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一縷の望みが照らすもの 【展覧会エッセイ】

どうも、ずっと大枝のターンこと大枝です。
遊戯王ではカードは用いず、デッキを腕に装着する玩具で相手を攻撃するタイプです。

数回に渡りお伝えして来た展覧会エッセイではありますが、次回の担当日が展覧会当日のため今回が展覧会前のエッセイとしては実質最終回となります。

いやー、夏以降めちゃくちゃ頑張って参りました。
こんなに長期間何かに携わって計画を立てたり事を進めたのは仕事以外では初めてでした。
僕は十五歳から三年前までのおよそ二十年、ずっと音楽を作ってました。バンドにお呼ばれされたり、逆にバンドを作ったりユニットだったりソロだったり、時にスタッフとしてPAをやったり、色んな形で音楽の世界にどっぷり浸かってたんですね。

音楽の良い所は「音」という共通言語があるところです。楽譜が有れば知らない音楽でも演奏する事が出来ます。そこに心が通う瞬間もあります。
なのでイベント毎なんかも雛形が沢山出来ているため、やろうと思えば結構短期間で出来る場合が多いです。

今回展覧会に関わってとても良く分かった事は

「とんでもなく時間が掛かるんでやんす」

ということです。

清世さんが絵を描いて、僕が絵本を作って、nolyさんがお菓子を焼いて、国岡さんと歌原さんに裏方やってもらって、当日になったらみんな集まってワイワイしながらみんなで持ち寄った物を楽しんじゃおう!

なんてノリで出来る訳あるかああああああああ!!!!

というくらい、事は単純では有りませんでした。

清世さんにしても展示点数を増やした事もあって限界のギリまで制作を続けていますし、当日になってから考えなければならない事もまだまだ有ります。
展覧会のリハにしても突然「突撃おじゃマンボウ!」と言ってカンペを持ちながらいきなり押し掛ける訳にも行きません。他の方々との予定を調整したり、会場側のスケジュールや時間をお伺いしながら進めないと普通に門前払いされてしまいます。

初めての内覧の時なんかはガッツリ別のイベントが入っていて「内覧に来たんですけど」と訪れたら主催者の方々が困惑してました。めちゃくちゃバッティングしてしまっていたんですね。
まぁそれも良い経験だと思うし、逆に内覧者が開催中に訪れてたとしても安心して対応出来ます(そもそも来てもらっちゃ困るけどね)。

去年の今頃の僕は上手いこと小説も書けずスランプもスランプに陥っていた時期でした。
それでも表現はしたいな、と悶絶していた時期でもあります。
夏から半年間も何も書けない状態が続いていて、もういっそ書くのをやめたらいいのにと周りから声が聞こえて来そうでした。
けれど、実際には聞こえて来ません。

聞こえる気がする声に耳を澄ませている内に状況は悪化して行きました。自分で自分にしがらみの鎖を巻いていたのです。
憑き物が取れたようにそれからは書けるようになり、お陰様でこの一年足らずで3000文字の書き物を200以上投稿出来ました。自分でもペースが狂ってると思います。それだけその事しか考えていない裏返しでもあるので、物騒な話が多い割に僕の日常は意外なほど平凡なものだったりしてます。

そうやって書き続けていたおかげで人の目に触れられるようになり、やがて清世さんと出会ってこのようにして展覧会に自分の作品が関わることに繋がりました。
小さなピースから始まったこのドミノ倒しは今後もっと加速して、より多くのピースを巻き込みながら多くの景色を描き続けるのだと思います。
それは最早自分一人で行っているものではないし、清世さんから受け取った感性が文に活かされる機会も多いです。

それは純粋に僕が彼女の事を尊敬しているからであり、一人の表現者としていつかはその表現に近付いてみたいと思えるからに他なりません。
 
展覧会では僕は創作者として参加していますしメンバーの中でぶっちぎりに偉そうにしているのは僕ですが、それは何処かで一歩引いた目線で物事を見る癖があるのと、これを読んでいる方々と同じようにファンとしての目線を持ち続けているからなのです。

ファンだったらこう見たいだろうな、これは喜ぶだろうな、という目線は常に持っています。

その目線が捉える清世さんの絵はとても不思議な力に満ちていると思っています。
それはめちゃくちゃ元気が出る、とかそういったものではなく自然と絵の前に立ち止まりたくなる「佇まい」を感じさせるものです。
足も心も止まる瞬間、人はその目に光を映します。

この世界で視覚として認識出来る物は光の反射から成り立っています。その物の放つ光ではなく、あくまでも反射した光を目に映しています。
けれど絵を見た、思わず目に入って立ち止まってしまう瞬間に見る光はきっと光の屈折の生み出した物以外にもあると思います。
それは一縷の望みのような、本当に微かな希望。それを筆にのせた想いなのではないかなぁと感じているのです。

僕も字を書いて人に伝えています。
文字という何とも地味なツールの中に想いを込めます。
それはダイレクトに伝える場合もありますし、物語を全て読まないと発見できないような物もあります。 
それでも想いをのせる事は出来るんです。

noteで小説を書き始めてしばらく経った頃でした。衝撃を受けた清世さんの絵の中に一縷の望みを見たからこそ、今も書き続けていられるんじゃないかと思う時があるんです。
それは伝える、伝わるという至極シンプルで大切で実は難しいこと。
それが伝わった瞬間って、伝えられた方も案外嬉しいもんなのです。救われた気分になったりもします。

実質最後なんでもっと格好つけた事や展覧会の魅力みたいな事について語ろうとも考えたんですけど、似合わないし俺が書くことじゃないとも思ったのでやめました。

俺は清世さんという人が好きです。
だからみんなにも知ってもらって、好きになってもらいたいと思っています。
なんたって凄いから。見てみたら本当分かると思うし、伝わるからね。

あともう少しで本番。
身体に気をつけながら、もうひと踏ん張り。
どっこいせい!と頑張りましょう。

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