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Z世代が、映像作品を倍速視聴??

皆さんこんばんは。私です。
毎週金曜日投稿というルーティーンを、忙しい事を理由に最近崩しつつあります。まあ書き急いでカス記事公開して後悔するよりはマシなので、良いとしましょう。
パワプロ2022が発売されたり、レイトン教授をやってたり、忙しいんですよ、、私は、、。

さあ!そんなことは置いといて、今回はびっくりするような記事を見かけたので、その話をしたいと思います。ではよろしく。


Z世代、映像作品を倍速視聴?

まずはその記事を読んでください、こちらです。
少し話題にもなっていたので知っている方もいらっしゃるでしょうけども。

はい、まあ長いのでさーっと見ていただければいいんですけど、めんどくさい人のために一部抜粋してこちらに引用しましょう。

「1時間ドラマを5分30秒で観る」「動画配信サイトの画面下にあるあらすじを読み、その内容が書いてあるところまで飛ばし飛ばし10秒スキップして、『今あらすじに書いてある2行目ぐらいのシーンって、ここだな』と確認しなが観る」とか。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94466?imp=0
「倍速視聴とスキップ視聴が若者の行動として当たり前になっている」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94466?imp=0
『東京リベンジャーズ』のアニメシリーズを1.5倍速で観たけど、主人公の家に男の子たちが集まってワイワイ喋っているような、ケンカ以外の日常のワンシーンは飛ばす」など、衝撃発言が満載で(笑)。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94466?page=2

いや、まさに衝撃発言が満載ですよ。ほんと。
この記事によると、Z世代の中で倍速やスキップをしながら映像作品を視聴することが当たり前となっているそうです。流行の理由としては映像作品の供給過多、コスパ志向、時間が足りなくて流行りに追いつくことが出来ない、などが挙げられています。

Z世代とは

ご存知の方も多いでしょうが、一応Z世代とは何かについてもお話しておきましょう。こういう時は引用してなんぼですね、とってきます。Wikipedia、いつもありがとう。

Z世代(ゼットせだい)とは、概ね1990年代中盤から2010年代序盤までに生まれた世代のことである。生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代である。ジェネレーションY(Y世代、ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3Z

こちらがZ世代の定義です。私もがっつり含まれています。このnoteは今Z世代の人間が書いています。

まあ確かに、小学4年生の頃からスマホを持っている私はデジタルネイティブであることは間違いないでしょう。(でもちょっとZ世代、年齢の定義が広すぎる気がしませんか?私はします。まあまたその事についてはいつか書こう。)

「個人の自由」は理由になるか?

さあZ世代の倍速視聴の流行についてのこの記事は、世間で非常に話題になりました。
SNSでは様々な立場からの意見が見られましたが、倍速視聴肯定派の意見の大多数を占めていたのは、「娯楽なんだから楽しみ方は人の勝手」というものでした。

果たして、本当にそうでしょうか?

もちろん視聴する側は、もちろんその作品を自由に批評することができます。ここが良い、ここが悪い、なんでも自由です。お金を払っていれば尚更です。
作品は見る側の評価で初めて作品としての価値を持つとも考えられるからです。本は読まれなければ本では無い、という考えと同じです。

しかし、倍速視聴やスキップ視聴を行うことは、作品への正当な評価を行うことを阻害するため、行うべきではないと私は考えます。

その理由を説明しましょう。例えば、音楽で考えてみると分かりやすいかもしれません。
ここに曲があったとして、倍速で流してみましょう。音が高くなってしまい全く聴こえ方が変わってしまいます。では、部分部分に飛ばし飛ばし聴いてみましょう。全体を流れとして把握できなくなってしまいます。私はこれと全く同じことが映像作品にも起こると考えています。

映像作品を倍速視聴してしまうと、明らかに映像表現が変質します。スキップ視聴でもです。本来の演出の意図をそこから汲み取ることは難しいと言わざるを得ません。

映像作品には製作者がもちろん存在しています。脚本を書く人がいて、構成を考える人がいて、カメラワークを考える人がいて、声や実際に生身を使って演じる人がいて。数え切れない人々の努力の結晶が映像作品です。

それを変質させたものを視聴し、批評するなんてことはリスペクトに欠ける行為です。良かった、悪かった、どちらも言う権利は無いと私は考えます。
自分が楽しめれば人の努力をねじ曲げてもよい、そう考える人のように感じてなりません。娯楽はそのようなものではあってはいけないと思います。

行き過ぎた消費主義の結果にしか見えません。これをZ世代のトレンドなどと呼ばれたくないのです。

供給過多の中で 個人主義との関係性

そもそもですね、周りの流行に追いつけないってなんでしょうか?追いつく必要があるんでしょうか?いやそもそも倍速視聴なんかで追いついたなんて言えるのでしょうか?

と次々疑念が湧き上がってくるのですが、まあ確かに様々なジャンルにおける供給過多は実際に起こっています。しかし、個人主義が加速しているという話を聞く一方で、世間の流行を気にして何とか無理やりにでも追いつこうとする流れが加速しているのは、なかなか興味深いことかもしれません。

インターネットの普及。それによってそれぞれが自分の好きな物に没頭することがより可能になりました。その影響で昭和時代影響力のあった娯楽であるテレビ、野球などがテレビ離れ、野球離れとよく言われるように以前より人気が低迷し、もう暫く経ちます。

コンテンツが増えてしまった中でも、流行に取り残されたくない若者は何とかそこにしがみつこうと努力しているのかもしれません。まあ、やり方に問題が大ありだと私は考えますけどね。

私は、一つ一つの作品に真摯に向き合うことが大切だと思います。量より質です。コストパフォーマンスを求めすぎて、消費する時間の質を下げてはならない。これを肝に銘じて生きる必要があるのではないでしょうか。


ちょっと長くなりました、引用もあったんで!
とにかく私は倍速視聴は完全否定したい!ありえない!リスペクトしろ!

増えすぎたコンテンツ、全部追いかけなくても幸せなはずだよ。間違いなく。それではまた来週。

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