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❖「ノベル」な書き出し「述べる」だけ(第22話)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年7月28日)

(小説っぽい書き出しで表現してみるシリーズ)

<探究対象…防衛機制、フロイト、教育、記憶>

自己防衛のための不器用さ。
それは常に変化したいという思いを持ち、積極的に動くことができる人に憧れを抱きつつも、そちら側に立つことができない自分の不甲斐なさや情けなさを、不器用という不可抗力で結果的に正当化してしまおうという、後ろ向きだがなかなか狡猾な戦略。

ある境遇に自分一人が置かれているときは、わざわざこの戦略を用いなくてもいい。そのときは自分のペースが唯一解と捉えやすくなり、他の何かに急かされずに済むからである。この戦略は、他者の動きやペースを気にして心穏やかではいられなくなるときに役に立つ。自分の心を守ってくれる。

めったに訪れることがないネパール、しかもヒマラヤの山奥に来て、土木作業のボランティアだけでなく、現地の子どもと交流し視野を広げるせっかくのチャンスを目の前にしながら、私は自分の心を守ることばかり考えていた。

成長や経験よりも、保身を選んだのだ。

私たちはあの積極的な女の子の申し出通り、彼女がいる教室に入る。中には、彼女と友達が数名いるだけで、先生はおらず、自習という感じだった。子どもたちは女性のボランティアメンバーに色々質問したいらしい。そのメンバーは大学生くらいだったので、彼女たちからすると年齢の近いお姉さんだ。しかも日本の文化について教えてもらえる存在だ。文化といっても気取ったものではなく、ファッション、ネイル、アクセサリー、スマホなどの流行りに関わるものについて色々聞きたいらしい。そのメンバーを取り囲んで矢継ぎ早な質問責めである。

もう一人のメンバーと私は男性で、彼女たちが知りたいことを話してあげられる存在ではなく、二人には質問はない。質問が来ないのが私だけではないという状況に、後ろ向きだが安堵していたのも束の間、もう一人は逆に彼らに質問をし始めた。質問は、彼らが使っている教科書の中身や、授業のことなどで、ネパールの教育に関心を持っていたのである。教員である自分こそ、そういった内容に関心を持つべきではないかと、はっとさせられたが、恥ずかしいことにそういった関心はほとんどなかった。

質問攻めのメンバーは質問に答えるという「受動」によって、もう一人のメンバーは自分の興味関心を彼女たちにぶつけるという「能動」によって、教室内の子どもたちと積極的なコミュニケーションを成立させていた。私だけがその渦の外に取り残されていた。

そんな無力感や無価値感で、心は折れるどころか、ボロボロバラバラと崩れていく。実際には音など鳴るはずもないのに、私だけにはしっかり聞こえるのだ。その状態を恥ずかしいと思っている自分がどこかにいて、教室から離れたかったが、それは単なる逃げでしかないと考える自分もいた。だから、何とか気を紛らそうと、教室内の壁の表示を熱心に眺めたり、片っ端から撮影したりした。

質問が来ないのではなく、私が色々別のものに関心を払っているので、彼らは私への質問を遠慮しているのだという虚構のシチュエーションで、自分の心の傷を塞いでいた。私は自分の不甲斐なさを逆手に取って、必死で自分を庇ったのである。

こうした不甲斐なさや不器用さを利用した守りについて改めて考えたとき、ちょうど同じメカニズムを有した行動について芸人が話していたことを思い出した。それはアメトークという番組で「人見知り芸人」というテーマの回。その中で、オードリーの若林が話した「ペットボトルのラベルを真剣に読み込む」や、バカリズムが話した「できるだけゆっくり弁当を食べて口を塞ぐ時間を長くする」などが、同じメカニズムの典型例だと思う。

ただ、自分を守ったとは言っているものの、実際は一切何も守られていないことは、当の自分が一番良くわかっている。このときの情けなさのインパクトがあまりに大きかったからだろうか。20年以上も前の或る出来事の記憶が甦ってきたのである。

前回を受けての書き出し部分が【課題の設定】
そのあとの部分が【まとめ・表現】
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【本日はここまで、以下は補足、蛇足?】
積極的な女の子の教室では、生徒たちが教科書を広げていますが、授業ではなく自習でした。ネパールの教育システムはよく分かりませんが、先生が終始ついているわけではないのかもしれません。私たちが教室に来ると、ボランティアの女性メンバーの周りに人だかりができました。質問攻めです。【情報の収集】

こうしたコミュニケーションが活発化する場面が苦手な私は、その流れに自分が乗れていないことを認めたくなくて、別の対象との繋がりを強め、流れに乗れないのも仕方がないと考えてしまいます。以前の回でも触れたフロイトの「防衛機制」でいえば、「昇華」ですね。そこまで教室の壁に描かれた情報に興味がないはずなのに、やたら見入っていたのは、昇華の典型例だと思います。【整理・分析】

もちろん教室の壁の情報というのは、ネパールの教育の実態を知るとても良い機会です。壁には1から数字が増えていくイメージが絵で示されていたり、アルファベットと絵が結びつけられていたりしました。【情報の収集】

そこで使われている絵は、鳥・牛・家・太陽・水など子どもたちにとって身近なものでした。これは文字をインプットする際、身近な絵とセットにすることで、具体性が高まり受け取りやすくなる工夫の一つだと思います。ここからネパールでは子どもたちにどのようなアプローチで知識を定着させてようとしているのかが見て取れましたし、どんなものがネパールの子どもたちにとって身近であるのか、生活実態も伺い知ることができました。【整理・分析】

ただそういった情報がいかに貴重であるかは、活発なコミュニケーションの渦の外にあって焦りとか不安とかに支配されていたので、ほとんど気づいていませんでした。こうして以前の写真を振り返ってみると、多くの気づきがあり、もっとしっかり見ておけばよかったと、これはこれで後悔の念があるわけです。【まとめ・表現】

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