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肺がんステージ4。妻になんて言おう?(『僕は、死なない。』第2話)

2 死ねない

「どうだった?」
扉を開けると社長の心配そうな顔が飛び込んできた。
「驚かないでくださいね、ステージ4でした」
「え? うそ⁉」
僕の勤めている会社は、企業や官公庁に心理学をベースとしたコミュニケーションやリーダーシップなどを教える研修をなりわいとしている。僕の仕事も研修講師。社員数は少ないものの、もう創業して30年近くなる歴史のある会社だ。社長は女性で、創業者の先代社長が10年ほど前に退任して後を継いでいた。
「ホントなの? 間違いないの?」社長の眉が心配そうにハの字になっている。
「多分……CTとかペット検査の画像とか、いやというほど見せられました」
「でも全然元気じゃない。毎日ジムにも行ってたし」
「ええ、そうなんですよね。自分じゃ全くわからなかったです。今日だって全然元気だし」
「そうよね、元気よね」
「ええ、でもなんだか肺がんのステージ4ということで……僕も驚きましたよ」
「うーん……」
「でも大丈夫です。僕は絶対に治りますから」
「そうよね、刀根さんだものね、きっと治るわよ」
「ありがとうございます」
「私も治療とか詳しい人に聞いてみるわ。仕事で医療関係の人もたくさんいるから」
「助かります」僕はそう言うと、自分の席にどかっと座った。いつも座っている椅子なのに、なぜか座り心地がとても悪かった。
なんとかしなくては……このままだと1年以内に7割の確率で死ぬ。
 何かに急かされるように、落ち着きなくパソコンを開いたものの、何も頭に入ってこなかった。
 そうだ、会社で仕事なんてしている場合じゃない。この状況を打開するのは自分しかいないんだ。次の診察まで何もしないで待っているなんてできない。座して死を待つなんて真っ平ごめんだ。自分でなんとかするしかない。自分が今できることをやるんだ。僕は社長に話しかけた。
「社長、今決まっている僕の担当する研修は全てやりますので、明日からは不定期の出社にしてもらっていいですか? 治療方法とかいろいろ調べたり、できる治療を始めたいので」
「ええ、いいわよ。研修に穴さえあけなければ、基本的に講師の仕事ってあまりないし」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」僕は何度も頭を下げた。
そのとき、一つ考えが浮かんだ。2カ月ほど前に心理系の学会に出たときに、「自強法」という身体を自由に動かす治療的ボディワークを体験したことがあった。ほんの10分ほどの体験で、それまで頻繁に出ていた不整脈がほとんどなくなった経験をしていた。また、そのときに講師として来ていた人が、父親が脳梗塞で倒れたときにこの方法を試して、数日で脳梗塞を治したという話が耳に残っていた。
脳梗塞が治るのであれば、がんも治るかもしれない……。
 僕は早速、そのとき交換した名刺を取り出して、東京の事務所に電話をかけた。
「はい」
「あの、先日学会で体験させてもらった者なのですが、今日そちらにお邪魔させていただいてもよろしいでしょうか? 少しご相談がありまして」
「ああ、あのときの学会の人ですね。ええ、いいですよ。ちょうど午後は時間が空いてますから。場所はわかりますか?」
「ええ、いただいた名刺で住所を探して行きますので、大丈夫です」
「じゃあ、お待ちしていますね」
「ありがとうございます」
電話を切ると、社長に「先日の自強法の事務所に行ってみます」と伝えた。社長も一緒に学会に出ていたので「ああ、あれはいいかもね。行ってらっしゃい」と気持ちよく送り出してくれた。
「行ってきます、今後のことは連絡入れますから」僕はすぐに会社を飛び出した。

電車を乗り継いで自強法の事務所の最寄り駅に降り、スマホで地図を見ながら、事務所に向かっていく。事務所が入居している建物が目に入ってきたとき、不思議な気持ちになった。なぜか既視感があった。
「いらっしゃい」そう出迎えてくれたのは品のよい老人だった。
「自強法の東京責任者をしています、トキと申します」老人は丁寧に名刺を差し出した。
僕は今朝からの出来事をかいつまんで話した。
「そうですか、それは大変だったですね」トキさんは気の毒そうに僕を見た。
「実は私の一族には医者が多くてね、親父も兄もみんな医者だったのですよ。だから現代医療というものがどんなものか、私なりにはわかっているつもりです」
「そうなんですか」
「現代医療も対症療法という点では優れたところもありますが、根本治療という点では、私は疑問を持っています。実際、私も妹をがんで亡くしていますので」
「……」
「お話は大体わかりました。自強法でがんが治ったということは聞いたことはありませんが、やってみましょう。私も今まで奇跡的な治癒の場面にたくさん出会っていますので」
「ありがとうございます。助かります」
「じゃあ、日程を決めましょう。9月17日から19日までの3日間、こちらにお越しください。
準備をしておきますので」
「よろしくお願いいたします。それまでに何か気をつけておくことはありますか?」
「そうですね、刀根さんは肺がんですよね、だったらなるべく胸を大きく、呼吸を深くするように意識してください。がんは酸素を嫌うのです」
「そうなんですか、わかりました」
トキさんと話をしていると、僕の記憶の中で何かの回路がつながった。
そうだ! ここには来たことがある! この部屋にも来たことがある! そう、あれは1996年か1997年のことだった。ちょうど当時勤めていた会社を辞めた頃、ある不思議な感じの知人にここに連れてこられたのだ。
「トキさん、僕はここに来たことがあるように感じているのですが……、小川さんって女性をご存知ですか?」その知人の名前を言った。
「ああ、あの人ですね、知ってますよ」
「僕は彼女にここに連れてこられた記憶があるんですよ」
「ええ! そうなんですか?」
「はい、そのときもトキさんとお話ししています。あの頃は確か、着物を着ていらっしゃって、ヒゲがあったような気がしますが……」
「そうか! 私もなんだか刀根さんとは初めてじゃない気がしていたんです。小川さんがここに来ていたのはちょうど20年くらい前だから、その頃に私たちは会っていたんですね、いやぁ、不思議な縁だ」
トキさんも感慨深げにうなずき、微笑みながら言った。
「こういう不思議な縁や出来事が起きるということは、うまくいっているということです。刀根さん、あなたの病気はきっとよくなりますよ」
「僕もそう思います」
「そうそう、私は昔身体にとてもいいミネラルを売っていたことがあってね……」トキさんはそう言うと、灰色の粉をビニールに詰めて渡してくれた。
「普通に販売したら8000円くらいのものだけど、あげるよ」
「ありがとうございます!」
自強法の事務所を後にし、僕は次の場所へ向かった。
 
