歴史上、ほとんどの戦争は相手を完全に打ち負かす前の段階で、交渉を行い、合意によって決着をつけてきたためです。このことは、戦争が政治的な交渉の継続として行われていることの現れであり、戦争は本質的に政治の道具であるとクラウゼヴィッツは説明しています。

戦争を政治的な交渉の延長として捉えることによって、政治が戦争目的を決めていること、それによって軍隊の編成や運用、特に戦略行動が大きく変化することが説明できます。このことを踏まえれば、先ほど軍事学は政治学の下位領域として位置づけることができると述べたことも納得しやすいでしょう。ちなみに、クラウゼヴィッツは戦争に影響を及ぼす政治の範囲については、国際政治だけでなく、国内政治も念頭に入れています。もし国内で首脳部の意見がまとまらなければ、その国家は一貫した方針に従って戦争を指導することができなくなる、と予測されます。

戦争における軍隊の行動は、より小さな部隊が各々に遂行する戦術行動に細かく区分して研究することも必要です。戦争を一つの大きな戦いとして捉える戦略の次元とは異なり、戦術の次元では戦争を無数の小さな戦いの集まりとして捉えており、特に個別の戦闘の勝敗に注目します。クラウゼヴィッツが戦闘の勝敗を考える上で特に重要な指標としているのは、敵と味方の部隊が戦闘で相互に与える損耗の交換比です。例えば、交換比が1:1であるということは、ある戦闘で敵と味方の部隊が被った損害の大きさが等しいことを意味します。これが1:2になると、敵の兵士1名を殺傷している間に間に、味方の兵士2名が殺傷される不利な状態で交戦していたことが分かります。

クラウゼヴィッツの理論では、損耗が発生する速さの違いは戦場で部隊が発揮できる戦闘力の相対的な優劣によって生じると考えられています。つまり、敵に対して味方の相対戦闘力が優越していなければ、戦闘で敵と味方が被る損耗は同程度だと考えられますが、敵より多くの部隊を参加させて、戦場で発揮できる戦闘力が優越しているのであれば、敵が戦闘を続行できないほど弱体化した後でも味方だけは戦闘を続けることができるので、敵の損害の方がより大きくなることが期待できます。

ちなみに、陸戦では地形や地物を利用して敵を待ち受ける防御は、進んで敵を撃破しようとする攻撃よりも戦術行動として有利であるとクラウゼヴィッツは考えていました。そのため、特に戦闘力で劣勢な部隊は防御を活用することが重要であるとされており、攻撃部隊の戦闘力が枯渇してきた時機を見計らって攻撃に転じることができるように、十分な予備隊を確保しておくことを提案しています。

まとめ

この記事では、軍事学がどのような学問であるかを知って頂くことを目的としたので、3000字程度でこの学問の基本的な議論を紹介してみました。この分野についてさらに勉強してみたいと思って頂ければ幸いです。また、そこまでに至らないとしても、軍事学という学問に対する理解を深めて頂ければ十分にこの記事の目的を達成できたといえるでしょう。

さらに学習を続けたいと思った方のために、3冊ほど文献を紹介したいと思います。『軍事戦略入門』は、戦略の基礎的な概念をまとめた概説書です。戦略の研究は非軍事的手段の運用を考慮に入れたものもあるのですが、この文献は軍事的手段の運用に焦点を絞って戦略を類型化し、それぞれの特徴を定性的に記述しています。

戦略の勉強をされる場合は、その基本の概念や原則を押さえるところから出発し、その次にさまざまな事例を通じて理解を深めると効率的でしょう。

『歩兵は攻撃する』は第一次世界大戦で活躍したロンメルが自分の戦闘の経験をもとに執筆した戦記であり、戦術を事例から学ぼうとする方におすすめします。

戦術を学ぶ上でも原則を知ることは重要なのですが、戦略とは異なり部隊の編成、武器の種類、指揮の要領などをかなり細かく知らなければなかなか理解が深まりません。なので、このような文献から戦闘で部隊がどのように運用されているのかイメージを持っておくことが大事だと思います。

『軍事ORの理論』は、軍事学の中でも特に数理モデルを使った研究成果を紹介したものです。読者が最低でも高校数学程度の知識を持つことを想定した内容なので、人によっては難しいと思いますが、軍事学の世界でどのようなモデルが使われているのかをコンパクトにまとめ上げており、とても勉強になります。

以下に、これまでに投稿した軍事学に関する記事をいくつかまとめておきましたので、必要に応じてこちらもご参照ください。

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