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❖足元美術館XⅧ(早朝に届けられた素敵な贈り物)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年12月27日)

ほぼ毎日、ベランダで成長を続ける謎の植物を撮影している。
ほぼ毎日、ベランダから見える朝空も撮影している。

でもその日だけ、いつものベランダとは違っていた。
ベランダの手すりの下、少し前に進めば落ちてしまうのではという場所に、誰かからの素敵な贈り物が届いていた。

でもこれを「贈り物」だと考えるのは、私の勝手な解釈だろうか。もしかしたらどこかのうっかり者が置きっぱなしにした「忘れ物」だろうか。

贈り物は「present」。
英語が詳しいわけじゃないけれど、「pre」は「前、先、あらかじめ」だと思う。そして「sent」はラテン語の「ある」が語源らしい。俗説的に「渡す、贈る」の「sent」があるけれど、こちらの方がいい感じ。「present」は物だけど、誰に渡すか選ぶとき、気持ちは相手に向かってる。気持ちが先に動いてる。

「気持ちが先で、物が後」、そんな素敵な「present」。

「存在するとは、知覚されることである」
バークリーはそう言うけれど、物の知覚のその前に、気持ちは近くに向かってる。

「忘れ物」の可能性も気になった。だから触らずそのままに。そうして朝を迎えたら、いつもと同じベランダだった。うっかり者が気づいたか。いたずら者の風の仕業か。

今、目の前には無いけれど、昨日の記憶は残ってる。
素敵な記憶は残ってる。
私の知覚になくたって、素敵な記憶は近くにある。
記憶という名の贈り物。
素敵な記憶の贈り物。
それはしっかり配達完了。

ちなみに「贈り物」はタイ語では「コン クワン(ของขวัญ)」という。コン/コーン(ของ)が「物」、クワン(ขวัญ)が「魂」を意味している。分解してみて驚いた。タイ語でも単なる物ではなかった。物に相手への気持ちが宿っている意味だった。相手を思って選ぶのは、人類共通かもしれない。

あの素敵な贈り物は、こんな素敵な気づきとも巡り合わせてくれた。

#この街がすき   #旅のフォトアルバム
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