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【小説】 十四階から 【ショートショート】

 もう何もかもが嫌になってしまった。生きていても良いことなんか贅沢だと思い望んでないのに、悪いことは歯止めも掛からず次から次へと僕の元へ訪れる。
 大学へ入ってすぐに父親の大借金が発覚、退学してなんとか就職が決まった会社は僕の父親が借金を頼み込んだ相手が社長だった為、入社を拒否された。
 仕方なしに飛びついた工場派遣は住み込みで、寮として入っているボロアパートの六畳間は月に六万円も差っ引かれてしまうし、家具家電使用料として光熱費とは別途で一万円も取られてしまう。
 何も無い田んぼの側に寮は建っていて、一番近いイオンに行くのに車で三十分も掛かるような場所だし、「せめて中古車くらいは」と思ってコミコミ18万円の中古車ローンを申し込んでみたら見事に審査に落ちてしまった。
 母親からは毎週のように一万とか二万とかを送ってくれと電話がかかって来るし、父親は失踪したまま行方も分からない。おまけに寮に住むほとんどの連中はギャンブル中毒者やアル中、シャブ漬け、四六時中大声で怒鳴り散らす頭の沸いた世界の場末みたいな奴らばかりで、ろくに話しも通じない。
 アル中の大森というオッサンに一度だけ母親から毎週お金をせびられていることを相談してみたけれど、大森は溶けた歯を剥き出しにして笑いつつ

「そ、そんな母ちゃん、殺しちゃえよ。あ、そ、そうだ。オ、オレが、犯してやろうか? じゅっぽ、じゅっぽってよぉ。ええ? へへっ。そんなに万札がす、好きなら、よっぽどマンが好きなんだろ? おっ? 実家のじゅ、住所教えてくれよ。な?」

 と、相談したこっちがバカだったとうんざりして後悔しかしなかった。しかし大森は本気だったのか、その日の作業中に五回も「住所教えてくれよ」とせがんで来た。三回目からは目が全く笑っていなかった。断ったら「オレのチンポどうすんだよ」とキレられた挙句、周りの作業員たちに

「明日からアイツ無視! なっ?」

 と命令していた。

 これから先、生きていてもロクなことはなさそうだし、仮に薔薇色の人生を迎えたとしても僕が感じられることは基本的に

・嬉しい!たのしい!
・ぶっ殺してやろうか!
・かなしい……ショック
・あー、気持ちいい

 の繰り返しだけと思うと、気が遠くなって目眩がし始めた。人生やヒストリーなんて、僕には要らない。出来たらこんな無用な命は便所紙みたいにポイッ! と捨てて欲しい。命の価値がなんたら吐かす奴らがいるけれど、僕の命の価値は僕が決めるから大丈夫だ。  
 結局、人間はそんな感情の繰り返しと「幸せ」の為にしか生きてないのか? いやいや、生きてるんじゃない、全員ただ死なないように逃げ回るのに必死なだけじゃないか!! と、思い悩んでいたら余計死にたくなった。

 夜になってから一時間に一本しかやって来ない電車に乗り、東京へ出た。
 少し前まで東京の人混みやネオンにとっくに飽きていたはずなのに、まるで知らない街を歩いているみたいな気分になった。
 けれど、目的ははっきりとしているので大手町辺りの無人ビルに入り込み、屋上を目指した。
 十四階から見下ろすアスファルトは身体を叩きつけて砕くには十分に思え、思えた瞬間に身体が震えた。死にたくないかもしれない、まだ、生きていたいのかもしれない。頭は死にたいのに、身体は死ぬことを拒んでいるのがはっきりと分かった。
 震える右腕を左手で掴んで、頭の中で繰り返す。

 僕は死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい。

 よし、行くぞ。
 荒い息を思い切り吸い込んで手摺に手を掛けると、背後から女の叫び声がした。

「ねぇ、ちょっと!」

 振り返るとそこにはロングヘアで頬のこけた中年くらいの女の人が立っていた。白いゴスロリ服に身を包み、目はギョロッとしていて、嘘みたいな真っ赤な口紅をつけているのが異様だった。

「は……はい?」
「飛び込むならさっさとして! こっちは急いでるんだからさ!!」
「え……」
「あー! イライラする! 死なねぇの? なんなの? てめえ殺してやろうか!? あぁ!?」
「あの、えっと、僕はその」
「こっちゃダーたんが死んで急がなきゃいけないの! 会いに行かなきゃいけないの! わかる!?」
「だ、だーたん? 誰ですか、それ……」
「カレシ! ラヴィアン・アイズのボーカルのヤクモ! 知ってるでしょ!? カンコーヘンとかいう難病だったのに……ダーたんは必死に歌い続けて……この前のギグだって私とあんなに目が合ってたのに……それなのに、ひっく、ひっく……だぁーたぁーん! 悲しいよぉぉおおおおおお!」
「あっ、あの、落ち着いて。ねっ?」
「うるせぇ! こっちゃとっくのむかしに落ち着いてんだよ! てかさ、あんたなにクール決めてんの? ばかぁ? めっちゃ素晴らしい特別なラヴィアン・アイズの曲、あんたいくつ知ってんの? はぁ? じゃあセカンドアルバムの四曲目のタイトルはなんでしょーうか、いち、に、さん、ブー! はい! 時間切れ! にわかのバァーカ! バァーカバァーカ!」
「あの、ちょっと」
「うるせぇバーカ低脳! にわか以下のバカス! どけよ、蛆虫!」

 中年ゴスロリ女は僕を突き飛ばすと手すりに足を掛け、躊躇なく飛び込もうとした。そのままの勢いで飛び込むと思ったら、ピタリと動きを止めた。

「ダーたん……私、いま怖いよ。でも、震えちゃうけど、今からダーたんに会えると思うと、これはきっと喜びの震えだよね……だって、だって、ダーたんは歌を通して私に生きる喜びをたくさん教えてくれたもん。そんな風に教えてくれたのに、先に逝っちゃうなんてズルいよ。ズルいから、追い掛けるの……追い掛けて、背中をそっと叩いて驚かせるの。一度もちゃんと二人きりで会えたことはなかったけど、ココロは通じ合えていたもん。私のこと、いつも歌詞に隠して書いていてくれたこと、知ってるよ? ダーたんはシャイだから公表はしていなかったけど、そうやって私のことを想ってくれていたし、たくさんの想いを私に伝えてくれた……悲しいよ……。一番大好きな曲、「we are crazy?」に、返歌を書いたので聞いて下さい。ひっく、ひっく、ダーたん……読むね……月闇も消えし耄碌の死者共よ、裂けた叫びの子守唄を」

 そこまで聞いていたら何故かムカついて、手すりに足を掛けたままの姿勢だったので背中をドンっと押してみた。
 中年女は「ぎやああああああああ」という断末魔を響かせながら落下して行くと、関節が壊れた人形のような姿で地面に落っこちた。

 あぁ、びっくりした。

 あ、びっくりしたっていう感情もあるのか。
 まぁ、どうでもいいやと思いながら、僕も続けて飛び込んだ。

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