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死と夏

父の逝去から一年が経つ。

重たい湿気を帯びた熱を感じたり、蝉の声を聞くと自然と死を連想するものの、それは父の逝去があったからではない。
それよりも遥か以前に、交通事故で親友が亡くなった。

その年は例年より遥かに早い夏の訪れで、人生で初めて人の死に向き合っている時間の中で常に蝉の声が傍にあったり、病院脇を通る車の排熱を肌に浴びたことは深く記憶に刻まれた。
親友は一週間意識不明の状態が続いた後、七月を迎える直前の朝方に亡くなった。

人の死というのは通過点などではなく、記憶がある限り何度となく蘇る現象のようなものだと感じる。
親友が亡くなった後、数年は仏壇に手を合わせに行く私達を両親は快く迎えてくれた。
親友が私達にしか見せなかったような話しを嬉しそうに聞いたり、また、家族の中に居る親友の話しを驚きを持って聞いたり、そんな交流があった。

両親の顔色が変わったのは残された私達に結婚をする者が出たり、子供が出来たりした頃からだった。
数年ぶりに訪れた親友の実家で、母は私達を出迎えてすぐに姿を消した。
台所で洗い物をする音だけが居間に響いていたが、それにしても長いと感じ始めた直後に、母は決して洗い物をしている訳ではないのだろうと悟った。

その日を境に、私達は彼の実家を訪ねることはもう止めておくことにした。
大人になったからこそ、心の傷が広がってしまうことを理解したからだ。
私達が幸せであればあるほど、そうしてその姿を見せれば見せるほど、隠し切れない痛みは増して行く。
そういうことも、一つの死の現象だとも感じている。

親友の死の際もあちこちに連絡を取ったり、親族の要望で旅立ちの手伝いを行ったりした。
やらなければならない事があれば、悲しみから多少は目を背けることが出来る。
人前では明るくいようと努めていたが、葬儀の直前、親友の父から出棺の際の車を選んで欲しいと頼まれた。

「かっこいいの、選んでやってくれよな」

そう頼まれ、意気揚々と返事をした。
資料を渡され、帰りのコンビニで何気なく用紙を開いた。
ベンツ、キャデラック、BMW等、出棺用の車種と共に、料金が書かれていた。
ランク分けされた人の死を見た途端に、何故かしら猛烈な怒りが湧き、あまりの悔しさに弁当棚の前で突っ立ったまま泣いてしまった。
嗚咽が混じるほどの鳴き声に店員は引いていたし、私が泣いている所為で弁当を買いたいのに買えない人達に迷惑を掛けた。
今にして思えば若かったからこそ、真っ向から死に向き合っていたのだろう。

父の死に伴う忙しさは親友の死とは比べ物にならない程であった。
思い出すのもうんざりするくらいで、墓も数百キロも離れた場所にある為に確認したいことがすぐに分かる状況ではない上、両親は行政に生かされている立場故に手続きも単純ではなかった。

ようやく諸々の手続きの終わりが見えた頃、オヤジ死んだんだなぁと実感することが出来た。
しかし、ホッとする面があったのも確かだ。

トイレも一人で行けない要介護状態になっていたし、かと言って人の三倍も神経質な父だったので最新式だという部屋用トイレもたった一度使っただけですぐにオムツに切り替えた。
公団団地に様子を見に行くと、始めのうちは「おっかぁ、おっかぁ」と用を足したことを口に出して伝えられていたものの、病状が悪化していよいよという段になると「おぉ、おぉ」と呻くばかりであった。

その呻き声も用を足した、という合図だけではなかった。水を飲みたい時、部屋が暑い時、背中が痒い時、姿勢を変えて欲しい時など、多岐に渡った上にせん妄も始まっていたので単に戯言の時もあった。
夜中もニ十分間隔で呻り声や怒鳴り声を上げるので当然家族は睡眠等まともにとれず、私の他の兄妹は家族もいる為に結局私が一日おきに通う事になった。

せん妄は死の入口であり、本人は夢と現実の境目を失くしてしまう。過去と現在の境目もなくなり、感情の起伏も激しさを増す。
あまりに理不尽に突然怒鳴られることもあり、自分の親ながら「早く死んでくれ」と願ったりもした。
死の三日ほど前に父の姿勢を変えていると、突然こんなことを言った。

「たけし。おっかぁを、頼んだど」

目を瞑りながら、肺の病気の為に息も絶え絶えでそんなドラマじみたことを言った。
父は異常なほどプライドが高く、死んでも人に意地を張るとばかり思っていた。だからこそぽつりと出たそんな言葉に、私は「馬鹿言うなよ」としか返すことは出来なかった。
人に弱々しい部分を見せたことで、いよいよ近いのだなとも感じたし、本人も感じているのだろうと痛感した。

父は死んでたまるか! という意地も持ち合わせていたし、臨終の際は呼吸が停止した直後に目を見開き、大きく息を吸って亡くなった。
生きることへの純粋な生を感じると共に、それまで細々としか息を吸えていなかったから最後に大きく息を吸ってみたかったのだろうか。

とにかく、そんな最期を迎えた父がこの世界を去ってから間もなく一年になる。
一周忌が終わればひとしきり諸々の面倒事も一旦は落ち着くだろうし、何より心の中に漂い続ける人の死の存在というのも少しは紛れるのだろうかとは思う。

何を書こうとしても半身は起こせても起き上がれないような、そんな感覚のままこの一年ずっと物を書いていた気がする。
とりあえず起き上がって、カーテンを開けて窓を勢い良く開け放たなければならない。

人の死に付き合うのもそろそろ止めにして、生きる為にもまた書き散らさなければと思う。
人に飽きられるほど、呆れられるほど、面白いともつまらないとも思われるほど、誰かが落とした命まるごと引き連れて書き散らしてみたい。

書きたいから書く。という原点回帰に立ち返って、また色々とありもしない与太話と嘘噺で人様の心を動かせたらと思います。

夕方に鳴く油蝉の声はいつも必死で、諦めが悪いようにも感じる。
けれど、それが生きることなんだと延々垂れ流される死を受け流しながら、今日も聞いている。


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