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「I LOVE YOU」と言いながら、自分を抱きしめ続けた(『僕は、死なない。』第29話)
全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
29 入院生活
入院5日目と6日目は土日だったので検査や治療はお休みだった。
翌週の放射線治療に備えて「デカドロン」というステロイド錠剤の服用が始まった。脳の腫れを抑える薬らしい。飲み始めてすぐにその効果を体感した。ものすごく元気がわいてきたのだ。あの身体のだるさ、鉛を引きずっているような感覚が消えてしまったのだ。食欲もさらに上がった。
相変わらず胸の中はズキズキ、チクチクしていたし、30メートル歩くだけで息切れもしていた。股関節や坐骨の痛みは消えていなかったが、身体のだるさがなくなったことは大きな収穫だった。
ドラゴンボールに出てくる仙豆みたいだな……こりゃドーピングに使いたくなるはずだ……。
土日はヒマかな、検査も治療もないし……と思っていたら、大間違いだった。
朝からお見舞いがどんどん来てくれたのだ。時間調整をしなくちゃバッティングしてしまうほどだった。
土曜日の昼食後に来てくれたのは元ボクサーの中野君。彼は僕のジム所属の選手ではなかったが、9年ほど前にウチの選手と試合をしたことがきっかけで知り合い、その後、後楽園ホールで会うたびに話をしたりしているうちに親しくなっていた。今は都内のボクシングジムでトレーナーをしていた。
「刀根さん、将棋を指しましょう。一局、お願いします」
中野君は手提げから将棋セットを取り出した。
おお、将棋か……将棋なんて何十年ぶりだろう。脳腫瘍で、あたま、働くかな?
結果は1勝1敗だった。将棋が終わると、中野君は神妙な顔つきになった。
「実はちょっと相談したいことがあるんです」
「何?」
「試合が決まっている選手がいるんですが、試合前なのに左手を怪我してしまいまして、舟津って言います」
「あっ、知ってるよ」
以前、僕のジムに出稽古に来たことがある、礼儀正しい好青年だった。
「舟津は左フックとジャブが得意なんです」
ああ、確かに。以前見た彼は背が高く、リーチも長いボクサータイプだった。左手が使えないということはつまり、得意なパンチが打てないということ。
「しかもランニング中に足首も痛めてしまって、足もうまく使えそうにありません。なんとか本人に試合を思いとどまらせる方法はないでしょうか?」中野君の眉毛がハの字になった。相当心配しているみたいだ。
「そりゃ、やめたほうがいいよ。勝つことはおろか、怪我するかもしれない」
「ですよね、でも本人がやるって言い張って聞かないんです。しかも次の試合、新人王予選で、相手は優勝候補なんです」
「うむむ……」
「会長も説得したんですけど、言うこと聞かなくて」
僕の知っている限り、ボクサーという人種は、基本的にどんなに不利な状況になっても戦うことを選ぶ人たち。自分が怪我をしたからとか、相手が強いからとか、状況が悪くなったからとか、そういう言い訳を最も嫌う人たち。だからこそ、周囲の大人たちが冷静に導いてあげる必要があるのだ。僕は考えつくことを全て中野君に話した。
「わかりました。本人に話してみます」
中野君が帰ったのは、夕食後の午後6時過ぎだった。ボクシングという世界はいいなぁ。他人のためにあんなに熱くなれる人がいる。
この件に関して、その後に不思議な流れがあった。
結局、舟津選手は試合に強行出場して強烈なKO負けを喫し、後楽園ホールから救急車で搬送された。彼が入院したのは驚いたことに僕と同じ東大病院だった。通常、後楽園ホールから救急車で運ばれる場合は違う病院なのだけれど、当日はベッドがいっぱいで東大病院に運ばれてきたのだ。それは救急車に同乗していた中野君からの連絡で知った。その後、親類以外面会謝絶となり、中野君も舟津君とは面会できずに帰宅した。
試合の翌日、僕が診察を待っていたとき、広い待合室の中、たまたま1人の看護師が車椅子に乗った青年を僕の目の前に連れて来た。なんと、舟津君ではないか。早速話しかけると、彼も僕がどうして東大病院にいるのか驚いているようだった。幸いにも、彼は心配していたほどの大怪我ではなく、眼窩底骨折で手術をするとのことだった。
その日の午後、僕の面会者がロビーまで迎えに来てほしいと言うので、入院棟の1階ロビーに下りると、広いロビーでたくさんの人が行きかう中で、今度は彼のジムの会長さんと彼のお父さんにバッタリと会った。
流れに乗っているときは、こういう偶然みたいな必然が起こるものなのだろう。これがシンクロニシティっていうらしい。
入院6日目の日曜日には、さらにたくさんの人が来てくれた。朝一番には、僕が以前、心理学を教えた女性が小豆島からお見舞いに来てくれた。彼女は、僕を見るなり大きな目を涙でいっぱいにしてハンカチでぬぐった。
「刀根先生……お会いできて嬉しいです」
「大丈夫ですよ、僕は治るっていう確信があるんです。根拠はないですけどね。治ったら小豆島に遊びに行きますから」
「ぜひ来てください、お待ちしてます。絶対ですよ!」
彼女と入れ違いに、また1人元ボクサーがやってきた。彼も僕のジム所属選手ではなかったが、僕のジムに出稽古によく来ていた縁で仲よくなっていた。
「絶対に治ってくださいね」
「うん、大丈夫だよ」