僕は研修講師の仕事が終わった後、夜は葛飾区にある「マナベボクシングジム」でトレーナーの仕事もしていた。仕事と言っても無給のボランティアだが、プロ選手を3人担当していて、彼らと一緒に頂点を目指してトレーニングの日々を送っていた。真部会長には僕ががんであるかもしれないということだけ、前もって伝えていた。
ジムへ向かう階段を上ると、サンドバッグやパンチングボールを叩く、ボクシングジム独特の重低音が聞こえてきた。毎日聞きなれたズンズン響くこの音が、なぜか新鮮に聞こえた。
「刀根さん、どうでした?」ジムに入ると真部会長が心配そうに話しかけてきた。
「いやあ、自分でも驚きでした。ステージ4でしたよ」
「マジですか!」真部会長は目を大きくすると、言葉を失った。
「1年生存率が3割だって、ネットでは書いてありました」
「……」
「でも、僕は必ず治りますから、必ず治してここに戻ってきますから」
「そうですよね、不可能を可能にするのは、その気になれば難しいことじゃないですからね」
そう、ボクシングの世界では不可能といわれたことを成し遂げた人たちが大勢いる。僕もジャンルは違うが、その一人になるんだ。
「ということで、治療が一段落するまでジムはお休みさせていただきます。今月は大平と工藤の試合がありますが、申し訳ないです」
「いやいや、それは治療を優先してください。大平と工藤は私が見ます。長嶺もなんとかしますから」
真部会長は僕の担当している選手たちの面倒を約束してくれた。そうこうしているうちに選手たちがやってきた。
「今日の検査で肺がんだとわかった。ステージ4だそうだ。ステージって1から4まであって、4は一番どん詰まりなんだ。4の次はないんだ。だから残念だけど、お前たちのトレーナーをできなくなった。セコンドとしてリングサイドにつくこともできない。すまない」
「何言ってるんですか、僕らは大丈夫です。刀根さんは自分のことをやってください。今まで刀根さんに教わったことを忘れないで練習します。刀根さんのためにも、絶対に試合に勝ちますから、見ててください!」
少し涙が出たのをごまかすように、上を向いた。
「ありがとう」
 
僕は家路に就いた。今日は本当にいろいろなことがあった。そして今日一番の仕事がまだ残っていた。
妻になんて言おう?
 僕たち夫婦は外見上はどうあれ、コミュニケーション的にはあまりうまくいっていなかった。僕は研修の仕事やボクシングジムのトレーナーで忙しくしていて、帰宅するのは毎日午後10時を回っていた。テレビニュースを見ながら妻が作ってくれた食事をかきこみ、シャワーを浴びて12時頃に布団にもぐりこむ。その間、妻とはまともな会話がほとんどなかった。
 妻はもともとあまり話をするほうではなく、どちらかというと寡黙といっていい。おとなしくて口数が少なく、人と関わるのは苦手なタイプ。だからか夫婦のコミュニケーションは僕が話し、妻が答えるというパターンがほとんどだった。
妻は時々、つぶやくように言った。
「私、生まれ変わったら結婚なんかしない」
「誰の面倒もみたくない。自分ひとりのことだけやっていたい」
「一人暮らしがしてみたい」
僕はその都度、聞き流していたが、妻が時々もらす言葉が心の隅に引っかかっていた。
検査結果を聞いて、妻がどんな反応をするだろう?
 ふーん、と聞き流されたらどうしよう?
 私はどうなるの!と詰め寄られたらどうしよう?
 お金は? 子どもたちの学費はどうするのよ!と責められたらどうしよう?
 頭の中をいろいろなシーンがよぎった。
玄関を開け、家に入る。妻は台所で夕食を作っていた。
「ただいまー」
「おかえり、どうだった?」妻が心配そうに振り返った。
「驚かないでね、ステージ4だった」
「えっ?」
妻の目から、みるみる涙があふれ出した。僕は妻の震える身体をそっと抱きしめた。
 絶対に死ねない、死ぬわけにはいかない……。

次回、「3 死の恐怖」へ続く


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