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【小説】 笑顔の携帯ショップ 【ショートショート】

 日曜で多忙を極める携帯ショップのカウンター。勤務二ヶ月目にして高岡真奈美は、椅子にふんぞり返る老人相手に今にも泣き出したい気持ちになっていた。
 口を「への字」に曲げた如何にも偏屈そうな顔をしつつ、実際に偏屈な性格の老人の名は日ノ出昭二、御年八十歳。
 前日に暇潰しにモールに所在するこの携帯ショップへ訪れ、スマホを眺めていた所、高岡に「お探しですか?」と声を掛けられた。
 日ノ出は二つ折りの「ガラケー」しか持った試しがなかったものの、「カンタンに操作できる」と高岡に唆され、そのまま購入に至ったのであった。
 高岡の方でも携帯代理店より『今月はガラケー乗り換え一人"マスト"で五件契約お願いします』と厳しめな「目標」を課せられていた為、件数に追われる余り、深く考えずにスマホを売ってしまったのであった。

「高岡さんねぇ、私はスマホは出来なくても録音は出来るんだから。このやり取りも全部、録音させてもらってますから」
「……はい」
「でね、なんで何の根拠もなしに「お客様でもカンタンに操作が出来ます」なんて言ったの? 帰って触ってみたけど電話が勝手に掛かっちゃうし、番号登録の仕方も分からないし、アップリは勝手に動くし、ちっともカンタンに操作出来ないじゃない」
「申し訳、ございませんでした」
「ううん、そういうの要らないの。私はあなたに対して、一体どんな根拠があって「カンタンに操作出来ます」なんて言ったのかって、聞いているんです」

 カウンターに座り始めて既にニ十分が経過していたが、次から次へと客の絶えない店内では同僚達も「高岡の説明不足が悪い」と決めつけ、助け舟などは一切出されなかった。
 絶望の孤島に取り残されたような気分の高岡の胸には暗い靄が掛かり始めていたが、絶望は降りやまず次々に高岡に牙を剥く。

「お客様は、契約書にサインもしておりますし、それに……あの、説明もしたはずです」
「説明? は? 私は知らないねぇ」
「約款の……説明を」
「あなた、ペラペラ一方的に喋ってましたよね? あんたが押し売りみたいなことして来た癖に、手続きだなんだで四十分も待たされて、挙句の果てにあんなに長々ペラペラ説明されたら、早く帰りたいこっちはうんうん頷くしかないでしょう?」
「いえ、しっかりと、あの……本体の説明もサラッとですが……」
「しっかり、サラッと! はぁ~……スマホを知らない私みたいな老人を相手に、サラッとねぇ……。大体ねぇ、スマホに関してはあなたが「カンタンに操作できる」って言ってたことしか、記憶にないんですよ」
「一応、電話の掛け方はレクチャーしたはずなのですが……」
「一応!? レクチャー!? だってカンタンに操作出来るんでしょ? なんでレクチャーが必要になるの? おかしなこと言ってるなぁ~。あなたね、なんで老人がスマホを持たがらないか、ご存知?」
「……難しい、からですか?」
「やっぱり、あなたは思った通りのモノ知らずだね。老人にはね、こんなもの一々ゼロから覚える時間なんてないの。もうすぐどうせ死ぬんだから。だから、カンタンに操作できるって聞いたから、あなたから買ったワケ」
「……カンタンスマホなので、操作はすぐに覚えれられ」
「はぁ!? だから覚える時間がないって言ってんの!! あなたがカンタンですって売ったから私が買ったんでしょ!? じゃあなんでこんな使いモノにならないスマホがここにあるんですかぁ!? 私のガラケーはどこですかぁ!? 返してください、即刻。契約は破棄、ガラケー返してくれたら帰りますから」

 高岡は引き取ったガラケーをどうしたか思い出してみたが、下取りキャンペーンを適用させていた為、引取り後は特殊な器具で本体にパンチで穴を開けた後に、本部郵送用の鍵の掛かった箱に入れていたのであった。
 まさか返却を要求されるとも思っておらず、下取の詳細や引取り後の携帯本体のことは日ノ出に説明していなかった。 
 頭が真っ白になり掛けた高岡だったが、携帯電話を返却出来ない旨を伝える為に、勇気を出して声を振り絞る。への字に口を曲げた日ノ出が、不満げに腕組を始める。

「あっ、あの。引き取った携帯電話は返却が出来ないんです」
「そんなこと聞いてないですけどねぇ」
「いえ……恐らく、説明したかと……」
「ふぅん、そうですかっ。じゃあ、こちらで取った言質を聞きましょうか」
「えっ?」

 日ノ出は胸ポケットから日頃から愛用しているポケットレコーダーを取り出すと、音量を最大限にして再生ボタンを押した。
 すると、店内に録音されたノイズ混じりの高岡の声が鳴り響いた。

