見出し画像

【小説】 落ちたラムネ 【ショートショート】

 風邪をひいた訳でもないのに三日ほど前から鼻水とくしゃみが止まらず、ネットで評判の良い隣町の内科へ行ってみることにした。

 国道沿いに建つその内科の駐車場はどこに停めて良いのか迷ってしまうほど広く、黄色い看板にはニコちゃんマークのようなキャラクターが描かれていて、とても明るい印象を受ける。小児科もあり子供の患者も多いようで、院内にはキッズルールも完備されていて、平日の昼前でも院内はかなり混雑していた。

 愛想の良い丸々とした受付のおばちゃんに初診の旨を伝えると、クリップボードに挟まれた紙に症状を書いて待っているように言われた。まぁ、よくある流れだなぁと思いながら症状を書いて手渡すと、お薬手帳の有無を訊ねられた。

「島村さん、お薬手帳持って来てますか?」
「あー、すいません。持って来てないです」
「はぁー……そうですか。あの、ネットを見て来たって書いてらっしゃいましたけど、それでも持って来なかった?」
「え? まぁ、はい」

 受付のおばちゃんは何か不満げな顔を浮かべながら僕に診察室の前で待つよう言って、小窓についていたカーテンをシャッと閉めた。

 受付を奥に進むと広めの通路があり、そこに診察室が三つも並んでいた。通路の長椅子には先客が何名か居て、僕はガリガリに痩せたお婆さんの隣に腰を下ろして呼ばれるのを待つことにした。

 途中で年配の看護師にお薬手帳を持って来ているか再び訊ねられ、持って来てないことを伝えると看護師は返事もせずに診察室へと入って行ってしまった。あっても無くてもどちらでも良さそうな気がしたので特に気にも止めずにスマホを取り出すと、隣に座るお婆さんに声を掛けられた。お婆さんの声は甲高いのにどこかザラザラしていて、少し不気味な感じがした。

「あなた、ねぇ! お薬手帳持って来てないの?」
「まぁ、そうですね。つい忘れちゃって」

 可もなく不可もない感じでそう答えると、お婆さんは両手の拳を握り、自分の両膝に叩きつけながら

「もったいない! あー、もったいない!」

 と叫び、下唇を噛んでとても残念そうな表情になった。頭がおかしな、若しくはボケてしまっている人なのだろうかと一瞬びっくりして言葉を返せずにいると、お婆さんは僕に構うことなく続けた。

「この病院に来るのに、お薬手帳ないなんてもったいない!」
「あの……さっきも聞かれましたけど、お薬手帳があると何か良いことでもあるんですか?」

 気になって聞いてみると、お婆さんは痩せ細った両手を思い切り広げて笑顔になった。いきなり手を広げたもんだから、黄ばんだ爪先が頬を掠めていった。

「あるの! いっぱーい、ある!」
「へぇ……あの、何が?」
「ラムネ! ラムネがもらえるの!」
「ラムネ……?」
「あっまーいの! あっまーくて、お口の中でトローンってするの!」
「あぁ……そうですか」

 小児科もあるから、きっとオマケみたいなものなのだろう。なんだ、そんなことだったのかと思い、薄いリアクションを返すと、お婆さんは突然険しい顔になって金切り声を通路に響かせた。

「そうですかじゃない! ちゃんと聞け!!」
 
 お婆さんは目を見開き、わざわざマスクをズラして怒った顔を僕に見せつけて来た。顔を近付けて、怒っていることをアピールしているようだった。顔が近付くと、お婆さんからは青鯖のような生臭い匂いが少しだけした。
 僕は無視を決め込もうとすると、奥にいた口髭を蓄えた白いベストを着たおじさんが僕を向いた。

「あなたね、ここへ次に来る時は必ずお薬手帳を持って来た方が良いですよ。とにかく、ラムネが名物なんですから」
「あの……そんなにここのラムネって美味しいんですか?」
「ははは! それは君、ナメてもらっちゃ困るよ。とにかくね、一度試してご覧なさいよ。たまらないから」
「まぁ、次来た時は……はい……」

