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【小説】 ネットスーパーができない・参

 近頃はすっかり耄碌ババアと化した私の妻・初枝が今朝もこんな素っ頓狂な発言をして私を驚かせた。

「朝ごはんってあなた、何言ってるんですか。さっき食べたばかりでしょう?」

 否。そのような記憶は私には無く、俄然抗議した。

「何を言っている! 私はサンデーモーニングを観ながら朝飯が運ばれるのを待っていたのだ!」
「あなた、シャケがしょっぱ過ぎるだのなんだの言っていたじゃないですか」

 記憶の靄が晴れると、私は朝食を摂っていたことを思い出す。これは痴呆などではなく、単なる私の勘違いだ。初枝はこともあろうに、ハッとした表情を浮かべていたであろう私に向かってこんな発言をしたのだ。

「やだ、あなた……ボケが始まったんじゃなくて?」
「貴様! 飯炊きババアの分際で何を吐かすか!」
「はいはい。私は出掛けて来ますから」

 実に参った。初枝が自身の家内での立場を忘れ、この私をボケ呼ばわりするとは。ここまで耄碌してしまっているとは、なんということだ。
 初枝は仲間に誘われた「パズル教室」とやらに出掛けて行った。自身の認知度が最早崩壊寸前であると言うのに、パズルをしに行くとは何事なのだろう。
 やれやれ、とは思いつつ私はある一枚の用紙を棚から取り出した。

『FAX注文用紙』と表されたその紙は、ネットスーパーをさせようとしない悪しきスーパーの陰謀により施された救いの手綱だった。はずであった。
 FAX注文であれば受けると言うので欲しいものを書き込んで送りつけた所、すぐに連絡があった。
 なんと、私の書いた字が読めぬと言うのだ……。
 嗚呼! なんと嘆かわしいことか。電話口の女はひたすら「読めません」と連呼し、私の要求を呑む様子は一つも見せなかった。口頭では受注の処理が出来ぬ、などと如何にもそれらしき言い訳を述べていたのだが、アレは日本人ではなかったのだろう。
 ニュースで観たが、どの企業も昨今では人件費の安上がりな外人をコオルセンターオッペレータァにしているのだと言う。
 あのスーパーもきっとその類だったのであろう。
 陰謀によってネットスーパーも断られ、FAXさえも断られた私は、仕方なしにインターネットを買いに行くことを胸に誓い、叱責の際他人に用いる杖を手に、家を出た。

 電気屋へ来た。全国チェイン展開している、タナカデンキという店だ。この店に来ればおよそ電気に関わるものならば、原子炉以外は何でも置いてあると聞いたことがあった。
 入口を過ぎてすぐのカウンターにデカデカと

『工事不要! スマホセットでオトクに高速インターネット!』

 という文字を発見せり。そいつを睨みつけていると赤いベストを着た若造店員が私の所へやって来た。

「こんにちは。本日は機種変ですか? それとも乗り換えですか?」

 キシューヘン、ノリカエ……何を言っているのか全く分からない。顔は日本人のようだが、韓国語だろうか。

「おい、貴様」
「はい?」
「ここは日本だ。日本語を話せ」
「あの。何をお探しですか?」
「ほう。そのことをおまえの国では「キシューヘン、ノリカエ」と言うんだな。日本語で接客も出来ない馬鹿タレがいると、韓国大使館に文句言ってやる」
「ちょっと、何を仰っているのかわかりませんが……買い物ですか?」
「当たり前だ。インターネットを、買いに来た」
「あ、そうなんですね! では、こちらへどうぞ!」

 ふん。客だと分かった途端に日本語を使いよって。
 バカ丁寧にカウンターへ案内された私は、座った瞬間に目眩を起こしそうになった。
 テーブルに貼り付けられている文言の数々のどれを見ても、何を説明しているのか一体全体、意味不明なのである。

『家族三人以上加入で5GBプランがおひとり月々1980円に! ※スタンダード5プランご加入が条件※割引は二年間となります※学割スチューデントM利用時は割引上限の高い方が適用となります※申込回線数は三回線からとなります』 