『そうなんですよ~! 今のスマホって本当に賢くってぇ、持つのが初めてのお客様でもカンタンに操作が出来ちゃうんですよ!』

 日ノ出はニヤニヤしながら、わざとらしく首を傾げる。

「あれぇ~? 下取りのことを再生しようと思ったのに、おかしいなぁ~。もう少し後だったかな? えーっと、うんうん、この辺りかな?」

『そうなんですよ~! 今のスマホって本当に賢くってぇ、持つのが初めてのお客様でもカンタンに操作が出来ちゃうんですよ!』
『そうなんですよ~! 今のスマホって本当に賢くってぇ、持つのが初めてのお客様でもカンタンに操作が出来ちゃうんですよ!』
『そうなんですよ~! 今のスマホって本当に賢くってぇ、持つのが初めてのお客様でもカンタンに操作が出来ちゃうんですよ!』
『そうなんですよ~! 今のスマホって本当に賢くってぇ、持つのが初めてのお客様でもカンタンに操作が出来ちゃうんですよ!』

 意図的にリピート再生され続ける録音ボイスに高岡の自我はついに破綻してしまい、この後の説明や説得を考えるよりも先に泣き出してしまった。
 携帯ショップ店員として勤め始め、まだ経験も浅い二ヶ月目でこの仕打ちに遭ってしまったことで、感情の処理が追い付かなくなってしまったのである。 
 泣き出した高岡に気が付くと、接客中だった女性店長が傍へやって来るなり、高岡の肩に手を置いて笑顔のままそっと耳打ちをした。

「他のお客さん見てるから泣かないで。泣きたいのはお客さんの方であって、高岡さんじゃないから。これくらいのこと、フツーにみんな経験してるし。お客さん詰まってるんだから、さっさと納得させて帰ってもらって。あと、今月件数厳しいから絶対に契約破棄とかさせないで。手続き面倒だし、どうせジジイ相手なんだから上手く言いくるめて。それも仕事だから」

 切羽詰まった状況の高岡は言葉が上手く飲み込めそうになく、縋る想いで店長に囁いた。

「私……どうやってご案内すればいいですか?」
「はっ? あんたが売ったんだよね? こっち知らんし」
「でも……お客様の携帯、ボックスに」
「だから知らんし。早く終わらせて。終わったらインカム飛ばして。バックヤードに来て。話あるから」
「……はい」

 高岡の傍を離れた店長は「失礼しましたぁ」と相手をしていた家族三人組に笑顔を向け、子を抱いた母親が心配そうに高岡を見つめると「おなか痛くなっちゃったみたいです」とこれまた笑顔で返した。

「で、私の携帯はどこ?」

 なんとか涙を止めて顔を上げると、今度は苛立ちを丸出しにした日ノ出が待っている。カウンターを指でトントン鳴らしながら、「やっぱり日本の技術の粋が結集したガラケーが一番だよ。スマホなんてのは中華がビッグデータの情報を盗む為に」うんぬんかんぬん呟き続けていて、高岡の心を細々とした骨一本になるまで削り続けている。
 一か八か、高岡は身投げする覚悟でこんな提案をした。

「お客様が下取りの金額に納得されて、それでも良いと言うことで私はそのスマホを販売しました」
「おいおい、それは道理がおかしいじゃないの。カンタンに操作出来ないから、私はただ単に前の携帯を返してくれって言っているんであってね」
「はい。だから、使えるようになるまで私が日ノ出様にスマホの使い方を教えます」
「そんなもん、こっちは望んでませ~ん。残念」
「いいえ。売ったからには、その責任が私にはあるので」
「……ふん。そういうことねぇ。どうしてこうも、日本人は中華に魂を売ってしまうようになったかねぇ……」
「いいえ。こちらの製品は正真正銘日本製です」
「ブランドじゃなくて、私は機械の中身の話しをしてるんだけどね。あなた、馬鹿でしょ?」
「……馬鹿でも、店員です。しっかりと、私が使えるようになるまでご案内させて頂きます」
「ほーう、それは安心していいんだね?」

 すると、ついつい声を張り過ぎていたのだろう。店長からこんなインカムが飛んで来た。

「高岡さん、そんなサービスやってないから勝手なことしないで。噂になったら「タダで教えてもらえる」ってジジババが殺到するから。案内するなら有償サポート案内して。それでオプション件数一件になるから」

 高岡は虚しく崩壊した自我を拾い集め、必死に再び形成し始めると、理不尽に対する大きな怒りを形成した。
 指示の止まないインカムを外し、日ノ出へ説得を続ける。

「私が家に行っても構いません。使えるようになるまで、サポートします」
「ふぅーん、立派立派。でもね、私は知らない他人を家にはいっさい! あげませーん。この話はおしまい、ということで、さっさと私のガラケーを返して下さい」
「携帯電話は……お客様データ流失防止の為に、破砕しました」
「おい、あなたね。何言ってんの? 破砕した?」
「はい。ただし、今日一日お時間を頂ければ新しいガラケーをご用意させて頂きます」

