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某音楽家の炎上、また標的になっただけか?

 またか…とは思いましたが、当人の謝罪文として出されたの見てむしろ

ダメじゃん(笑)

と思いました。炎上についても含めて、独り言として書き記しておきます。

 まず、炎上自体は過去をほじくり返してどーすんのさ…と思いはしました。ただ、当時の雑誌の文章をスクショでUPした方がいたので読んでみたら…

アウトだコレ

と。●んことか食べさせてとかありえねーぞ。

 というのも、別に隠す必要もないのでハッキリ言っちゃいますけど

自分もいじめられっ子

でしたからね。いじめられる側の心理は、実体験があるだけに分かります。

 自分だけ、という事にはしておきますがハッキリ言って

いじめられた記憶は全部残っている

ものですよ。

 流石に恨みつらみは消え去ったでしょうが、当然ながら同窓会とかそういうので会いたいか?といわれれば

会いたい訳ねーだろ

以外の何物でもない。それが、いじめの深刻さじゃないかなと。

 そもそも、いじめた側は大抵大それたことをした自覚はほぼ、ないですね。くだんの音楽家さんも、どうも当時のインタビュー記事(当人は作られてる、と今更言ってマスが)とこないだ出された謝罪文を見ても自覚がない。なぜそういえるか?というのは理由があります。以下の通りだと思っています。

① 後悔とか言ってるけど、じゃあその間悪かったと思った時点で行動起こしたことあります?

② もしあったなら、あのように改めて謝罪したいとは書きませんよね?

③ という事は、こうして炎上したから謝罪という具体的な行動とらないといけない、と捉えられるだけですよ?

これらがあるので、当人は炎上してヤバいから謝罪と火消しを志向した、と取れるのですよ。

 コレは、プロとして客商売をするものとしてのリスク管理という観点からも杜撰。本当にロジカルにリスク管理をする気があったなら、自分の過去の言動・振る舞いを洗い出して具体的な謝罪という”アリバイ”があるようにふるまうでしょうに。

 そうしておけば、仮に当時の行動がいかにひどくとも、大人として年を重ねていく過程での良い変化を、行動という形に残せる。それがあったならば、今の自分を知らずともそうした事実をもって擁護する人たちだっていただろうに。

 そうした行動がなかった、という事は取り巻きの中にそうした助言や苦言を出せる人がいなかった事にもつながり、自分と取り巻く人たちも含めて信用・信頼されなくなる。間接的に自分と関係がある人達の価値も損なっていることになるのです。

 これが、日本以外の国でなら違うかもしれません。私個人としては、こうしたモラルにうるさすぎるというか、揚げ足取りの様に過去をほじくり返して批判を無意味にすること自体は反対です。

 しかしながら、ご本人の当時のいじめっぷりとインタビューの言動は自覚のないいじめっ子の心理そのものであり、自分がいじめられていた当時の同じ感覚の

いじめ側にいた連中たち

を想起させる。これでは、あの対応を見てもそうしたことを抜きにして見よう、という気持ちにはなれませんでした。

 とは言え、私個人はくだんの人物は全く知らないのでどうでもいいといえばそうなんですけどね。(苦笑)今回それでも書く気になったのは、当人の振る舞いが当時のことも思い起こさせるほどお粗末でずさんだったから。

 こうした身辺調査を碌にしないまま当人のネームバリューという権威だけで人選をしたであろう皆さんの方が余程問題。どういう人選でこうなっているのかを、むしろちゃんと検証して欲しいですね。でないと、当人がスケープゴートにされるだけで、こういう程度の低い人選・人事が無くならないから。そっちの方が余程問題だし、心配になりますよ…。

いぢょー。

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