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【小説】 壁の名は 【ショートショート】

 スーパーで冷めた半額弁当を買って、鼠小屋みたいなワンルームに今日も帰って来た。
 容器ごとレンジ加熱をして、蓋の曲がった弁当を手に僕は一人、テーブルに座る。

「今日もお疲れ様でした」 

 誰もそう言ってくれる人がいないので、僕は毎日自分を労ってから旨くも不味くもない弁当を食べ始める。死に急ぐように飲み始めた高アルコール酎ハイのロング缶にも、最近はすっかり慣れてしまった。

 バラエティ番組をぼんやり眺めながら、寂しい日常を騒がしい画面で誤魔化し続ける。
 あーあ、今日もあとは寝るだけか。 
 そんな風に思いながら何となくテレビ横の壁紙に目を向けると、ある小さな異変に気が付いた。 

 壁紙に、親指の先くらいの膨らみが出来ていた。
 施工不良で空気でも入ったのかもしれない。 
 そんな風に思って指で押してみると、膨らみはすぐに消えた。いきなり壁紙が剥がれる心配はないだろうけど、いくら安アパートとは言えずさんな工事に僕は少々腹を立てた。

 しばらく目を離していると、また壁紙に親指の先くらいの膨らみが出来ている事に気が付いた。 
 親指の腹で押してみると多少弾力はあったものの、やはり膨らみはすぐに消えた。

 壁紙に塗った液剤とかが漏れたりして、何か影響しているのだろうか? 
 あまり続くようであればポンコツ管理会社に電話してやろうと思いながら、その晩は床に就いた。

 それからすぐ、再び膨らみは現れた。 
 膨らみは親指の腹で押しても、今度は戻る事がなかった。壁紙の下の液剤が何かしらの理由で硬化してしまっているのかもしれない。 

 僕はイライラしながら高アルコールの酔いに任せ、トンカチで膨らみを叩いてみる事にした。 
 万が一、壁紙が破れてしまっても僕のせいじゃない。そう思いながら軽くトンカチを当ててみる。 えいっ! コツン。

「痛っ」 
「ひぇえええええ!」

 僕は驚きのあまり、腰を抜かしてトンカチを放り投げてしまった。膨らみを叩いた瞬間、間違いなく壁の中から男の声がしたのだ。一体、どういう事なんだろうか。僕が酔い過ぎたのだろうか。

 うわー、怖い怖い。僕は震えながら管理会社にこの状況をどうやって説明したらいいのか考え始める。 
 そうして考え始めてから数日後。

 あれから声が聞こえる事はなかったものの、壁の膨らみは徐々に大きくなり始めていた。 
 その形は日に日に大きくなって行き、何処となく人の形になり始めているようにも思えて来た。 
 流石に怖くなり、僕は引越を考え始めた。

 それから約一ヶ月。

「今日もお疲れ様でした」 

 弁当を開け、いつものように僕は自分を労った。

「お、今日は唐揚弁当かい?」
「うん。悩むと結局はこれにしちゃうんだ」
「おまえ、もっと栄養のバランスを考えた方がいいぞ」
「うーん……野菜は好きじゃないんだよね」
「おいおい、健康は金じゃ買えないんだぞ。それに、酒の量も少しは考えたらどうなんだ?」
「考えてるって。最近、酎ハイだって九パーセントから五パーセントに変えたんだよ」
「その分本数が増えてるじゃないか」
「本当、嫌な所ばっかり見てるなぁ」
「心配して言ってるんだぞ」

 その声の主は、あの膨らみだ。ついに人の形となった壁からは、男の声が聞こえて来る。
 膨らみの形は刑事ドラマなんかでよく見る、死体のあった場所に引かれたチョークラインにそっくりだ。 
 だから、膨らみはいつも左手を上げている。 
 始めの内はそれこそ恐怖しっ放しだったけれど、膨らみは口煩いけど話の通じるイイ奴で、僕は膨らみと話すようになってから日常の寂しさをあまり感じる事がなくなった。 

 あの膨らみの正体が一体何なのか確かめた事もないし、これからも別に知ろうとは思わない。 
 とてもイイ友達が出来たと思う事にしている。
 そういえば膨らみにまだ名前を付けていなかった事を、ふと思う。 

 何がいいだろう。確実に男だと言うのは分かってはいるけれど……そうだ、壁の名は……。

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