『乗換ハッピープログラム実施中!機種代金が最大半額に! ※他社より乗換時に端末新規購入に限ります※乗換後一年以内に解約された場合は端末割引は無効とし、差額分は請求させて頂きます※スマートスタイル2年買換との併用はできません』

『ポイントグレードプログラム開催中! 乗り換え時に不要となった端末を下取りにすることで5000ポイントにて還元! ※端末新規購入が必須です※二台口の場合副回線は適用外となります※その他キャンペーンとの併用で端末代金が5000円未満の場合、その金額を上限とさせて頂きます』

 この異様な※の数はどういうことであろう。そもそもが何を言っているか分からぬ文言にさらに注意書きをされても、何も理解ができない。
 店員は唖然とする私には構わず、薄板のような機械を出して偽善の笑みを浮かべながらいきなりこんなことを尋ねて来た。

「今はどちらの会社さんのスマホをお使いですか?」
「スマホンは、ない!」
「あぁ、すいません。えっと、どちらの会社の携帯電話をお使いですか?」
「それがおまえと何の関係がある?」

 やはり、そうだったか。これは詐欺だ。私はすぐに勘付いた。耄碌パズルをクリア出来ぬ初枝ならばすぐに騙され、家に帰ってから気付き、一晩中おいおいとベソをかいていたであろう。

「インターネット加入時に会社を合わせて頂くことで月額がお安くなるんですよ」 
「携帯などない! NTT固定電話。以上!」
「……そうですか。あの、携帯は持つことを考えたりは?」
「FAXは使える。不便はない。以上!」
「そうですか……うーんっと……」

 ほら、ざまぁみろ。私の毅然とした態度にこの詐欺師店員も舌を巻き、嘘のひとつもつけやしなくなったではないか。こいつは店員を装った底の浅い素人闇バイトに違いない。インターネットを買いに来たのだから、さっさとインターネットを見せればいいものをやれスマホンだ携帯だの回りくどい言い方をしよって。

「それではあの、今回は新規ですか? それとも転用ですか?」
「貴様、人を騙す時はもう少し目を見て喋った方が良いぞ」
「……はい?」
「嘘をついているのがバレバレだ。詐欺師として生きていくならばその薄板に目を落とす癖は治した方が良い。以上」
「ちょ、ちょっと……お客様!」

 ふん。引っ掛かってたまるか。
 詐欺店員は飼い主に捨てられた犬のようなツラで私を見ていたが、生憎そうホイホイと騙される気はない。
 詐欺師に詐欺の仕方の指南をするというダークヒーロオのアドバイスを完膚なきまでに決めた私は裏社会を知り尽くしている気分で店内を歩き始めると、なんと運が良い事だろう。
 胸元に「店長」というバッジをつけたガタイの良いメガネ男が前から歩いて来るではないか。
 私は杖を振り上げ、さっそく声を掛けた。

「おい! 貴様が店長か?」
「はい、そうですが。如何なさいましたか?」
「うむ。インターネットを買いに来た。どんなインターネットがあるのか、まずは見せろ」
「あぁ……それではあちらのカウンターへ……」

 そう言われ、店長が手を指したのは先ほどの詐欺師のいるコーナーであった。

「あそこはダメだ。やれスマホンだ、携帯だ、そんな話しばかりしおってな」
「いや、セットで組めばお安くなるのでその説明であったと思うのですが」
「セット? 何を言っている。貴様も詐欺師か?」
「いえ、そうではなくてですね。お得になるお話しなんですよ」
「それは詐欺師の常套句だ! 貴様、店長の分際で客を騙そうと言うのか!」
「待って下さい。そうではなくてですね、インターネット加入でスマホや携帯が安く使える仕組みがある、ということなんです」
「だから私はスマホンだ携帯だの持っていないとさっきも言っただろう! 何故店長である貴様がさっきのバカ店員と私の会話を周知していないのだ! 貴様、職務怠慢だぞ!」
「仕事はちゃんとしてるからこうやってご案内させて頂いているんですよ! お客さん、どうしたいんですか?」

 こんの、クソガキめが!!

