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【映画解釈/考察】『ブラック・スワン』(2010)「ダーレン・アロノフスキー監督の方程式」(『π』『マザー!』との共通点)

『ブラック・スワン』(2010) 
『π』(1998)
『マザー!』(2017)

『ブラック・スワン』は、ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞の『レスラー』(2008)に続くダーレン・アロノフスキー監督作として2010年(日本では、2011年)に公開された作品です。ナタリー・ポートマンが、本作で、アカデミー主演女優賞を獲得しています。

 また、『π』や『レクイエム・フォー・ドリーム』から続くダーレン・アロノフスキー監督の真骨頂である"人間の精神的弱さを突かれて、主人公が強迫神経症的に闇に墜ちていく"様子を執拗に描いたサイコ・スリラーです。

 そして、『ブラック・スワン』では、アロノフスキー監督自身の名前が脚本には、クレジットされていませんが、脚本も自ら担当した『π』や最新作である『マザー!』とプロットの構成がとても類似しています。それについては、最後の方でほど詳しく説明したいと思います。

(『マザー!』は、現在、Netflixで視聴できます。)


1『ブラック・スワン』と今敏『パーフェクトブルー』 の2つの人格


 まず、『ブラック・スワン』のプロットの構成を考える前に、触れておきたいことが3つあります。

 一つ目は『レクイエム・フォー・ドリーム』と同様に、『ブラック・スワン』でも、アロノフスキー監督が敬愛する今敏監督の『パーフェクトブルー』の影響が、指摘されている点です。

特に、『パーフェクトブルー』の女優未麻とルミと、『ブラック・スワン』のプリマドンナのニナとリリーの二重人格的相関関係、主人公が表現者として葛藤している点、そして腹部にガラス片が刺さる場面などの共通点が挙げられます。

 2 『ブラック・スワン』とチャイコフスキー『白鳥の湖』の2つの人格


 そして、もう一つが、『ブラック・スワン』のストーリーに重みを与えている、チャイコフスキーのバレエ戯曲『白鳥の湖』の内容です。

 このバレエ戯曲の最大の謎は、王子が悪魔を倒したのにもかかわらず、オデット(白鳥)にかけられた魔法が解けないことです。このことで、結果的に、二人は、湖に身を投げることになります。

 一つの考えとして、王子と目的を達成する過程で、オデットの内部にオディール(黒鳥)の人格が芽生え、オデット自身に取り込まれてしまった可能性が挙げられます。

 また、白鳥と黒鳥の2つの役を通常同じバレリーナが演じることや、二つの名前がともにオディリアから派生した名前であることから、元々、オデットの中にオディール(黒鳥)の人格が備わっていたと捉えることもできます。


3  ダーレン・アロノフスキー監督作品における「強迫神経症的描写」


 そして、3つ目はダーレン・アロノフスキー監督が好むスタイルです。大方の作品に共通しているのが強迫神経症的な描写です。主人公たちは、徐々に現実と幻覚・妄想が混濁するようになり、身を滅ぼしていきます。

その表現方法として、特に、短いカットや急激なカットの切り替えなどが多用されていますが、『ブラック・スワン』では、それらとは、一線を画しており、長回しが多用されています。その代わりに粒子状のVFXが、主人公ニナの身に起きる恐怖を効果的に表現しています。対照的に、『π』では、モノクロとアナログが、主人公マックスの恐怖感を増幅させています。



4 『ブラック・スワン』に対する二分する評価


『ブラック・スワン』に対する評価は、なかなか、是非が分かれる作品になっています。一つは、アカデミー賞を受賞したナタリー・ポートマンの演技に対するダブルボディに関することですが、個人的にはナタリー・ポートマン自体の総合的な演技の評価や作品全体の芸術的な評価にはさほど影響がないと思います。

 恐らく、『マザー!』にも共通する執拗なまでも陰湿なストーリーと、特に、低予算映画でカルト的作品になっている『π』との比較においてではないかと思います。

  そもそも、先述のとおり、『マザー!』を含めて『π』と『ブラック・スワン』はプロットの構成が類似しており、ダーレン・アロノフスキー監督が、『π』的な映画を、大型の舞台装置で、予算を掛けて製作した映画であるともいえます。ここで言う大型の装置とは、マンハッタンの大劇場とバレエの代表的な作品である『白鳥の湖』と最新の特殊効果映像のことを指します。

『ブラック・スワン』では、プロットの構成がよく練られており、類似する『π』と『マザー!』と比較しながら考察を行います。


5 【映画解釈/考察】
『ブラック・スワン』のプロットの構成と『π』/『マザー!』との共通点


  まず、3つの映画に共通しているのが、主人公が”神の視点”を垣間見ることによって、破滅する点です。

『π』では、主人公マックスが、「万物は、数に
よって成り立っている」と信じて、216桁の数字を探求することで、”神の視点”を一瞬垣間見ることになります。

これに対して、『ブラック・スワン』は、プリマ・ドンナとしての究極の芸術を表現することで、”神の視点”を垣間見ます。

そして、『マザー!』では、夫(Him)=神と主人公ベロニカ=マザー、大地(地球)が夫婦関係になることで、”神の視点”を垣間見ることになります。『マザー!』の解釈は、比較的明らかであり、共通的、一般的な解釈が多く存在するので、ここでは、省略をします。

  さて、ここから、順番に追っていきますが、冒頭部分は、『π』では、マックスの恩師ソルによって、『ブラック・スワン』では、バーバラ・ハーシーが演じるニナの母親によって主人公の精神状態が保たれています。

恩師も、母親も、自己体験から、主人公たちを強制的に秩序(象徴界)の枠組みに閉じ込めようとする存在です。『マザー!』に関しては、それは家にあたります。(黄色い粉の存在も気になります。)

  これに対して、この枠組みから引き摺り出そうとする存在がいます。『π』では、2つの組織の人間たち、『ブラック・スワン』では、ヴァンサン・カッセル演じる芸術監督のトマ、ミラ・クニス演じるリリーがそれに当たります。また『マザー!』では、それは、来客たちに相当します。

そして、特別な存在である主人公たちは、現実と妄想が混濁した狂気の中で、精神的に追い込まれながら、”神の視点”を一瞬垣間見ることができます。

そして、それと同時に身を滅ぼすことになりますが、3つの映画のラストの構成もかなり類似しています。

『π』では、主人公のマックスが、216桁の数字の書かれた紙を焼き、自らの脳を破壊します。そして、子供と会話する、数字を忘れたマックスが、黄金比に溢れた自然を、ぼんやりと眺める場面で完結します。

『ブラック・スワン』は、飛び降りる瞬間に、主人公のニナは、母親と目を合わせ、その後意識が薄れていきます。

そして、『マザー!』では、夫が、主人公ベロニカの心臓から水晶を取り出すと、ベロニカは朽ちると同時に、焼けた家は、元通りになり新たなマザーが、ベッドの上で目を覚まし、振り出しに戻ります。

円環の摂理が、どの話にも成立しています。ダーレン・アロノフスキー監督の哲学的な美学なのかもしれません。


最後に

個人的に、ダーレン・アロノフスキー監督作品の中では、やはり『π』が最高傑作だと思っているのですが、『ブラック・スワン』も、ラスト10分は、デミアン・チャゼル監督の『セッション』にも通じる圧巻のラストで、ダーレン・アロノフスキーの世界観を壮大に表現することに、成功しています。『マザー!』に続く、巨体の男性を描く、A24製作の次回作も期待して、待ちたい思います。



※この記事は、以前掲載したものを大幅に修正して、再掲したものです。





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