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はじめに ―僕が火葬場・葬儀屋で働いた理由―


まずはじめに、僕は元火葬場職員として働いたその後、葬儀屋に転身した経緯があります。

こういう話になると必ずと言っていいほど聞かれることがあります。
それは「なんでその仕事をやろうと思ったの?」です。

ある人は言います、そんな仕事してて怖くない?と。またある人は腐乱死体とか見るのキツそう、と言います。
確かに子供のなりたい職業ランキング上位に入ったことなんておそらく無いだろうし、大人からしてもなんとなく避けたいような、そんな雰囲気は感じています。

でも安心してください。みなさんのその感覚はとても正常なんです。だって「死」はなるべく避けたいじゃないですか。出来ることなら見たくないじゃないですか。

でも……ちょっと気になりませんか?


僕は当時、親しい友人を亡くしました。その時、なくなった友人のお葬式から火葬が終わるまで見ていましたが、正直な感想は「一体なにが行われているのか全然わからない」でした。

そこで僕は「知りたい」と思ったんです。一体何が行われているのか、この儀式は一体なんのためにやっているのか、今までなんとなく避けていたこの事実を全て知りたいと思いました。それがきっかけです。


そしてこの世界に飛び込んで目にしたものは驚きの連続でした。

遺体って、それはそれは様々な振る舞いを見せてくるんです。詳しくはこれから後述しますが、時にはそりゃあガッツリ動いたり結構大きな声も出すし、火葬をする際も煙がバンバン出る人、100歳を超えているのにまるで標本のようにしっかり骨が残る人。

そしてそんな現実的な世界と同時にもう一つ、僕は元々、幽霊やお化けの類は信じないタイプだったのですが、どうしても説明ができない怪奇現象というか、不可解な出来事の数々がありました。
それを強く感じたのは意外にも「現実」でした。


ある日、僕は葬儀屋として遺族様に依頼され深夜の病院に向かいました。

亡くなった方を搬送する際に触れたときハッとしました。
……まだ温かかったんです。

亡くなってすぐだったんでしょうね。その時に僕はハッとしたんです。
生きる、とは、死ぬ、とはなんだろう?と。
この人は死んでいる、けど、まだ温かいこの人は生きてるときと一体何が違うのだろうか?と。

ここで初めて生死の境界線の「現実」にぶち当たりました。この時に「魂」と我々が呼んでいるモノの存在をなんとなく感じたのです。
いや、むしろその「魂」とやらを追求したい、そう思うようになりました。

だから自分の身に起きたことや人から聞いたことも素直に受け止めるようになりました。
その経験を元にこれからそういうお話をさせていただきます。

まずは、初めての葬祭業として経験した火葬場職員の初出勤の話から――。