「くうぅぅぅううう……どうしたいだと!? 貴様、わ、わ、わ、私を愚弄したな!!」
「えっ!?」
「私は、私はな! 建設課長の安木も、市議の高岡も、消防署長の松永も、わ、私の後輩なんだぞ!」
「えっと、私はこの街の人間ではないので誰一人知らないです。で、何をお求めなんでしょうか?」
「知らないだと!? 安木も、高岡も、松永も、知らないだと!?」
「それは良いですよ、もう。で、あなたは何がしたいんですか?」
「ネットスーパーをや・ら・せ・ろ!! と、もう何ヶ月も前から言っているんだ! このゴミクズめが!!」
「あー、それでインターネット。はいはい、分かりました。こちらへどうぞ」

 メガネだけは一丁前のツンボ店長は私の話しをようやく理解し、さきほどの詐欺師のいるコーナーとは別の場所へ私を誘導した。 
 そこはズラズラとワープロ、ではなく、電子計算機の並ぶコーナーなのであった。

「インターネットのスーパーでお買い物をしたい、ということですよね?」
「そうだ! しかし、この電子計算機とインターネットと、一体何の関係があると言うのだ!」
「それを今から説明させて頂きます。まず、インターネットという商品はこの世界に存在しません」
「嘘をつくな!」
「嘘ではありません。では分かりやすく伝えます。電話をお使いの場合、電話機のみおうちへ持って帰って電話は使えますか?」
「ふんっ。馬鹿にするな! 加入権もなしにどうして電話が掛けられるというのだ!」
「つまり、インターネットとは電話の加入権なんです。インターネットを買える、としても使う機械が無ければ用を成しません。インターネットの世界では電話をする時に使用する電話機となるのが、こちらのパソコンであったり、スマートフォンなのです」
「それで、何がどうネットスーパーと結び付くのだ」
「ネットスーパーと言うのは簡単に言えばネットの世界に入ってお買い物をする仕組みのことです。そこにアクセス出来るのはパソコンやスマートフォンからになります。そうですね、日常的にエクセルやワードを使用するとなれば初めから搭載されているPCをお選び頂くのが宜しいかと思われますが、先ほどの話しぶりから日常的に使用はされていないと思うので初めから搭載されているソフトが少なくシンプルなスペックなPCをお選び頂くのが宜しいと思います。性能はおおよそCPUによって左右されますが、日頃ネットを見たり動画を見るくらいで作業はしないという前提であればコア数はi3で充分だと思われます。一昔前は光学ドライブ搭載型でしたが主流がHDからSSDへ変わった為、万が一DVDを観たい場合は外付で対応して頂けたらと思います。で、肝心の容量なのですが……」

 分からない。この男が、何を言っているのか、全く理解が出来ない。エクセルとはなんだ、マンション名のことであろうか。我が家は一軒家だ。ソフトだのハードだの、つまり、パソコンはSM倶楽部ということか。コアスーがつまり愛擦りであって、主流がエスエスデイということは、エルエスデイのような危険ドラッグという意味なのであろう。
 今日は初枝がパズル倶楽部へ行っていて、痴呆で朦朧なのであり、シャケを食べていたらサンデーモーニングをやっていて、電気屋へ来たら韓国大使館へ行く用事が出来て、それで、私は何故ここに来た?
 待て。この店長とやらは、催眠詐欺を働こうとしているのか。

「つまり、お客様の場合は費用を抑えたPCでも十分に」
「貴様ぁ!! 騙しおったな!!」
「え、え?」
「さっきからヌケヌケとやれマンションだのやれSM倶楽部だの危険ドラッグだの、さては反社の手先だな!」
「ええ!?」
「きぃぃえええええええい! 死ねぇ!!」

 私は怒りの天誅を反社店長に食らわす為に正義の杖を大きく振り上げた。
 その途端、急に景色が真っ白になり、意識が途切れた。
 意識は真っ白い世界のまま、やがて救急隊員の声が聞こえて来て、私は運ばれて行くのであった。

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