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私の備忘録

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独学我流で写真を学んでいる私の立場から必読の記事を掲載させていただきます。
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#エッセイ

自分のためにコーヒーを淹れる

なんで人に淹れてもらうコーヒーって、 こんなに美味しいんだろう。 コーヒーに限らず、お茶でも紅茶でも、 自分で淹れるよりもずっと美味しく感じる。 あの喫茶店の一杯を自宅でもと思い、 同じコーヒー豆を買って帰っても、 同じようにはいかない。 もちろんマスターの腕が良いとか、 使っている道具が違うとか、様々な要因はある。 お店やスタッフの雰囲気も、 その味をより良くしてくれている。 けれど、それだけではない。 誰かのために淹れてくれているからだ。 シンプルだけど、

石村嘉成さんの個展のこと

先日、 「石村嘉成展 生き物バンザイ」に行ってきました。 写真からもその素晴らしさが溢れるほど、 力強い作品ではありますが、 空間に入って行くと、 肌に伝わってくるような温かさであったり、 訴えかけるような生き物たちの声を、 作品を通して聞かせてもらえているような、 そんな感覚になりました。 作品の中の生き物たちは、魂が宿っているような、 " 生きている " 眼をしています。 石田嘉成さんは、 世界中の生き物たちへの興味を遥かに超え、 心から愛し、心から尊敬をしている。

小さな命との一期一会。

周りに話すと引かれてしまうので、なかなか言えないが、昆虫や生き物が好きである。 ずっと昔から。 子どもの頃は、夏休みのキャンプ場でクワガタを見つけることが何よりの宝探しだった。 他にも好きなのはセミやカマキリやカブトムシやカミキリ虫。カエルやトカゲ。ザリガニ。沢蟹。 中身が子どもの頃から変わってないのかもしれない。 40代となった今でも、見つけるとそれはもう嬉しくてはしゃいでしまう。 小さな命の愛らしさ、生きている愛しさ。 昆虫との一期一会に感謝だ。 しかし、これが、な

人の命は「石鹸玉」

【スキ御礼】鑑賞*しばらくは人の高さを石鹸玉 十六世紀の西欧の絵画では、シャボン玉が人の命の儚さの象徴として描かれています。 これは、古代ローマの諺「人間は泡沫である」homo bulla、「人間の命ほど壊れやすく、束の間で、空虚なものはない」という人生観に基づいたものだとされています。 それを表す実際の絵画をご紹介できないままでしたが、Nao Masunaga さんが、イタリア ペルージャのウンブリア国立絵画館で催されたシャボン玉をテーマにした特別展のレポートの中で紹介さ

句碑*観音の慈顔尊し春の雨

大野万木 鎌倉 長谷寺の経堂の脇に句碑があります。 鎌倉長谷寺のご本尊は、十一面観音菩薩像。高さ三尺三寸、寄木造りで全身に金箔が塗られています。 大和長谷寺に次ぐ国内最大級の高さだといいます。 観音の名を称えれば、七難、三毒を逃れ、観音を念ずれば子宝に恵まれるという現世利益があるといいます。 また、観音は衆生の救いを求める声を聞きつけると、救うべき相手に応じて33種類の姿に変化してこの世界に現れ、苦難から救い出してくれるのだそうです。 すなわち、観音菩薩は今生きているこの

頼山陽が見た「花の雨」(2)

【スキ御礼】 歳時記を旅する13〔桜〕後*上千本中の千本花の雨 西行が見た「花の雨」 秀吉が見た「花の雨」 芭蕉が見た「花の雨」 本居宣長が見た「花の雨」 頼山陽が見た「花の雨」(1) 前回母を連れて吉野を訪れて花に出逢えなかった頼山陽は、その8年後の文政十年(1827年)三月十八日、再び母を連れて吉野を訪れる。 今回は花に遅れてはならじと雨をついて出発し、二十日に吉野に着くと雨はようやく上がり、翌二十一日は晴れて満開の桜に会うことがことができた。 前回の八年前より十五

ぜんぶ。

咲いていても 咲いていなくても どこかへ向かう道のりも 何かが終わるときも 全部その人の大切な一部です。 というよりもどんな姿も その人の " 咲いている " でもあるのかなって 写真の桜も " 咲いてないときのわたしも見てー " と言っているようにも見えました。 咲き誇る美しさに 誰もが目を奪われるけれど 咲くまでの道のりも 散りゆくその果てまでも 美しいことを知っているよ " 知っている。" に愛を込めて phot by...