 ラムネラムネって、一体それがなんだって言うんだ……。僕はまるで自分が悪者にされた気分になり、すこぶる機嫌が悪くなった。スマホを弄ってるのに隣のお婆さんが一分に一回ほどのペースで「わかったわね?」と声を掛け続けて来るので、正直うんざりした。

 また看護師がやって来たと思ったら、今度はまだ研修生上がりのような若くて可愛らしい女の子だった。
 女の子の看護師は僕の側で腰を下ろすと、たどたどしい口調で、上目遣いになって僕を見た。

「あの、島村さん。えっと、お薬手帳は……あの、本当にないんですか?」
「え? さっきも答えましたけど、ないですよ」
「えーっと、バッグの中とか、探してみてもないですか? 大事なものなので」

 可愛い子の言うことだから、一応探すフリだけして、僕はお薬手帳を持って来ていないことをアピールした。

「やっぱりないですね、忘れっぽいんですよ」
「そうですか……次来た際は、必ずご持参して下さい。必ずですよ? 約束して下さいね」
「え……約束ね、はい」

 女の子の看護師は立ち上がると何度も首を傾げながら、苛立っているのか、頭を掻き毟りながら診察室へと戻って行った。
 さすがにそこまで強要されると不気味に思えて来て、一瞬だけこのまま帰ってしまおうか、という迷いも出始めて来る。お婆さんが先に呼ばれて隣が空くと、奥の方から重たい扉が開く音がした。

 視線を向けると診察室が三つ並んだその先にトイレがあり、さらに通路のずっと奥にある防火扉が開いたのだと分かった。 
 そこから人が数人ぞろぞろと出て来たと思ったら、全員丸坊主の子供だった。小学三〜四年くらいの男の子が五人、服装はバラバラだが揃いも揃って非常に狭い歩幅で、タッタッタッタッ、というテンポで歩いている。ふざけているのだろうかと思ったが、顔は全員、青褪めていて口を一文字に結んだ真顔だった。僕の前を通り過ぎて行く時、子供達の手にはオレンジ色のラムネ菓子の瓶のような物が握られているのが見えた。

 子供達はタッタッタッタッというテンポのまま受付の方へ歩いて行くと、そのまま外へ出たようだった。少し間を置いて待合室の方からパチパチと拍手が聞こえ、何があったのかと思ったら長椅子に座っていたおじさんや他の患者さん達も、微笑みながら通り過ぎて行った子供達に小さな拍手を送っているようだった。

「今日は運がいいね」
「あれならもうすぐだねぇ、立派になって」
「自分もあと二十若ければねぇ」

 などと囁き合っている。
 あの子供達が一体、なんだと言うのだろう?
 訳が分からず会話の端から情報を得ようとしていると、年配の看護師が再びやって来た。

「島村さん、この症状はいつから?」
「えっと、三日くらい前からずっとです」
「ムズムズしてクシャミが出る? それとも関係ない?」
「あんまり……関係ないです」
「はいはい。熱はない、と。じゃあ三番の院長先生の診察室へどうぞ」

 院長に診てもらえるのか、それなら多少は安心かと思い中へ入ると、坊主頭の院長は僕の方にちらりとも視線を向けず、タブレット用のペンで画面を突きながら「座って下さい」と抑揚のない声で言った。愛想もクソもあったもんじゃないな、大丈夫かよと思いながら腰を下ろすと、奥から年配の看護師と可愛い看護師が現れた。
 院長は僕の方を向かず、年配の看護師の方を向き、僕の症状についてあれこれ聞いている。一通り説明が終わると、今度は可愛い看護師がたどたどしい口調でやはり、院長に僕の症状を伝え始める。
 院長は僕の方を見ず、画面に何やら入力しつつ「アレルギー性の反応があると思うので、お薬出しときますから、様子診させて下さい。次回は来週の土曜日で。お大事にー」と一方的に診断を終わらせてしまった。

 あれだったら僕が診察室に入る意味はまるで無かったんじゃないかと流石に腹に怒りを感じながら待合室へ戻り、会計を待った。
 他にも十人くらいが会計待ちをしていて、早く呼ばれないかなぁと思っていると辺りの会話が嫌でも耳に入って来る。

