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太宰の墓参り

※今回は文に対して最近あった事、思った事をつらつらと書いてます。カタクルシクナイヨ!!

太宰治。それは他人である。
他人だけど、好きなので失礼を承知の助で先日勝手に墓へ参った。

僕は自分自身では足が鈍い人間なので、友人の誘いに応じて念願が叶った。
二十三から二十九まで、部屋にテレビもなくパソコンもなかった僕は年がら年中小説を読み耽っていた。その頃、友人に勧められたのが「人間失格」だった。
陰惨な中に込められたコメディやシニカルが読んでいて心地良く、その後しばらくの間は太宰治ばかり読んでいた。
「走れメロス」「ヴィヨンの妻」「女生徒」「トカトントン」「彼は昔の彼ならず」「姥捨」名作を挙げればキリがないが、どの作品も読前の太宰のイメージとはややかけ離れていた。どの作品も思っていたよりも受け入れやすく、そして太宰自身は滑稽だったのだ。

墓参りに訪れる前へ太宰×芥川展がやっていたので入ってみると、なんと太宰の生原稿や、かの有名な「泣き訴状」の実物に出会うことが出来た。
泣き訴状は何が何でも芥川賞が欲しかった太宰が落選を知り、佐藤春夫に宛てた「私に賞をください!」と書かれた長さ四メートル(!)にも及ぶ直訴状である。
この泣き訴状は芥川賞の第二回目に書かれたものであるが、第一回目の時なんか落ちた恨みを選考委員の川端康成へ向けて書いており、簡単に言えば

「刺す!」

と言った内容であった。
太宰=ミステリアスで美しい暗さを持つ著者像とはかけ離れていて、実際の太宰は賞欲しさに(生活かかってたし)キレたり泣いたりと、実はとんでもなくギャーギャー騒ぐ人なのだ。
もっと詳しいことは僕みたいなアン・ポンデ・タンッ!な人間よりもよっぽど精通している方々がネットに記事をあげているので、興味を持たれた方は読んでみてニャン!なのである。

この太宰×芥川展はお二方の生原稿は見れる上、入場も無料なので東京近郊の人は是非足を運んでみてはいかがなんだドン!
無料なのでもう一回どころか何回でも遊べるドン!なのである。太鼓の皮もさぞベロベロになろう。

文学的なお話を長々してもつまらないと思うのだけれど、僕は分析がどうたらがとっても進んだこの令和の時代を生きていて、自分の事を作家としてどう分類して良いもんだか実はあまり分かっていないし、あまり意識もしていない。
ただ、どう間違えても(批判する訳ではないけど)ライトノベラーではない事は確かだし、異世界に転生する話を読んでも書いてみてもサッパリ気が乗らないのは確かなのだ。
何故なら僕が生きてる世界は現実世界であって、異世界じゃないからだ。
異世界もので電気代やガス代の支払いに困り、役所からも突っぱねられて犯罪に手を染めるような話は皆無だろう。
実はこれと同じ理由で実はファンタジーものがとっても苦手だったりもする(頭が悪いのか固いのか、まったく頭に入ってこないの)。

多くの読者が感じることであろうけれど、昭和初期〜中期に掛けての文豪達には今の作家にはあまり感じられない気迫を感じることが出来る。
貧乏を書くにしても今の貧乏はなんだか部屋の隅で動画でも見ながら

「貧乏でさーせん……」

と頭を掻きながら何処か申し訳なさそうに書かれているのに対し、昭和作家の書く貧乏というのは四畳間のど真ん中でふんどし一丁で仁王立ちし、焼酎を手に

「貧乏である!!!!」

と声高に恐れなく叫んでいる印象を受ける。
要は恥じることなく、強いのだ。恥じることさえも美徳にしてしまっているので、読んでいるこっちが「あばばばばば」と言いたくなるほどのナルシズムもふんだんに感じられる。

