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【小説】 イン・ザ・カーテン 【ショートショート】

 七歳の誕生日の朝に、パパが消えた。ママは悲しむ素振りさえ見せず、私にこう言った。

「あなたは良い子だから……これからはママの言うこと、ちゃんと聞けるわよね?」

 私は強く頷いてみせた。けれど、ママは決して強い人ではなかった。
 ママからはパパは向こう側の世界へ連れ去られてしまい、もう二度とは戻って来れないということを教わった。
 パパが消えたその日の朝から、私の街は青空を失くした。朝から晩まで二十四時間、街は赤い空に覆われてしまったのだ。七歳の頃から、私は「決して家の外へ出てはならない」というママの言いつけをしっかりと守り続けていた。
 カーテンの隙間から漏れる明かりはいつも黒ずんだ赤色で、白い陽の光を最後に目にしたのは今からもう十年以上も前、パパが消えた日まで遡ることになる。

 ママと二人のリビング。部屋の窓は全てシャッターが下りていて、私達親子は電気の明かりを頼りに暮らしている。外の赤い光を浴びてしまうとこの世界からパパのように消えてしまうから、そうするしか他になかった。

「ねぇ、ママ」
「何?」
「ずっと昔から思っていたんだけれど、この卵も、このお野菜も、一体誰が届けてくれているの?」
「普通の人ではない、人よ」
「普通の人ではない、人?」
「ええ。こちら側の人間じゃない人間が、わざわざ届けに来てくれているの。それも絶えることなく、ずっとね」
「そうなんだ。ねぇ、ママ」
「次は、何?」
「パパってどんな人だったの?」
「あなたは知らない方がいいわ」
「何で?」
「きっと、悲しむだろうから」
「そう」

 パパのことを聞くたびに、ママは眉間に皺を作ってこのお決まりの答えを私に伝える。ずっとずっと、悲しむだろうからって理由で教えてもらってない。
 けれど、私は知っている。悲しむのは私じゃなくて、ママだということを。
 パパは私にとても優しくしてくれた。生まれた頃から、この家から消えてしまうその日まで、隙間なく愛しさを注いでくれた。パパの私への心からの愛情は言葉へ変わり、言葉はやがて潤うことのない渇望を生み出した。そして渇望は寝静まっていた欲望の源泉に穴を空け、私へと降り注いだ。

 パパの重たい身体と吐息のかかった熱を、まだ小さかった私は自分の身体で日夜感じ取っていた。ママがいない間、寝静まっている間、それは毎日のように行われていた。
 けれど、少しも嫌な気分になることはなかった。パパを独り占め出来ていることに安堵していたし、パパに相手にされないママを心の底から可哀想で不憫な人だと幼心に感じていた。
 深夜。パパから湧き続ける愛情が私へ降り注ぐのをカーテンの隙間から私達を睨みつけていたママの目を、私は知っていた。

 今日もカーテンの隙間からは赤い光が漏れ続け、それはやはり二十四時間変わることはなかった。朝も、昼も、夕方も、夜も、パパと一緒に消えてしまった。

「カーテンを開けたら、あなたの存在そのものが消えてしまう。生きていた記憶も、魂も、死ですら、消えてしまう。赤い光の向こうにあるのは、ただの「無」なの。だから、開けてはならないわ」

 パパが消えたあの日。隙間から漏れる真っ赤な光と同じ色の目で、ママは私にそう言い聞かせた。
 空の色が変わるほど大きな出来事なのに、不思議とテレビでも、ラジオでも、そんなニュースはやっていなかった。ブラウン管に映し出されたテーマパークのパレードの空は、赤とは真逆の青空が広がっていた。

「ママ、なんでテレビの空は青いの?」
「あれはこの街ではないからよ」
「この街の空だけ赤いのはなんで?」
「私達、この街の人達……みんなが神様を怒らせたからよ」

 きっとママも、自覚はあるのだろう。私は愛の成り行きで不時着した場所が罪だとしたならば、それはそれで罰として受け入れるつもりでいた。そんなに熱心に神様を信じている訳でもないし、聖書もほとんど読まない。それでも、神様は私達を救うことは絶対にしないけれど、私達を憎むことは仕方がないのだろうと信じることは出来た。
 その結果が、始終カーテンの隙間から漏れ続けるこの赤い光の正体だから。

 夕飯時に私はママと一日の出来事を話すのが習慣となっていた。
 私にとっての一日は、短い針がただ一周回るだけに過ぎない。だから、特別な出来事なんて何も起こらない。ママとの会話はいつも淡々としている。

「ママ、今日は少し暑かったみたい」
「そうね。こんな世界になっても、やっぱり季節はあるみたいね」
「ねぇ、ママ」
「何?」
「私もパパみたいにしたらいいのにって、そう思うことは罪にならないの?」

 何気なく口を吐いて出た無意識の言葉に、ママは身体を一瞬震わせた。まるで悍ましいものでも見るように、私を軽蔑していたように思えた。
 言ってしまった、という後悔は一つも生まれなかった。
 ママは食べかけていたほうれん草のソテーが載ったお皿を片付けると、答える代わりに無言で寝室へ去って行った。

 翌朝、ママが寝室で首を吊って死んでいた。
 苦悶の表情を浮かべ、口から飛び出す舌は面白いくらいに伸び切っていた。まるで地獄でも見ているようなツラをして、死んでいた。
 私はずっと前から知っている。この街の空は今もずっと青いことを。パパは地下室の隅で、バラバラの骨になって今もひっそりと佇んでいることを。カーテンの向こうにあるのは、赤い投光器の光だということを。
 私は十年ぶりに、玄関のドアをこの手で開けた。鮮やかな眩しい陽の光が、網膜に降り注ぐ。それは爆発したプリズムとなって、視界の果てまで四散した。
 キックボードに乗る子供達が颯爽と目の前を走って行って、嬌声を上げながら去って行く。

 生々しいな。

 私が心の底から想った言葉は、それだった。
 世界は青色で、鮮やかで、賑やかで、全てが生々しかった。 
 ママが必死になって作り上げた世界にさようならを告げ、私は赤い光を放ち続けていた投光器の電源を切った。
 何色かも分からない溜息を吐き、歩き出す。家の中ではなく、外の世界の奥へ奥へと、歩き出す。
 私はきっと、誰かに罪を告白しなくてはならない。
 その相手を探す為に、私は迷うことなく青い世界を進んでしまう。

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