 怒り出す寸前で立ち上がろうとした日ノ出も、高岡の「新しいガラケー」という言葉に腰を下ろし、何やら思案し始める。

「うんうん……データはまぁ、この使いモノにならないスマホにあるから移動出来るとして……つまり、契約は破棄、今日は我慢して明日になればガラケーは新しくなって返って来ると?」
「はい。仰せの通りです」
「ふぅーん……じゃあ、それは明日のいつ取りに伺えばよろしい?」
「明日の午後一時ですと、入荷も済んでいるはずです」
「……分かりました。じゃあ、それで手を打つとしましょう。スマホはもう懲り懲りですけどね、今日の所は持って帰りますよ。では、また明日伺いますから」
「はい! お待ちしております」
「まぁ、あなたも営業だから仕方ない部分もあるんでしょうがね、あんまり老人相手に「カンタン」とか言わない方がいいですよ。そういうことを言ってしまうあなた自身がカンタンな人間だとも思われ兼ねませんしね、もっと人間というものを学ぶべきですよ。まぁ、私はまだ気が長い方ですけどね、相手を間違えば例え女だろうがブスリとやられ兼ねない時代なんですからね」
「はい。肝に銘じます」
「では、明日ということで。失礼しましたね」
「お客様お帰りでーす!」

 杖をつきながらショップを後にした日ノ出へ深々と頭を下げて見送る高岡に、各自接客中の同僚達は驚きを隠せなかった。一体、どうしたらあんな偏屈なジジイを穏便に帰すことが出来たのだろうか? と。
 それからすぐに家族三人組から解放された店長が高岡を呼びつけ、バックヤードへ連れ出した。
 一体どんな叱られ方をするのだろうと思っていたが、店長はまず初めに頭を下げた。

「高岡さん、本当ごめんなさい。キツく当たっちゃって、申し訳ないです」
「いえ……店長の言う通り、仕事ですから」
「ううん。私が高岡さんだったら、絶対にきつかったもん。でも、本当よく無事に説得出来たね! 高岡さん、本当すごいよ! どうやったの?」
「はい、有償でのサポートがあるとご案内したら「なんでそういうサービスがあることをもっと早くに言わないんだ」って叱られまして……でも日ノ出様に納得して頂けて、最後は「初めから言ってくれたら無駄足掛けずに済んだのに」って笑いながら帰られました」
「あのジジイ! マジでひと言多すぎるんだけど! あ、ていうことはサポート一件獲れたってこと?」
「本日は身分証とか持ってこなかったそうで、明日契約にお伺いになるそうです」
「ふーん。その場で電話でもよかったけどね。まぁ、あのジジイじゃ言っても無理かぁ……でも、高岡さん本当お疲れ様! お昼休憩入っていいよ! あとはこっちで回しとくから」
「ありがとうございます! お先に頂きます」

 狭いバックヤードの小さなテーブルにごったに重ねられたバックの群れから、高岡は自分の小ぶりなリュックを取り上げると、店長が「あと」と声を掛けて来た。

「高岡さん。本当、ありがとね」
「いえ……午後も頑張ります!」
「よろしく! 期待しちゃおーっと」

 微笑みながら店舗へ戻る店長の背中に、振り返られても気付かれぬよう笑顔のまま、高岡は小声で毒づいた。

 うるせぇ、死ねよクソババア。いい年コイて巻髪とかキモイんだよ。香水もいつ流行ったのか知らないけどマジ、匂いからしてクソダサい。
 っていうか、三十越えてんのにいつまで女気取ってんだよ。時代に取り残されているから行き遅れて独身なんだろうし、どうせ家でコムロ系とか聴いてんだろ。マジウケる。
 大体テメーが件数件数うるせぇ能無しだからこっちがこんな目に遭わなきゃいけないんだろうが。
 何が件数だよ。何が目標だよ。ノルマの間違いだろ、言い換えたらソフトに聞こえるとでも思ってんのか、人様を馬鹿みたいに扱いやがって。達成しても一円にもならない癖に、馬鹿臭っ。

 高岡は執拗にリピート再生された録音機のモードを日ノ出が「再生」のままにしていたことを見逃さなかった。つまり、泣き出してからは録音がされていなかったのである。
 なのでその場のハッタリで「新品のガラケー」が明日入荷する、等というありもしない嘘をつき、日ノ出を帰したのであった。
 明日になっても「新品のガラケー」などいう物が届くはずもなく、その嘘は高岡が来店すればすぐにバレてしまうものだった。

 しかし、高岡は軽々とした心持で、先ほどまで泣いていたのが幻だったかのような晴れ晴れとした表情で、現場で接客中の同僚達を尻目に休憩へ向かうのであった。

「お先、休憩頂きます」

 満面の笑みで受付係の同僚へ頭を下げると、それからもう二度と高岡が店に戻って来ることはなく、後日貸し出ていた制服を詰めた段ボール箱が店舗へ戻って来たきりであった。
 故に高岡が消えた翌日、当の携帯ショップに日ノ出の凄まじき怒号が響き渡ったのは、当然の結果なのであった。

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