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★我楽多だらけの製哲書(68)★~5月15日という日とベルクソン~

今日は5月15日である。
5月15日は沖縄が本土復帰した日であり、2022年は本土復帰から50年の節目の年である。
6年前、私は沖縄に住んでいた。そのときに感じたことをSNSで投稿していたので、それを振り返ろうと思う。

(以下は2016年の出来事の回想である)
皆さんは「5月15日といえば何の日でしょう」と問われて、何の日であると答えるでしょうか。
私は社会科の教員であるにも関わらず、恥ずかしながら即答することはできませんでした。
5月15日は沖縄が日本に復帰した日です。

1972年5月15日に復帰して、2016年で44年目になります。しかし、30周年とか50周年というように切りがよい年でないと、日本全国としては特に気に留めなくなってきているのでしょうか。琉球新報や沖縄タイムスのような地域紙は1面で沖縄復帰の記事を載せているのですが、全国紙の日本経済新聞では1面どころか、どこにも復帰の記事は見当たりませんでした。(私の探し方が足りなかったのかもしれませんが、仮に記事があったとしても、すぐに見つけられるような大きさや見出しではないのは間違いないでしょう)

私は別に「これから先も復帰という出来事を忘れないようにしましょう」と言いたいわけではありません。しかし、その復帰の日を一つの契機として、沖縄が占領されるに至った経緯や当時の国際環境などに対する理解と知識を持ち、今後同じような出来事が起こらないための大切な記憶にしてほしいということです。また、そのような歴史を持つ沖縄の現状はどんなものであり、私たちはこれからどんな取り組みをしていくべきなのか、自分たちに関わる能動的な問題として受け止めていかなければならないということです。

社会の教員として、政治経済では「平和主義」の単元で沖縄問題をこれまでも扱ってきました。しかし、そのときの私と沖縄とのつながりはあくまでも「文字上の繋がり」で理念の範疇を超えないものでした。そこで語られる説明は、一般論にすぎず、無味乾燥というか血が通っていないというか、とにかくリアリティとはかけ離れた、いわば「骸骨」のようなものだったと思います。

現在、沖縄の地に住んでいると、日中も頻繁に飛行機が轟音を立てて行き来し、ニュースではお馴染みだったオスプレイを何度も見かけます。また、私の勤めている学校は浦添市なので、宜野湾市とも遠くはなく、移設問題で焦点となっている普天間基地が、自分との「現実的な繋がり」という実態の範疇にあることを感じます。

そして、生徒たちや先生やタクシーの運転手など、沖縄に住んでいる人たちから聞く「現実の沖縄」には、彼らの生活につながっているわけですから当然に血が通った経験・印象・感想であり、熱を帯びているわけです。

フランスの哲学者であるヘンリー=ベルクソンは、近代自然科学的な時間の捉え方、換言すれば外部的で量的に把握しようとする捉え方で、カントに始まるドイツ観念論における物事の捉え方を批判し、内部的で質的に時間というものを捉えようとする「生命の哲学」を展開しました。

私たちは時間というものを捉えようとするとき、例えば、英語の学習における時制の理解に用いられる「数直線」のようなものや、仏教やバラモン教などで一生という時間の理解に用いられる「円環」のようなものが代表的ですが、そういった直線や円の長さや位置として考えることが多くあります。しかし、ベルクソンに言わせれば、それは時間というものを「空間化」したわけで、本来の時間を捉えたことにはならないのです。本来の時間は、私たちの生命活動とともに歩んでいるものであり、人間との繋がりを断ち切って一般化された「時間のようなもの」は決して本来の時間とは言えないのです。直線や円を使って一般化して説明しようとするとき、その時間は本来の輝きを失い、もはや「時間の標本」となり躍動感はなく、骸骨やミイラのようなものになってしまっているわけです。これは時間が本来存在していた場所から引き離されて、動きを失った「時間の骸骨・ミイラ」を外側から観察しているにすぎないのです。

何かを「空間化する(量的に処理する)」ことで把握しやすくはなりますが、本来の姿は失われるということを別の事例で考えると、「斉藤健」とはどんな存在であるかを空間化する(量的に処理する)と、出身は北海道で、血液型はB型で、生年月日は1977年6月30日で、身長は××センチで、肩幅は××センチで、心臓の体積は××立方センチで、血圧は××で、趣味は魚の飼育で、特技は卓球で・・・というように、私に関する情報が列挙されることになります。それらを集めると確かに「斉藤健」という存在の説明になっているように感じますが、所詮は「斉藤健のデータ」にすぎないのです。

これに対して、質的に処理するというのは、「小学校のときどんな授業でも地図帳ばかり見て先生を困らせていた」とか「大学生の時、最初は嫌々ながら模擬裁判の弁論者をすることになったが、取り組む中で面白味を感じ、のめり込んでいった」など、動きの感じられる記憶というかエピソードとして捉えることのように思っています。しかし、過去の出来事はいかに詳細で動きがあるように示したとしても、結局「生命の流れの痕跡」であり「思い出という名の一種の物質」に成り下がってしまうのです。

そのため、現に流れている時間というものは取り出して観察することができないものであり、今まさに輝きながら流れているその内側に入って感じることしかできない特別なものなのです。

そして、ベルクソンはこのような流動する生の流れを「生命進化の根源」、「生命の創造的な力」と捉え、「エラン=ヴィタール(生の躍動)」と呼びました。

私がかつて沖縄問題について文字上の理解に留まり、一般論としてもっともらしいことを主張していた状態は、「問題意識の標本」にすぎず、それでは世の中を変えることは何一つできないのです。しかし、今、現に起こっている沖縄問題の中にいて、浮上する問題意識には躍動感や熱があり、それはエラン=ヴィタールの如く社会というものを変えていく原動力になると思います。

(以下で当時の沖縄の様子などを紹介)
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