当時の作家達は文字通り「命懸け」で文を綴っていたのだろうし、それがなければ生活が出来ません、しかし、これ以外の生き方を知らないのです、という不器用さというのもまた人が惹かれる大きな理由の一つなんだろうなぁとも感じたりする。

血反吐を吐くまで酒を呑み、身体を壊してでも女を抱き、原稿の散らばるきったねぇ部屋で薬物に身体を染めても尚、彼等は書き続けていた。何故なら、それは生活の為だったからだ。
しかし、支払いと追いかけっこしながら高い金を払った不要な物に満足を得る今の生活とは違い、当時の生活とは生きることのすべてだったのではないだろうか、と感じるのだ。

命を投げ出して得る経験を文字に変換させ、そして物語を紡ぐ行為。
そしてそれを受け容れる時代というのもあったのだろう。
詳細は控えるけれど、ある作家が対談で大きな賞の選考委員のことを大批判している動画を見たことがあった。
ある選考委員はある作品に対して

「これは表現が過激で貧乏臭い話しなんで、万人受けしないだろう」

という理由で落選させようとしていたらしい。

その作家は名指しでその選考委員をコキ下ろしていたのだけれど、そりゃそうだわと僕は思った。
万人受けするような作品ばかりでは、文にいつか血が通わなくなる。
人を優しく包み込むだけの作品だらけの世の中になったとしたら、文を読む意味は一体何処へ行ってしまうのだろう。
ボロボロに傷付いて血だらけになった文章だからこそ、人に伝わるものがあるのだろうし、その身体で書く優しさというのは真に人の心に光を射すものになるんじゃないかと僕は感じているし、信じている節もある。

話が若干逸れたけれど、太宰が生きていた時代の作家達が居たからこそ、プロアマ問わず今の作家達が生きているんだろうなぁと感じている。
轍の上を歩いている訳だから、当然世に出る作品は二番煎じ三番煎じが当たり前で、御多分に洩れず僕もその中の十番煎じくらいのうっすーいお茶みたいな作品を書いているとは自覚している。
お茶でいえば「おーいお茶」が本家だとしたら

「まぁ……お茶?」

くらいの濃さである。

そんな薄いものを書いているのか貴様は!ただちに筆を折って首も折れ!と言いたくなった過激派の皆さん、まぁ落ち着いて聞いて頂きたい。
当然薄い物は書いているつもりはないけれど、これは先人達に対するリスペクトなんだニャン!なのである。
褒める人はないけれど謙遜なのである。

実際に太宰の墓に行ってみた訳だけれど、墓の入口が分からず友人と二人で寺の周りをぐるぐる周った挙句、なんとか塀を乗り越えられないものかと力技に出ようともした。
大回りして立派なお寺の入口に無事出会え、念願の太宰治の墓へ参ることも出来た。
霊園の中は静かで僕と友人の他に人の気配はなかったが、太宰の墓へ訪れる人の多さはまだ真新しい花を見て感じられた。
桜桃を供え、友人と共に手を合わせる。すると、なんだかここに来てしまって申し訳ないような、気恥ずかしいような気分になり、気付けばたどたどしい口調で墓に語り掛けていた。
それはこれからも書き続けます、という誓いと、先生の作品は今でも皆に読まれていますよ、という内容のことだったけれど。
今でもベストセラーだと伝えると、勝手ながらまんざらでもない様子で喜ぶ太宰治が目に浮かんだ。

挨拶も終えて帰ろうとすると、墓に備えられていた恐らく太宰宛の手紙があることに気が付いた。死後弟子だろうか。気分が引き締まっていたのだろう、それなら僕もそれを名乗りたいとも思った。当然だけど手紙の中身は見ずに、そのままにしておいた。
帰ろうとすると、春の風のせいか墓の袂に落ちていた一葉の手紙に気付き、それを墓に立て直した友人に変わらぬ人の優しさを感じ取った。

そして、自分のことばかりでまるで気付けなかった自分を少しだけ恥じた午後だった。
生まれて、すいません。これからも堂々と生きていきます。

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