「私あと二粒で終わっちゃうとこだったの」
「まだいいじゃない、私なんか足らなくなっちゃって旦那に取られちゃったんだから」
「あらまぁ。そういえば最近見ない磯島さん、足らなくて困ったからって夜中に来たんですってよ? 先生、お怒りになってしばらくもう出さないって」
「まぁ! 馬鹿なことしたわねぇ……嘘でもいいからいい子ちゃんにしてないとねぇ」
「要領悪いのよ、あの人は昔っから……」

 足らない? 薬のことだろうか。それとも、ラムネのことか? そんなに欲しがるラムネが、この世にあるとでも言うのだろうか。
 どんなラムネなのかぼんやり考えていると、いつの間にか名前を呼ばれていることに気付いて急いで立ち上がる。
 受付のおばちゃんに会計を済まし、次に横の窓口で男の薬剤師から薬を渡される。その際も「念の為ですけど」とお薬手帳の有無を聞かれ、嫌気がさしながら被せ気味に「ないです」と答える。

「今回は特別ですから。次は必ずお願いしますね」

 僕は返事もせずに薬の入った袋を奪うようにして受け取ると、急いで病院を出た。自分達しか知らないルールを押し付けられ、なんだかずっと小馬鹿にされているようでとにかく気分が悪かった。二度と来るもんかと思いながら車のドアを勢いよく開けると、その拍子に薬の入った袋を落とした。
 紙袋の中から錠剤のシートが顔を覗かせていて、拾い上げると何かが落ちて転がった。

 オレンジ色の、ラムネ菓子の入った瓶だった。
 瓶のラベル部分にはニコチャンマークのような病院のキャラクターが描かれていて、途端に気味悪く感じた僕はそれを拾い上げると駐車場の隅へ放り投げた。
 こんな所、二度と来るもんか。そう思いながらエンジンを掛け、病院を出る為に車を発進させる。
 すると、駐車場の入口から数台の自転車に乗った中学生くらいの男の子達が入って来るのがバックミラーに見えた。彼らは乗って来た自転車をそのまま横倒しにして、僕がラムネを投げ捨てた辺りに群がると、顔を見合わせて驚いたような顔を浮かべ始める。
 その様子が気になり、一度ブレーキを踏んで確かめてみると、彼らは腰を下ろしたままラムネを貪るようにして食べ始めた。そのうちの一人が天を仰いで奇声を上げたのが、窓を閉めていても聞こえて来て急いでブレーキペダルから足を離した。
 国道へ出てさっさとここを後にしようとするが、右へ折れて出ようとするも車が続々と流れて来て中々出るに出られない。

 そのうち大きなトレーラーが右手からやって来るのが見えると、ウィンカーを出してこの駐車場へ入って来た。座り込んだままラムネを貪る中学生達がトレーラーの陰に隠れると、トレーラーは病院の裏口に向けてゆっくりとバックし始める。搬入なのか、それとも搬出だろうか。
 クリニック規模の病院に、何故大型のトレーラーが来る必要があるのだろうか? その為にこの駐車場は広く作られているのか?
 不思議に思い、その理由を考え始めるとすぐ後ろにつけていた車にクラクションを鳴らされた。目の前の道路はすっかり車が引いていたのだ。

 急いで病院を出ると、ドッと疲れが噴き出した。
 もう、ペダルを踏んでいることさえ正直面倒だと思った。さっさと家に帰って横になろう。病院へ行って、かえって具合が悪くなった。そう思いながら、国道を直進する。
 ふとルームミラーに目を向けてみると、病院を出る時と同じ車がずっと後ろについて来ているのが気になった。まぁ、たまたまだろう。
 気を取り直してそう思うことにして、右へ曲がるウィンカーを出して信号が変わるのを待つ。右折した先はかなり細い道の住宅街へ入るから、ここを曲がる車はかなり限られている。ついてくるはずがない。

 安心しながらふとルームミラーを見てみると、あの車はまだ後ろにピタリとくっついていた。ダッシュボードには、オレンジ色の瓶がいくつも転がっているのが見えた。
 信号が変わる。僕はゆっくり、深呼吸をするようにアクセルを加速させて行く。

サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。