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筆34 人生に目当てを設定するときに大切な2つの問い 3/3

やりたいことがない場合はどうするか

次に第二の問いであるが、これは、幸せで楽しくいるために、人生に目当てを設定しようとしたら、それが叶わなかった、という場合の苦悩を、どうして克服するか、ということである。「夢はないです」とか「やりたいことがない」とか放言する若者に落胆する円熟者をときどき目にするが、夢が語れないことをネガティヴに捉える見方はどうも訝しい。射幸心を満たしたり品格を高める上で,〈夢を持つこと〉だけがその唯一の必要事項ではないはずである。
ただ、飽くまで幸せで楽しくいようとして、人生の目当てを求めるのなら,「やりたいことがない」ときに、これの克服方法を思案することは、極めて緊要であろう。

「夢はないです」とか「やりたいことがない」とか思うのは、つまり、概ね、自身の嗜好を解していないということである。もっと簡単にいって、概ね、自分の「好き」が分からないということである。何に高揚するのか、何に心が向かうのか、これを理解していないことから生じる苦悩である、と見ることができる。したがって、この苦悩の克服は、自己探求とか自己発見といった類の営為のプロセス内に位置付けられる取り組みであるかも知れぬ。

私は、自分の「好き」が分からないときは、その克服の助けとして、次の2つの活動を提案してみたい:1つが種々の体験をする/色々な在り方に触れること、そしてもう1つが日常の内のあらゆる選択の理由を自問することである。

どの方法にも共通する狙いは、明快ながら、自分の「好き」を探求し発見するということである。私の見解に拠れば、自分の「好き」が判明すれば — どの程度はっきり判明するかは逐一ケース毎にスペクトラムを以て説明せねばならないだろうが、自ずと夢や目標は見付かるものであるはず。自分の「好き」があるところに、自ずと心は向かうし、自ずと気分は高まる。

「好き」が分からないときの助け (1):種々の体験を経る

まず、種々の体験をすることは、自分の好き嫌いを明らかにするのに大いに役立つ。自分の感性に鋭敏であることに努めて、人のさまざまな在り方に触れると、自身の胸中が波立つときと心地が好いときとに、徐々に気が付けるようになる。胸中が波立てば、それを自分はおそらく嫌っている。心地が好ければ、それをおそらく好いているのだ。然らば、胸中が波立つことは避けるべきであるし、心地の好いことは差し寄るべきである。

自分の感性の変化を素直に受け入れると、自分の好き嫌いが次第にくっきり浮かび上がってくるものであるから、そうしたら、そののちにするべきことは簡単だ — より好きだと感じることに、ベクトルを調整して設置すれば良いだけなのだ。好きなことに骨を折ると、人は進化を始める。進化を始めることと目当てを設定することとは、ほぼ同義である。また、さまざまな在り方に触れる術は実に区々で、例えば読書であるし、例えば交際であるし、例えば旅行である。そして,「自分の感性に鋭敏であること」は、概ねもう1つの活動とリンクしている。

「好き」が分からないときの助け (2):あらゆる選択の理由を問う

次に、日常生活におけるあらゆる選択の理由を自問することは、自分の嗜好を明確にするのにとても役立つ。日常生活に遍在する選択(大小を問わない。)は、そのほとんどが大体さほど意識されていないものである。そこに敢えて徹底的に意識を向けてみることで、自分の嗜好が次第に見えてくるのである。「なぜ自分はこれを選んだんだろう」,「なぜ自分はこうしたのだろう」— 徹底的に一つひとつにおいてその動機を問い掛けることで、これまで見えていなかった自分の風姿が浮彫になる。

私はこれらの活動を通して、自分の「好き」は判明され得ると考える。他にも自分の「好き」の判明を可能にする手立てがあることは否定しないが、上述したこれらが即座に思い浮かぶ故その2つを勧奨することにする。ここで見えてくる、自分の「好き」の断片が、まさに「夢」や「やりたいこと」の種子となるのである。

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