掲載*酔客が酔客起こし十二月

岡田 耕 掲載誌:『俳句四季』1998年9月号 東京四季出版 〔新・作家訪問〕土生重次 「扉」主宰 ―きっかけは叔父への供養) (岡田 耕) 【スキ御礼】掲載*魂抜けのやうに紅褪せ曼珠沙華

聴こえる祖母の声

数年前に他界した母方の祖母は 大変我慢強く、精神的に強い人間だった。 昔はそんな祖母をハッキリしていて少し怖いと思う事もあったが 同時に 誰にでも優しい眼差しとお日様の様な温かさを併せ持つ人でもあった。 単身上京や出戻り、戦争や病気 様々な苦労を経験した様で 長生きはしたものの40代で祖父に先立たれてからは ずっと一人だった祖母。 左薬指の指輪は生涯外される事が無く 心は一人じゃ無かったかもしれない。 しかし いつか祖母が私に話してくれた本音がある。 (やっぱり寂しく

鑑賞*探梅やこの一輪に出逢ふため

松浦 加古 句集『探梅』所収。平成二十四年作。 春を過ぎて咲く桜は余花。 春を前に梅を探すのは探梅。 桜は過ぎゆく春を惜む花。 梅は来るべき春を喜ぶ花。 桜は散りゆく姿を見に行きたくなる。 梅は開きはじめを見に行きたくなる。 だから、出逢う梅の花は一輪でいい。 (岡田 耕) 【スキ御礼】「鑑賞*星のぞく聖樹飾らぬ家あれば」

言葉の力

 目上の人から親しく言葉をかけてもらうということは本当に嬉しいものである。それが労いの言葉であったり励ましの言葉であったりする場合はなおさらである。そして、敬愛の念は一気に加速し、この人のためには何はさておき役に立ちたいという思いが全身に広がり、「身命を惜まぬものなり。」といった献身的な行動をも厭わないことになっていく。  「大将は人に言葉をよくかけよ。」と言っているように、リーダーたる者、グループの構成員一人一人に日頃から心を配り、きっかけを見つけてはこまめに言葉をかける

障がい者も気軽に外出を楽しめる社会を

私が勤める診療所ではリハビリテーションを行っているため、様々な障がいを抱えた方たちがやってくる。 Dさんは脳血管障害で体の麻痺が残り、車いすの生活を送りながら夫Eさんの介助でリハビリに来られている。 最近は外出できる体力がつき、夫婦でスポーツ観戦などにでかけられるようになった。 ある日診察室で、Eさんが夫婦でお酒を飲みに行けたと報告してくれた。しかもはしご酒。 元々お酒が好きだったDさんに「それは良かったですね、楽しかったでしょう。」と話すと、 「(お店や知人に)申し訳なく

生きる喜び

 人は自己の存在に意義を感じ、充実感に満たされているとき、幸福を実感する。「生きがい」を感じる瞬間でもある。  自分の持ち味、能力が存分に発揮され、それが周囲に十分に評価されることによって「生きがい」は生まれるものならば、打ち込んで悔いの残らない道をまず選ぶことである。  またたく間に過ぎ去ってしまう人生の、限りある命を燃焼しきることこそ生きた証でもある。  常朝は、ともすれば若者が好きなことだけして、自分の意に添わないことには一切振り向かないという浮薄な考えでこの言葉

秋の彩り⑯ 小さくても大切な命

通勤途中、街路樹として、イチョウの木が植えてあります。 普段は、何気なく通っている道で、気にもせずに歩いていました。 ある時、赤信号で立ち止まりました。信号待ちをしているときには、 空を見ながら、ぼーっとしていることが多いのですが。 ふと下を見ると、イチョウの切り株から、小さな葉が芽吹いていました。 この暑い夏を乗り越えて、立派に育っています。 イチョウは落葉高木。春は新緑、夏は深緑葉、秋には黄色に紅葉します。 四季を通して美しく、色々な顔を見せてくれる樹木です。 秋の味