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映画メモ(2024年9月2週目)

今日本では『ジガルタンダ・ダブルX』が公開され、新たなインド映画のヒット作になろうかという時節に、全く空気を読まない形でお届けします。今回はホラーは2作のみ。

今回のラインナップ
①Ullozhukku Amazon prime
②Double iSmart Amazon prime
③Death of me Amazon prime
④Tumbbad 劇場(リバイバル上映)

①Ullozhukku(インド・マラヤーラム語、2024年):家族主義と女性


あらすじ
親の決めた良家の男トーマスクッティとしぶしぶ結婚した女性アンジュは、別れたはずの彼氏ラガーヴと密会していた。義母リーランマが実の娘のようにかわいがってくれることがアンジュには内心負担でもある。そんなとき、トーマスクッティが病に倒れるが、アンジュはラガーヴの子供を妊娠。妊娠の事実を言えないまま、トーマスクッティが亡くなる。

家制度の生み出す行き先不明のボート
雨期の大洪水で身動きの取れなくなった一家を中心に展開する。移動はボートだ。女性でもカヌーを漕いで移動する。夫が早くに亡くなった孤独なリーランマの人生の全てとなってしまった息子トーマスクッティとの密着的な関係は大変インドらしいとも思えた。彼女とて自分の夢を諦めて嫁に入り、今や良家のボスとして尊敬を集める存在である。アンジュの不倫を知った良家のボス=リーランマの激怒ぶりがどうも手ぬるいのはなぜなのか、アンジュにとっての疑いの余地のないはずのラガーヴとの関係は、アンジュの子供は、アンジュの両親は…

両家にとって致命的な秘密が次々に明らかになる中、大雨によって毒が全て洗い流されるのか…いつまで経っても引かない水。マラヤーラム映画らしく、静かに生活描写を重ね、それぞれの想いを描き出しながら、家族主義のまた一つの乗り越え方を示したと思われる。

親たちの「良かれと思って」やったことの皺寄せ
家族主義の犠牲とも言えるリーランマとアンジュは似た者同士。家族の中で生きる以上、人生を少しでも価値ある(いや、甲斐のある)ものとして虚構して行かないとあまりにつらいとリーランマは知っている。アンジュはそれを充分理解できるが、その生き方を拒否する。

トーマスクッティ、ラガーヴ、アンジュの父ジョージら、男性キャラクターがそれを象徴していたが、インド男性にとっては旧来の生き方から脱却するメリットが無いのだろうし、そもそもそんなことを考えなくてはいけないと分かっていなそうな中で、女性は旧来の価値観の相対化と脱却にメリットを感じる確率が高いということを感じる。

依然「ヒーローとロマンスで結ばれること」に重きを置く作品(もしくは一切それを描かない男性映画)が主流である中、ロマンス映画の中心ボリウッドですら、『野獣一匹』や『Stree 2』のように、それが自明ではないのだということを描かずにはいられない。なぜならそれが話として面白いからだ。

多くの人は、家族主義と自分の幸せや自己実現が調和することを願っている。全てが予測不能なインド社会において、家族と己を完全に切り離すことはデメリットの方が大きい。

自分で何をどこまでやっていけるのか。どの部分を家族に依存すればいいか。当然のことながら、女性(そして旧来の価値観から脱却したい男性)は計算しながら人生を作り上げていくことだろう。

アンジュの人生は白紙になった。どんぶらこっこと氾濫した川を船で進んでいく彼女と、もう一人が寄り添う。不安と喜びと動揺でいっぱいだが、どこか解放されたような顔をした二人。周囲の目を跳ね飛ばし、受け止めながら、新しい家族を作って行くことができるだろうか。

②Double iSmart(インド・テルグ語、2024年):未来のカルト映画、爆誕??


あらすじ
死に別れた母への想いを胸に今日も強盗団から金を盗む一匹狼のチンピラ、シャンカル。一方、強盗団のボス、ビッグ・ブル(サンジャイ・ダット!テルグ映画デビューだそうです!)は脳腫瘍により余命いくばくもないと宣告される。解法を探す中である医者から「記憶を他の人間に移してしまえば生きながらえられる」と入れ知恵され、その最適な相手としてシャンカル(前作で一度、頭にUSBポートを付けられて人の記憶移植を経験)が選ばれた。シャンカルの運命は??

ラーム・ポーティネーニの熱演以外は観ているのがつらかった

シャンカルを演じた俳優、ラーム・ポーティネーニは本作以外は知らないが、普段の顔を見て驚いた。全く雰囲気が違う。テルグ映画界のスターの中で、彼ほどシャンカルを、うまく、面白く、ばかばかしくも飽きさせずに演じられる人はいないと思う。

映画スターはパブリックドメインだ。故に彼自身、真剣にこの役をやっていた気がする。みんなのために。偉い!

でもごめん、面白かった!!!!

仮面の男、シャンカル見参!!!笑わせてくれてありがとう!!!

きめポーズとか表情とか、口説きシーンとか、ダンスとか、どうやってこの役を作り出したんだろうかと思う位可笑しかった。

そして、彼の熱演以外は観てるのがつらくて観終わるまで3日かかった。

そもそも途中で2回、「どうやってビッグブルから逃げ出したのか」という説明が端折られていた個所があった。話に無理があるのだ。

また、サブストーリーとして、なぜだかアマゾンから連れて来られた先住民の男がハイデラバードの町の女を次々に篭絡してしまうという流れは…本作は漫画だから!ジョークだから!ということでなのか。

要らない気がした。本筋に関係ないから余計に…。

先進国の人間からしたら、南インド映画は時折、観てるのがきっついわということがあるが、本作はこれもあるし、シャンカルの女性へのアプローチもおかしい(女性がアクションをやることで補っているのか??)し、ツッコミどころしかない

おまけに、ビッグブルの野望ときたら、インドで内戦を起こし、南北インドを分断することだ!!

