日本で的確な対応が取られない、本当の理由。
うーん、相変わらずマスコミやSNS上では対応とかの批判が横行しているけど…。私の場合、こうしたことって今に始まったことじゃないので驚きはないんですよね。それは私自身が日本的な組織という環境にいた経験があるため、こういう状況が予測しやすかったから。今回は、なぜ?をテーマに書いておきます。
まず、結論からサッサと行きますが…簡単なことです。
不測の事態への対応に、評価ができない
から。場当たり的な結果主義で評価されがちなので、ハイリスク・ローリターンになっている。だからそういうリスクを負う人がほとんどいない。それだけのことです。
これは、日本的なマニュアル主義の弊害ともいえますね。マニュアルに従って…がうたい文句の様に定型化・定式化されますが、今の様に臨機応変・当意即妙が必要とされる環境ではまず!良い結果は出てこないです。
要するにマニュアル化とは、通常時の対応には強みを発揮しますが…。今の様に、不確定要素が多いとマイナスです。刻一刻と変化する状況の中でそうした片りんから予測し、展開を読み、備え、そして事が起こったら対応しながら被害を最小限にして収束する。こうして言葉を連ねただけでも、かなりのことを同時にこなさないといけないから。
日本的組織において、こうしたマルチの人材はほぼ、出てきません。というのは
自分のお務め=職務
というモノが皆割り振られているから。一人や数人だけで数多くの権限を持つ、という事は権力の集中を避けさせる意味でも、日本的組織においてはない訳です。
それでいて権力者が生まれるのは全く別の話なので書きませんが…。こうしたことからも、今の様に非常時においても今までの様な安心・安全を確保しろ!という事はできないのは当たり前です。
この点は反省も込めて書きますが、単に
評価する側がする能力を持ってないと、両方が潰れる
だけなので…選んだ側に結局、責任があるだけ。それを棚に上げてぎゃーぎゃー言ってる人がいたら、
過去の自分に文句を言ってるのと同じ
でものすごくかっこ悪いこと。それが、全く分かってないのでしょうね。
今、指導者の対応についてもあーだこーだ言ってますが…。言ってる人たちができるかどうか?については本来、
じゃああなたなら、同じ状況でどう考えてやるつもり(だったの)?
と問いかけないといけない。それが出せないなら、その人は単なる批判を無責任にしているだけ、のそしりは逃れられません。
自分ならこうする、
という違いを見せることで、
その任にふさわしいのだ、
という自己アピールを遂げないといけない
からね。
この点から見ても、日本の組織運用や任用で、こういうやり方はしてないと思う。私が見た範囲だけで申し上げると、評価基準は
人脈、履歴
であって、当人がその職務に着任したら何をどうするか?はあくまで(実際面接での評価もそっちでしたが)
いかに皆と調和して、職場環境をよくするか
といった調子であり、業績を上げるためにこういう手を打ちます、というアピールが評価されることは私個人だけで言うと…
一度もない
のですからね。あった人、お知らせください。(笑)
学校教育でも、リーダーという権力者を生み出さず、うまみだけを取り除いた責任を負わせるから、なり手がいなくなった。学級委員(長)がおしつけになっているとしたら、単にそれだけだからですよ。
権力を持たせることへの恐怖心・嫉妬心があるから、なろうとする人を叩いたり、最初から制約・制限を設ける。だから、力量が発揮できず、自由度がないから、うまみもない。だから、誰もやりたくない、となって宙に浮く。全部無視するような能力も自制心もない人物が、極端なことを起こすような事件位しか起きない。
こういうことも、珍しいことではなく…歴史から見たらいくらでも同じ例が出てくる。私の場合は、そういう経緯も知識として持っているからこそ今回のテーマの様に
危機や非常時におけるリーダー
がいないか、出てこないとわかるのです。これを改めるためには、任用する側に基準=モノサシを作らないとずっと不利益を被ったまま。独裁を嫌うあまり、アレもダメ、これもダメ、だったらそりゃ誰だって
だったらアンタが直接やればいいだろ
となって誰もやってくれないでしょうに。その結果が、今なんだけどね…。こんなんじゃ、誰もハッピーにはなれない…もったいないねぇ。
いぢょー。