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【小説】 新型NEET制度 【ショートショート】

 新しく始まった「新型NEET制度」の内容がいまいち理解できず、銀行でもらって来たパンフレットを前に私は妻と共に首を右に左に傾げ倒していた。
 妻が頬杖をつきながら、溜息を吐く。

「あなた、餅は餅屋よ。銀行に行って聞いてみましょうよ」
「そうだな、素直にそうしてみよう。昇はどうしてる?」
「今日も相変わらず。部屋に引き篭りっきりよ」
「まったく、親の気も知らないで……」

 我が家の息子・昇は高校卒業以来部屋に引き篭もるようになってしまい、バイトすらしないまますでに五年もの月日が経とうとしている。
 人とのコミュニケーションを取るのが元々得意な性格ではないから、徐々に社会に慣れて行ってくれたらと思っていたが、その兆しもないまま時間だけが過ぎて行く。

 そんな我が家の悩みを「新型NEET制度」なら何とか解決してくれると思ったのだが、理解が追いつかず結局妻と銀行へ向かってみることにした。

 受付窓口に案内されると、担当者で小太りの中年女が「ではさっそく」と、鼻息を荒くして説明し始めた。

「今回始まった新型NEET制度の利用を検討されているとのことですが、おうちにニートはいらっしゃいますか?」
「ええ、息子なんですけどちっとも働かなくて困っているんです」
「失礼ですが、息子さんのご年齢は?」
「そろそろ二十三歳になります」
「二十三歳ですね。今までのニート期間はどれくらいになりますか?」
「高校卒業以来なので、丸五年です」

 中年女はしきりに頷きながら得意げな顔になって、手元の引き出しからタブレット端末を取り出した。「おおよその金額が出ました」と明るい声で言うと、こちらに画面を向けながら説明を続けた。

「息子さんがこれまで行って来た「ニート」活動、略して「ニー活」といいますが、その負債額を平均的な一般家庭で算出しますと……実にこれくらいになるんです」

 提示された額を見て、私よりも先に妻が驚きの声を放った。

「げっ、ええええ!? よんひゃく、にじゅうまんえん!?」
「よっ……よんひゃくまん……新車が、買える……」
「驚かれましたよね? でも、これって実はあくまでも最低金額なんです」

 四百二十万円の内訳は事細かに表示されていたが、ニートに対して月々に掛かる食費、光熱費、通信費等は確かに、あくまでも一般的な金額であった。
 たった五年で、最低限ですらここまで人間一人に金が掛かるものなのか……。
 私たちが驚きを隠せずにいると、中年女は追い討ちをかけるようにこんな恐ろしいことを言い始めた。

「あと十年、息子さんのニー活が続くと考えてみて下さい。単純計算でもおよそ一千万近くの負債が発生することになります。既に四百万もの負債を負っている状態なのに、せっかく貯めた老後の蓄えからさらに一千万円ものお金が引かれると思うと、とてもではありませんが正気の沙汰ではないと思います! 本来、このような負債対象は重犯罪者となんら変わらないのですが、その予備段階として設けられたのが、今回の「新型NEET制度」なんです!」

 私は一秒毎に将来の資産が削られているように感じ、藁にも縋る思いで尋ねてみた。

「負債を止めるには、新型NEET制度をどう使えば良いんですか!?」
「はい、もちろんご案内させて頂きます!」

 中年女の分かりやすい説明、そして明朗なシミュレーションにより、新型NEET制度の利用で無欲型ニートへの乗り換えを行うと五年毎の負債金額は二百万にまで減少することが判明した。
 それどころか、「新型NEETプラス」への加入で負債がゼロどころかプラスになる可能性すら出て来たのである。

「今回の目玉はこの「新型NEETプラス」なんです。初期投資に多少の費用は掛かっても、長い目で見たら収支はプラスになる可能性が非常に大きいんですよ! 申し込みも現在殺到中です」
「申し込んだとしたら、今の負債ニートはどうしたら良いんですか?」
「不良ニート債権として当銀行にて責任を持って引き取らせて頂きます。もちろん、手数料も無料です!」
「母さん、どうする? 俺は乗らない手はないと思うんだが」

 妻はしばらくぼんやりと何か考え込んでいる様子だったが、パッと灯りが点いたような笑顔になって、首をうん、と縦に振った。

「いくら思い出してみても、ロクな思い出がなかったわ。いいわね、ニートプラスやりましょう!」
「ありがとうございます! では早速手続きに入りたいのですが、本日印鑑証明はお持ちでしょうか?」

 三十分ほどのやり取りで私達夫婦は無事に新型NEETプラスを成約し、久しぶりに上機嫌になって家路を急いだ。
 家に入ってからものの十分で銀行から委託された業者訪れ、泣いて嫌がる昇を実力行使で部屋から連れ出し、引き取って行った。

 それから一時間後には新しい昇が我が家にやって来た。あまりの仕事の早さに私と妻は堪らず安堵と感嘆のため息を漏らした。
 今回やって来た昇は前回の昇とはずいぶんと異なり、背が高く清潔感もあって明朗な性格の持ち主だった。

「父さん、母さん、ただいま! 早速仕事を見つけて来たよ。明日から勤務だから、朝は六時に起こしておくれ」

 私達は新たな昇を喜んで迎え入れると、その容姿や性格をこれでもかと褒めまくった。未来の負債が地獄のカウントをストップした音さえ、聞こえて来そうだった。

 今日からは心機一転だ。新型NEETプラスのもたらす平穏な生活を夢見て、私達「家族」はその夜、乾杯をした。
 昇は仕事にも俄然前向きで、金を稼ぎ次第早々に家を出たいと熱を込めて言っている。なんと、親孝行をしたいとまで言ってくれた。
 今回の昇はなんと親想いで気が利くのだろう。

 乾杯のシャンパンボトルが空くと、昇は顔を赤らめながらずいぶんとご機嫌な様子で言った。

「父さん、母さん。こんな楽しい夜はないよ! さぁ、次は何を飲もうか?」

 日頃酒をあまり飲まない私と妻は顔を見合わせ、肩をすくめて見せた。
 我が家には元から酒を常備する習慣がなかったのだ。

「昇、お酒は終わったよ。明日は早いし、そろそろ寝る準備としよう」
「父さん」
「なんだい?」
「酒が尽きたら、買って来ればいいんだよ。ねぇ母さん、少しばかり程度のいい日本酒か焼酎を買って来てよ。ウィスキーでも僕は構わないよ。近くにディスカウントストアがあったよね? まだ九時を回ったばかりだ。僕にとってはまだ夜にすらなっていないよ」

 妻は「そ、そうね」と言いながら買い出しへ出た。私は返す言葉に詰まり、入れたばかりの茶を啜る。その間に昇は席を立ち、台所へ行くと冷蔵庫や棚という棚を開けて回り、「とりあえず、これでいいか」と料理酒を空のシャンパングラスに注ぎ始めた。

 新ニートプラスの解約が頭にちらついたが、五年以内だと莫大な違約金が発生することを思い出す。私は今までとは異なる悩みの種が急速な勢いで芽吹くのを感じながら、熱くて苦い茶を啜った。

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