それを偶然救うのが、正義のためというよりも、私怨を晴らすために暴れるチンピラ青年というこの危うさと不確かさ

最後、シヴァを讃える宗教儀式の場所に紛れ込んで二人が死闘を繰り広げるのだが…儀式に参加してる皆さんが、目の間で乱闘や人殺し起きてるのに誰一人動揺しないことが面白かった。

結局、シャンカルは、シヴシャンカル(シヴァの力)となってビッグブルを討ち取ることになるのだが、あたかも周りの信者は、「正義がなされるか」よりも「シヴシャンカルをぜひともこの目で見たい」という欲望に満ちており、それが満たされた歓喜の声もなんかもうインド!!!!

全ては予測不可能な社会が偶然生み出した風来坊が引き起こした奇跡なのだ。善も悪もない。おまけに、亡き母の想いを胸に父なしの一人息子がチンピラ化って、どっかで聞いたような…

対するビッグブルはド金持ちのドラ息子君という設定だ。

将来、仮に発展に成功し、予測可能性が高まったインドにおいて、本作は「2020年代前半のテルグ的想像力」を切り取ったカルト作品として記憶されるかもしれない。

③Death of me(アメリカ、2020年)


あらすじ
クリスティーンとニールの夫婦は、タイのある離れ島を観光と取材のために訪れるが、最終日の朝、前日の記憶をなくし、泥だらけで目覚める。所持品のビデオカメラには、ある居酒屋で謎のお酒を飲み、ネックレスをもらったこと、更にはニールがクリスティーンと性交した後絞殺し、埋めたところが収められていた。唖然とする二人に更なる脅威が…。

海外旅行にご用心
タイの現地信仰(実在するかは不明)に触れたカップルが悲惨な末路を辿る本作は、いわばフォークホラーの王道でもあるし、海外(その反対にある内なる外界=田舎も同様)を恐ろしい場所として描きがちなアメリカ映画としても王道だった。因習がなかなか嫌な感じで面白いと思った。

ニール役のルーク・ヘムズワースはむちむちしていて何か珍しい感じの俳優だなと思ったが、クリス・ヘムズワースの兄弟だったとは。オリビア・ハッセー似のマギーQの演技もよかった。

あんまり感想としては多くないけれども、このテーマの映画としては観てて損はないと思う。

④Tumbbad 劇場(リバイバル上映)(インド・ヒンディー語、2018年):インドフォークホラーの傑作再び

あらすじ
かつて,金と麦を恵む女神の息子ハスタルは女神の全ての金を手にしたが、麦を手に出来ないよう、神々に呪いをかけられた。今もハスタルは女神の子宮に守られている。その呪いにより年中雨の止まないとされる伝説の土地、Tumbbadの領主が、1918年、亡くなる。領主の愛人と息子2人は、古びた家に幽閉された老婆の世話をしていたが、片方の息子が死んだあと、この地を去る。
しかし生き残った息子ヴィナヤクは、老婆から聞いた金貨の話を覚えており、15年後、老婆の元へ戻り、金貨の秘密を聞き出す。無尽蔵の金貨によって大金持ちになったヴィナヤク。しかし更に後、その恐ろしい金貨の秘密を息子パンドゥラングに教えたとき、悲劇が始まる。

インドのホラー映画、怖いです。https://note.com/takemigaowari/n/n7e45995a39b3

前にこんなことを書いたが、時々例外的に怖いホラーが出て来るのでインドホラーは侮れない。本作はだいぶ前に観て(方法は聞かないでね💛白目)から好きで、今回リバイバル上映が決まって観に行った。拡大上映にも拘らず観客席は若者でかなり埋まっており、人気の高さを思わせた。

字幕無しで観たので、前回字幕ありで観た記憶を頼りに観たが、やはり面白かった。

善人が一人も出て来ない。しかし皆すごく悪い人にも見えない。少し賢く、少し愚か。そのバランスが本作の独特の暗いムードに合致している。

Tunbaddは神々の呪いにより、年中雨が止まない。本作はマハーラーシュトラ州を舞台にしており、昔のプネーも出て来るが、この雨期の、じめじめして、町全体が腐り落ちそうな空気をよく捉えた作品でもある。熱帯で生きるのは大変だ。最後のパートで、ヴィナヤクは早くも老いの衰えを感じている。

実は、ヴィナヤクは長年、Tumbbadの古城の地下(女神の子宮)に幽閉されているハスタルに小麦で作った人形を与え、それに気を取られている隙に、ハスタルから金貨を奪っていたのだった。

非常に体力を消耗するものだから、体力が衰え、金貨を取って来られなければ家族の没落は避けられない。

また、インド独立によって、それまでイギリス権力の下で手に出来ていた財にアクセスできなくなっていく層の存在も示唆されている。

ヴィナヤクはバラモン階級の出身だが、非常に貧しかった。努力しても報われる可能性の低いインドにおいて、無尽蔵の金貨が手に入る…そんなうまい手はない。

決して「悪いこと」をしているわけではないのに、人としての欲が滲んで増長していくこと、老いと世代交代という人間の哀しさが、小麦人形を求め、金貨を奪われるだけの神的存在(こちらも欲望の塊)と対比される。

ヴィナヤクの息子は父を真似て欲を増長させていく。ヴィナヤクの息子への関り方も、実にホモソーシャル的で毒々しい(つまりおいしい)。

ストーリーとしては、日本であれば、まんが日本昔ばなしのエピソードの豪華版みたいな感じだ。日本において残存しつつも消えかけているインド要素の一つは、このような因果応報の物語であろう。

本作は続編製作が発表された。息子パンドゥラングの物語になる模様。

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