「殻」を脱ぎ捨てると…。
「9月ですね、あっという間に夏が終わり………、
と書きかけ、……ん?
・「間」を埋めるために、
・「もっともらしい事」を、
・「自動的」に、
言いたくなってしまう頭、
書きたくなってしまう手、
理性を置いて行くカラダ?
何かをしていないと、
・やっている感、
・感じている感、
・生きている感、
が弱いのかなぁ。
体感がないと、寂しいのかなぁ。
「蝉が鳴かないと夏を感じない」
のかなぁ。
それが、
人間なんだから…、と、
適当に誤魔化す?
でも本当は、
その下に、
土の中に、
7年間眠る蝉のように、
「恐れ」や「不安」が、
あるのかも知れない…。
いや、きっとある。
夏の足跡のような
「蝉の抜け殻」を見ていると、
この夏は、
どんな殻が取れたのか?と思う。
例えば、このnoteも、
毎日書けるといいのかなぁとか、
無理矢理書くのもなぁとか、
迷うけれど、
おそらく答えは、
どちらでも無いのだろう。
そもそも、
「正しいのか、間違っているのか」
と言う問いの立て方自体が、
「脱ぎ捨てるべき殻」
だったのだろう。
殻を脱ぎ捨て飛び立った蝉は、
7年後に新しい夏を持ってくるのだろう。
こうして文章を残すこと自体、
脱ぎ捨てられた蝉の殻と被るなぁ。
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