午後には次男が漫画をたくさん持って来てくれた。僕が好きそうなマンガを選んで紙袋いっぱいに詰めて持ってきてくれた。そうとう重かっただろうに。そして中野君が置いていった将棋で次男と一局。まだまだ息子には負けられない。勝負が終わった頃にボクシングジムの真部会長が来てくれた。
「刀根さん、大丈夫ですか?」
唯一のジム休みの時間である日曜日の午後にわざわざ来てくれたのだ。最近のジムの様子や選手たちの試合の様子を聞いた。真部会長は翌週の日曜日も来てくれた。真部会長が帰ってしばらくすると、甥っ子がやって来た。彼と仕事の話や最近できた彼女の話をしていたら、僕のジムの元ボクサーたちが4人ぞろぞろとやって来た。白衣の天使たちが行きかう病院の中、やんちゃ系の雰囲気を放出している彼らの違和感は際立っていて、思わず笑ってしまった。
夕方にも心理学を教えた生徒さんたちが、3人来てくれた。そのうちの1人は岡山から来てくれていた。
ありがたかった。本当にありがたかった。
検査や治療、お見舞いなどのない1人の時間、僕はつとめて「考えないこと」と「いい気分でいること」を意識した。
過去のことも、未来のことも、いっさい考えない。考えてもしょうがないことは、考えない。「今」を気分よく過ごす、それだけだった。
「いい気分でいる」ために、iPodで鳥のさえずりや波の音、イルカの声などが入ったリラクゼーションの音楽を常に聴くことにしていた。
カーテンを引き、1人の空間を作る。ベッドに横になり、ヘッドホンをつける。耳からは鳥たちのさえずりが聞こえてくる。そう、ここは森の中。僕の頭の中では、エメラルドグリーンの木々たちがさわさわと踊っている。葉っぱの隙間からはキラキラと宝石箱をひっくり返したような光が僕の顔を照らしていた。なんて綺麗なんだろう。木々にとまった鳥たちが喜びを謳歌している。命が「今」を生きていることを謳いあげていた。
身体から力が抜けていく。無意識に固まっていた筋肉があったかいお湯に浸かったようにほぐれていく。胸の中のズキズキやチクチク、股関節や坐骨の痛みも不思議と小さくなっていき、最後には消えてしまった。
ああ、なんて幸せなんだろう。ここは天国だ。そう、天国は今、ここにあるんだ。
手や足がジンジンと重くなってきた。身体の中をエネルギーが流れていく。それは頭のてっぺんから尾てい骨まで、まるで小川のせせらぎのように暖かなエネルギーが流れていた。
そのうち、身体とベッドの境界線がぼやけてきた。身体の感覚が消えていく。無限の空間に身体という物質が溶け込んでいく……なんて気持ちいいんだろう。
そして今度は、僕という存在自体が消えていく……。自分という意識の境界線が、ぼんやりとしてきた……。
ああ、そうか……僕はここから来て、ここに帰っていくんだな。
ここには何もないけど、全てがある。
足りないものなんて、何もない。
全てがあるから、何もいらない。
ああ、なんて幸せなんだろう。
がんでも幸せ。がんじゃなくても幸せ。どっちも同じ。
そのとき、僕という意識は完全になくなり、至福と一体に、いや、至福そのものになっていた。
そこは物質を超え、意識を超えた世界だった。
そう、身体が消えても、自分が消えても、至福は残る……。至福は、死なない。
限りない幸福感の海を心ゆくまで泳いでからベッドの上の現実に帰ってきて、目を開けて思った。僕は至福から生まれ、至福に戻って行くんだ。じゃあ、死ぬことなんて怖くないじゃないか。あそこに戻るだけなんだから。
入院が決まった日の夜のことだった。長男が自分の携帯を差し出して言った。
「父さん、いいよ、これ」
それはKOKIAというアーティストの『愛はこだまする』という曲の教会でのコンサートの映像だった。僕は彼から受け取ると、早速ヘッドホンをつけて再生ボタンを押した。ピアノの音とともに、KOKIAの澄んだ声が流れ込んできた。次の瞬間、涙があふれてきた。なぜかわからない。とめどもなく涙が流れ落ちてくる。僕は壁を向いて横になり、曲が終わるまでの約10分間、涙を流し続けた。
音楽の力はすごい。曲が終わったとき、とても癒された自分がいた。
僕は入院中、毎日何度もこの曲を聴いていた。
目をつぶってKOKIAの澄んだ声を聴いていると、僕の胸がぎゅうっとなる。
ああ、そういえば、自分に「I LOVE YOU」って言ってこなかったな……。
僕は、自分のことを全く愛してこなかったんだな……。
ごめんね……ごめん、僕。
そのとき、まぶたの裏に子どもが現れた。その子は小学校の低学年くらいで、なぜか薄汚れた体操服を着ていた。その子は不安そうな、今にも泣き出しそうな顔をして、僕を見ていた。
この子は僕だ!
今まで、全く気づかないようにしていた、無視していた、僕の中の子どもの僕……。
僕の中でいないことにしていた僕。弱い僕、臆病な僕、自信のない僕、傷ついて泣いている僕……全部、僕だった。
気づかなかった……この子が僕の胸の中にいることに……。
ごめん、本当にごめん。
僕は心の中でその子を抱きしめるように、自分の身体を両手で抱きしめた。
ごめんよ……愛しているよ、愛してる。
KOKIAの澄んだ声と一緒に「I LOVE YOU」と言いながら、自分を抱きしめ続けた。涙がとめどもなく流れていた。
毎日毎日、何度も何度も、この曲とともに自分を抱きしめているうちに、涙はだんだんと出なくなり、そのうちに暖かい微笑が浮かぶようになった。あの子が「もういいよ、ありがとう」と言った気がした。
次回、「30 放射線治療」へ続く
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